さらに向こうが見える理由 | 福岡発:隠れスピリチュアル整体師の『心のほぐし部屋』

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スピリチュアル系プロの方々から絶賛や感服の仰せを頂いた「グレートスピリット」の説き明かしを筆頭に、本当のスピリチュアリズムや現代ではあまり知られていないブッダ本来の教え等々について分かりやすく綴っているブログです。

人は結果のみに期待し、努力を惜しむ悪いクセを持っている

人生の意義は結果ではない

努力する過程の中に価値があり光がある

人は差別なく全員悟ることができる

早いか遅いかの違いだけである

しかし早く悟ればそれだけ自由が早まり、遅れれば苦しみの期間が長くなる

どちらを選ぶか

それは各人の意思が決めよう

最高指導霊エル・ランティの教え〕

 

※今回は『クリックなんで力がないフリをするの?』の拡張版として書かせて頂いた分の第3回目(全3回)となります。

 

ベル第1回目『クリック霊的能力発生のメカニズム』はコチラ。

 

ベル第2回目『クリック霊道のひらけ方』はコチラ。

 

え~第2回目の方で申し上げておりましたとおり、今回は『さらに向こうが見える理由』をテーマとしたお話をさせて頂きたく存じます。

 

まず申し上げますと、私は、一般的な施術を行う整体師を生業とさせて頂いており、スピリチュアル系については実質的にアマチュアと申し上げて差し支えないであろうと存じる身であります。

 

タロットカードを持つ女性占い師

(画像はイメージです)

 

ところが、白状しますと、複数の真っ当かつ力量に定評があるスピリチュアル系プロでいらっしゃる方々から、色々と頼って頂いていたり、あるいは『クリックなんで力がないフリをするの?(以下「元記事」と表します)』の方で述べさせて頂いた如くにて実は私の方が見えていると評価して頂いていたりというのが実情なんです。

 

加えて申し上げますと、上述のプロの方々の中でアチラ側の事を見えたり感じたり等し始められた時期が私よりも後の方はお1人だけであり、その方以外の方々については、先天的なもの或いは幼いうちや、うら若きうちからのものであられた…つまりは私が想念帯の「穴」を開くに至って見えたり感じたり等し始めた時よりも随分と前から見えたり感じたり等しておられた方々であるんですけれども、いつしか見えたり感じたり等の度合いについて私の方が追い抜いているという形になっているんですね。

 

では、そんな事になった理由は何なのか?…

 

それはズバリ!真の神なる「グレートスピリット」の代理人とでも言える格の方々であられるゴーダマ様(お釈迦様)やイエス様やモーゼ様といった方々が伝え残された教えの主旨である「人の生き方」つまりは「法」の理解と実践の量の差なんです。

 

それに尽きます。

 

ここでお間違い頂きたくないと存じますのが、それはなにも私が特別な者であったりとか上述のプロの方々が「法」について理解しておられなかったり実践を怠けておられたりとかいった様なわけではないという事です。

 

これは、私が「法」そのものとのご縁を頂いた時期(ちなみにちょうど半世紀前の事になります)が上述のプロの方々と比べて圧倒的に早い…つまりは「法」の直接的な学びと実践の歴が随分と長い分の結果として現れたに過ぎないという事であるわけなんですね。

 

と、ここで、前回(第2回目)の『クリック霊道のひらけ方』で説明をさせて頂いた『想念帯の「穴」が開くパターン』を引き合いの形で述べさせて頂きますが…

 

想念帯の「穴」がひらけたパターンについて、上述のプロの方々は一様に【2】による形で、私だけが完全に【1】による形となります。

 

そして、上述のプロの方々…つまりは私に色々と頼る等して頂いている力量に定評がおありの方々に共通しているのが、想念帯の「穴」が開いたきっかけこそ【2】であるけれども、その先において「法」の部分を大切にされているという事なんです。

 

霧で遠くが見えない風景

(写真はイメージです)

 

実を申しますと、想念帯の「穴」が開いた=アチラ側の事が全て見えたり感じたり等できるというものではありませんで、そこに「法」という要素が加わって来なければ、見えたり感じたり等できる範囲にどうしても限界があるものなんです。

 

そこに「法」という要素が不足していると、上の写真の様な感じで、ある所から向こうの範囲が、霧というよりもそこにハッキリとした境界線や壁があるかの様なイメージの方が合うという具合になりますけれども、ともかくはパッタリと感知できない状態が生じるというわけであるんですね。

 

境界の向こう側のイメージ

(画像はイメージです)

 

しかもそのパッタリと感知できていない範囲の存在について、自力では気付く事すらもできないものなんです。

 

その感知できていない範囲というのは、スピリチュアリズムで言うところの「階層の法則」で示されている多段の階層の中の、ある階層と階層の境界の向こう側…つまりは所謂「高次元世界」の事を指しているんですけれども、アチラ側の階層が高くなれば高くなるほど、言い換えれば次元が高くなればなるほど、その世界あるいはそこにいる方達は「法」の色合いを増すものであるんです。

 

仏教において言うところの「如来」と呼ばれる方達に至っては、その人が「法」そのものという人格の持ち主達になります。

 

つまりは、スピリチュアリズムで言うところの「波長の法則」の作用により、自らが「法」の色合いを増さなければ波長が合わないために、例えればラジオの周波数が違うと受信ができない如くにて、高次元の世界やそこにいる方達の諸々を感じ取る事ができないというわけなんですね。

 

そして「法」がよく分かっていないと、そこに判断の基準や指針が無い状態になるゆえに、不足の部分に気付く事ができず、ひいては感知できていない範囲について気付くという事もできなくなるわけなんです。

 

別の角度から申し上げますと、自らが「法」の色合いを増せば増すほど、アチラ側のより奥というか上というかの部分が見えたり感じたり等できる様になって行くし、現時点では感知できていない範囲の存在を察しながら進んで行ける様にもなるという事になります。

 

そういえば、アチラ側の人の声が聞こえる等する様になった方が、その声の主をすぐに「神様」と決め付けるという傾向が多大にしてあるものなんですけれども、本当の神(グレートスピリット)ご自身の声が聞こえるという事は原則レベルで無いと思った方が間違いないという事を知って頂きたく存じます。

 

念のために申し添えさせて頂きますが、私もそれは聞いた事がありません。

 

要は「法」がよく分かっていないと、それが神ではないのに気付けないって事も起こってしまうのだという話なのであります。

 

その声の主が本物の守護霊であったり高級霊であったりであれば、まあ良いって話なんですけれどもね…。

 

で、結論の部分に入らせて頂きますが…

 

クリック元記事』の拡張版という事で、ここ3回に亘って拙いヘタな講釈を垂れさせて頂いてきたわけでありますが、その意図は皆様に「法」の部分の重要性を知って頂きたいという事に尽きます。

 

「法」こそが強大な力を持つものなのであるという事を知って頂きたいと申し上げても良いでしょう。

 

ていうか、ぶっちゃけ言わせて頂きますと、これは私だけって話なのかもしれませんけれども、実は「法」の理解がある程度を超えると、自身の活動(法の流布)において霊的な力の部分は正直やりにくさを増す要素になる面の方がだいぶ大きいんですよねぇ…いや、マジで(苦笑)

 

元記事』の方で申し上げた如く私が霊的な力の部分を前面に出したがっていない理由の中にそれもあるのが正直なところです。

 

また、これも『元記事』の方で申し上げた如く現代の人々に「法」の部分は至って不人気なものであるんですけれども、実はその至って不人気な「法」こそが、至って大人気である「霊的な力」の強度についてある一線を超えさせる唯一の術なのであるという事も申し添えさせて頂きます。

 

もっとも私自身は、ハッキリ言って霊的な力はかえって色々と面倒くさいから出来れば要らないくらいに思っていますし、実は普段からアクティブに用いる事はあまり無い(基本的に受動的なスタンス)って調子なんですけどね…(苦笑)

 

そして最後に…

 

「法」が大切と言われても「じゃあ具体的にどうすればいいの?」というふうに思し召しの方もいらっしゃるかと思いますので案内をさせて頂きますが、これは私が『霊的真理の3種の神器』と銘打たせて頂いている『グレートスピリットのお言葉&モーゼ様の心行(しんぎょう)&ゴーダマ様の八正道(はっしょうどう)』の3つを理解かつ実践するに勝るものは無いです。

 

とりあえず『グレートスピリットのお言葉』だけ下に記させて頂きますので、あとの『心行』と『八正道』につきましては後部のリンクからご覧を頂けたらと存じております

 

 

我は形あって形なし

 

形あっては天地自然に現せし姿これなり

 

形なくては汝らを生かさん力これなり

 

汝らを形あるものとしてこの地上に生じせしめ

 

形なき汝らの良心の囁きとなって我は証しせん

 

 

愛しき我が子よ

 

愛しき我が子よ

 

そなた達は幸せに生きよ

 

すこやかに生きよ

 

己自身を苦しむることなかれ

 

己を大切にし 己を大切にするがごとく他を大切にせよ

 

汝らの苦しみは 我が苦しみなり

 

汝らの喜びは 我が喜びなり

 

愛し子よ自らを苦しむることなかれ

 

汝らを形として現せしこの厳しき現象世界に旅立たせしはこの我なり

 

愛おしきが故に 旅立たせしものなり

 

汝らがこの地上に肉の身を持ち旅立ちし日より今日までをよく振り返ってみよ

 

そして我が心と汝らの心を照らし合わせよ

 

もし我が心と離れし箇所に気付かばそれを悔い改めよ

 

その時 汝らの魂は浄まれり

 

我が与えしその肉の身を持ち

 

我が思いをこの地上に示し現せよ

 

我が心を地上に具現せよ

 

汝らは我が愛し子なるが故に我は汝らの父なり

 

父はただ子の幸せを祈る

 

自らを浄め 自らを高め

 

自らの神我に目覚め

 

我が胸の中に帰るべし

 

我はただ汝らの帰りを待ち望むものなり

 

我はただ汝らの帰りを待ち望むものなり

 

 

※『心行』と『八正道』もご所望の方はコチラへ↓↓

クリック霊的真理の『3種の神器』

 

★後日追加(補足)‐

もしも「霊的真理の3種の神器」が取っ付きにくい様でしたら、まだ取っ付きやすいはずであると私は思う『クリック守護霊取扱説明書』の方で述べさせて頂いた術から入られるのもアリと存じ上げます。

 

以上、Mahaloより愛をこめて。うふん

 

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【当ブログの目玉記事】

クリックスピリチュアリズムの根源『グレート・スピリット』を知る

クリック霊的真理の『3種の神器』

 

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