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小説「広告屋という待合室の椅子」第一章

序章:「六本木交差点アマンドの苺ショート」 からのつづき・・・

第一章:「六本木交差点前アマンドのミルフィーユ」

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ところで、このニューハーフの職業だが、ニューハーフが職業ではない。
本職はキ○セイ・パ○フィ○クの客室乗務員だ。
もちろん男性として客室乗務している。
それにしても伏字が微妙だ。

機内にボーディングしている時、彼は極めて男前。
日中でも微かに青々としている顎や頬もイカシテいる。
彼の名は、小笠原 真(まこと)。
ユニセックスなファーストネームも彼の特性上持って来いだ。

真曰く、「J○Lだけじゃなく、アタシたちだって、ワゴンがギャレーに納まらない時、トイレに収納することだってあるわ。」などという話を飲み会の席で得意げに披露する。

このオンナ、いや、このオトコ、現在のようにブログが全盛な時代なら、きっとこんな話をブログネタで晒すタイプだ。

真「アタシ、そろそろCA辞めるわ。」
真「でもね、アタシ、J○Lだったらきっと居座るわ。」
有りがちな話の展開だ。

真「そうよ!有りがちよ!何が悪くって!」
有りがちなんて誰も実は言葉では言っていない。
しかし、本人は自覚しているようだ。

飲み会の一同「はいはい、分かりました。マコちゃん。」

真「ごめん、アタシ、先に出てアマンドでミルフィーユ戴いちゃっていいかしら!馳河!あんた今夜も付き合いなさい!」

何!
まだ馳河と真の関係は続いているのであった。
馳河の落としどころは、分かりやすい。

小説「広告屋という待合室の椅子」

2009 あけましておめでとうございます。


※以下は、以前から某ブログでアップしていたフィクション的日記です。



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序章:「六本木交差点アマンドの苺ショート」

風邪症候群に冒され実際に微熱がありますが、熱が醒めない内にしたためます。六本木交差点アマンドでの出来事。

大学の先輩・馳河は、その人物と六本木交差点前のアマンドで出合った。馳河は、その人物をニューハーフと気づかず、一夜を共にした。

その一夜の始終を書き記すほど私も無粋ではない。
想像を絶するほど艶めかしく悩ましい一夜だったであろうことだけを記しておきたい。

しかし、残酷なことにそのニューハーフが朝方には髭面であることを目視した馳河・・・。
私のように粋な心意気を持ち合わせず、なんとそのニューハーフと朝方から口論を始める。

その内容とはこうだ。

「なんでお前は男なのにそんなに男のツボを分かっているんだ!」
一見正論のようで、まったくの愚問だ。

「なに言っちゃてるのよ、あんた!男だからに決まってるでしょ!」
まったくの正論で愚かしい。

そんな馳河は我に帰ったのか、そのニューハーフにこう提案する。
「せめて俺の前では髭面になるな!」

そんな妥協方法があるのか。まったく妥協点が理解し難い男、それが馳河という男だ。


(つづく、と思う・・・)

僕のサッカー選手生命

マンU世界一!ルーニー決勝弾でMVP


僕のサッカー選手生命は、小学校5年生で終わった。
なんて、かなり大袈裟。

僕は子供の頃、かなり足が速くて、高学年の頃は校内一二くらいの速さだった。
何だか走ってばかりいたように思う。

そして、小学校のサッカークラブに入部して、当時はスリートップのセンターフォワードだった。
しかし、成長期に走り過ぎたのか、踵の骨が痛くて医者に行ったら、
成長期の障害なのか、サッカーは暫く止めるように言われた。
しょうがないので、担任が顧問の理科クラブに入って時間を潰した。

小学校時代の二人の親友とは、それ以来疎遠になり、中学も、そして受験して偶然合格した同じ都立高でも、またその二人とも一緒になったが、そこでも殆ど話もする機会もなくなっていた。

僕は中学でも高校でもサッカーは、結局やらなかった。
それほど当時の東京、いや多くの日本の都市ではサッカー文化があまり根付いていなかったためか、サッカーへの興味もなくなっていた。

そして、大学卒業後、広告会社では偶然、当時のJリーグの前身の日本リーグのプロモーションにも関った。
その時の思い出としては、1部リーグと2部リーグ両方のプロモーションに関ったが、2部リーグに関してはあまり予算もなく、同じ広告会社のアートディレクターに「こんな詰まらない仕事を持ってくるな!」と罵倒され嫌味を言われたのをよく覚えている。

そう、そのディレクターのオヤジは、僕以上にサッカーに興味がなかったんだろう。
でも、サッカー好きの同世代のコピーライターは喜んで仕事をやってくれた。ありがとう。サッカーファンのみんな!

当時、慶応サッカー部OBで博報堂のOさんからは、トヨタカップの招待チケットも戴いたのに、行かなかったように記憶している。

今思うと、サッカーを子供の頃に断念したのは、僕の小さな心の傷になっているのかなとも思う。

昨夜も、クラブワールドカップは殆ど見なかった・・・。
でも、サッカーボールは今でも蹴りたいと思う。
先日も早稲田のグランドでサッカー部の練習風景を思わず眺めていた。