自己紹介 前編〜北タイ・チェンマイの山へ〜 | 読んだ後ちょっと元気が出てるといいな✨日々のチョイスで人生を変える

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タイチェンマイでカレン族の村に家を建てさせてもらって。カレンの村での暮らしや自宅出産、山奥での自給自走生活、これまでの経験をシェアしながら、勇気と元気をお届けできたらいいなぁ
太陽♑️月♊️Asc♏️数秘33kin62

 

 

 

 

初めまして。

いつもお読みくださっている

皆さんには改めまして。

 

 

タイに行ってきました!

の紀行文を投稿している最中でしたが

 

自己紹介ができていないと

 

読んでくださる皆様が

???この人は何をしに行っているのか???

となってしまうといけないので

 

先に自己紹介をさせてください😊

 

 

 

 

 

 

突然ですが

わたしは「家、ついて行ってイイですか?」

というテレビ番組が大好きです。

 

 

一見「普通」に見える人々

なんの苦労もなく見える人々から

びっくりするような歴史やドラマが

語られるからです。

 

 

わたしたちの人生

誰の人生も

それぞれが二つとないドラマなんだ、

 

そう感じられるからです。

 

 

 

 

 

 

わたしの出身は神奈川県の海沿い

バブル期のごく普通の女子大生でした。

 

 

それ以前も

もともと

父はちょっと変わったワンマンな人

ではありましたが

わたし個人は

これといって個性のない

ごくごく普通のオリーブ少女でした。

 

 

 

テニスよりもダンパの盛んな

テニスサークルに

所属。

それも

他に場所がないからというだけの理由で。

 

 

 

 

 

 

 

 最初の転機は、20歳の時の父の死。

死期が近づいた時

父が再婚で、

わたしには、歳の離れた母違いの姉が

二人いることを知りました。

 

 

姉たちも最後に父に会えるように

そして相続のこともあったからです。

 

 

 

最初にそのことを知った時、ショックよりも

胸がときめいたのを覚えています。

 

 

自分にまだあと二人姉がいる!

しかも大人のお姉さん!

お話しする日が楽しみでした。

 

 

 

しかし現実はそう甘くなく

 

彼女たちにしてみれば

わたしたち親子は

彼女たちに不幸を味あわせた元凶

 

 

のんきに育ったわたしは

なおさら憎しみの的であったようです。

 

 

 

人が人を憎むって

ドラマじゃなくて本当にあるんだ・・・

初めて知りました。

 

 

 

 

 もっと大きな転機は

天安門事件でした。

 

ショックで学校にも行けず

三日間ニュースがニューズウィークなど

当時できる限りの情報を集めました。

 

 

なぜだかわかりませんが、

戦車の前で轢かれて亡くなる人を見て

自分もかつてそんなところにいたことが

あるような気がしたのです。

 

 

 

そこから人種差別や部落問題に

興味を持つようになっていきました。

それまでは、

大学卒業後はスタイリストか

ファッション雑誌の編集者に

なりたかったのですが

 

 

卒業間際に思い立ち

卒業後に専門学校に通って

日本語教師になりました。

 

 

 

 


 

 

 

協力隊時代
ラーチャパット大学チェンマイ校での
授業風景

 

 

 横浜の日本語学校の講師になって

3年目に入る頃

青年海外協力隊の日本語教師として

タイ第3?の都市チェンマイへ。

 

当時の教員大学の

観光学科や英語学科の学生たちに

副専攻としての日本語を教えました。

 

 

 

 

2年の任期を終えた後

山岳民族の方々の

識字教育事情を知りたくて

識字学級に通おうとしたところ

ご縁あって、チェンマイ大学の大学院で

学ばせていただくことになりました。

 

 

教育学部

ノンフォーマルエデュケーション学科

 

人が3人以上集まれば社会

生きていること全てが学習なのだ、

という学科

 

 

同期は社会人が多く

現役の教師

看護師

県庁職員

お坊さんなど

バラエティに富んだメンバーでした。

 

 お坊さんは、

女性に触れてしまうと

修行のやり直しになってしまうので

ノートの貸し借りも

机に置いて。

 

 

間違っても

手と手が触れたりしないように

気をつけなければなりません🤭

 

 

なるべく頭の働く

リラックスできる格好で、

という先生の指示で

他の学科とは違って

服装も自由

 

 

みんなコーヒーを飲みながら

椅子の上で胡座をかいてもOKの

自由な雰囲気でした。

 

 

でも授業はなかなかハードで

数センチの厚みの本が

毎週課題に出され

次の週はその本について考察を述べる

テストとディスカッションがあります。

 

 

それが各授業毎なので

結局毎日1冊くらい

それら分厚い本を読まなければなりません。

 

 

 わたしごときの

来るところじゃなかった‥

と毎晩泣きたい気持ちでしたが、

泣いている時間も惜しい😭

本を読まねば!

そんな日々でした。

 

 

 

 

あんまり実りませんでしたが

人生の中で

一番勉強した日々だったのは

間違いありません😅

 

 

 

大学院の合格通知と

結婚して妊娠がわかったのが同じ日

やれるところまでやってみよう!で

大勢の皆さん、誰より夫の協力を得て

赤ちゃん連れで授業に通い

論文の要旨合格まで学びました。

 

 

 

 当初は赤ん坊を夫に預けて

授業に出ていたのですが

そのうち教授が

「なぜ子どもを連れてこない?

子どもと大人

男と女

体が自由に動かせる人も

そうでない人も

みんないてこそ社会だ。

赤ん坊がいたら

リラックスできて

みんなにとってもプラスだから

連れて来なさい」

 

と言ってくださり

 

コの字型机をに並べて

ディスカッションする真ん中に

ゴザを敷いて

長女と一緒に座って

授業に参加しました。

 

イギリス留学経験のある教授は

ことある毎に

 

「僕が尊敬する人は二人。

 うちの妻と

 ジョニ氏だ」

と言っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョニ(本当の名前はジャパニ、日本)さん
カレン族風にいうと
サポパ(サポのお父さん)おじさん

 

 

この

ジョニさんというのが、

わたしのブログで度々登場

今回のタイ旅行でも

最も会いたかった人の一人、

 

山岳民族カレン族の

ジョニさんのことです。

 

山の人たちを

下に見る傾向のある社会の中で

本当に

心から尊敬できる教授でした。

 

 

わたしが論文のテーマに選んでいたのも

カレン族。

タイの教育を受ける中で

彼らの失うものと得るものとは、

というあたりがテーマでしたが

 

フィールドワークに入る頃には

テーマうんぬんよりも

カレン族の生き方に学びたい!

という気持ちが強くなっていきました。

 

 

 

山岳民族自身で作ったNPOで働く夫と

1歳の娘と3人で

カレンの裏に家を建てさせてもらい、

1年ほど暮らしました。

 

 

森や川や

草花や動物たち虫たちと同等の

自然の一部と自分達を認め

「パガニョ(人間)」と自称するカレン族の人々。

カレン族、というのは

英語の呼び方で

彼らは自分達をパガニョと呼びます。

 

 

 

村では

火を起こす事

機織り

薪運び

子守り

 

何をやっても5歳の子どもにも敵わない自分。

初めてのことは

できなくて当たり前かもしれませんが

そもそもわたしは

真似をする「目」さえ持っていませんでした。

 

 

 その頃のこと よかったら読んでくださいね

 

『サソリが合う体質でラッキー✨カレンの村より⑤』森や川や動物たちと同等の自然の一部として自らをパガニョ(人間)と呼ぶ カレン族の人たち     家族でカレン族の村に住んでいた。 その頃に  サソリ🦂に刺さ…リンクameblo.jp


 

 

 

 

その後

カレン族式の子育てを教えてもらいながら

2〜4人目の子たちは

自宅にて、家族だけで出産しました。

 

 

 

続き

後編〜信州の山で自給自足〜

 

また明日UPします!

 

 

ここまでお付き合いくださり

ありがとうございました😊✨

 

後半もよろしくお願いしまーす♡

 

 

 

 

 

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