網戸越しの夕焼け
チェンマイに着いて3日目
ついに、
以前住んでいた
トゥンルアン村へ。
わたしと心友のアビーは
彼女の夫が、
出発前から日程や車の手配などを
心配するのをよそに
「二人でバイクで行けばいいよね」
と話し合っていました。
疲れたら、休み休み行こう
日本からわざわざ会いに行くのだけれど
しかもそれが
今回の旅の最大の目的でもあるのだけれど
体調や天気など
状況次第で
「適当に」動きたかったので
はっきりした日程も決めていませんでした。
行けるはずなら
きっと行けるし
会える人はずなら
きっと会える
そんなふうに思っていました。
わたしがパガニョ(カレン族)の村に
住んでいた時の様子などはこちらをご覧ください
⇩
https://ameblo.jp/michikomiike/entry-12796616365.html
チェンマイの中心部からは
車で30分ほどの
山に上る手前の小さな町まで
アビーのお姉さん夫婦が
迎えに来てくれました。
市場で魚やお菓子
フルーツなど
お土産を買って
25年前は
車を持っている家は
お金持ちのキメモばーちゃんの家
一軒だけだったけど
今は
「みんな持ってるよ」
ほぼ毎日のように
花や野菜を売りに
下の町まで出てくるのだそうです。
エアコンの効いた
涼しい車で村まで。
当時は
バイクに夫と娘と3人乗りで
トゥンルアン村まで
上っていました。
約3時間かかって村に着くと
赤土を被りまくって
髪が金髪?赤毛?みたいに
なっているのがお約束でした
手前がタポポ
パガニョの伝統的な料理
まずは
アビーの実家へ。
アビーがお母さんに
わたしの大好物だった
タポポを作ってくれるよう
頼んでくれてありました。
タポポとは
薄めのカレー風味の汁?
濃度はカレーというより
豚汁くらい
ご飯にかけて食べるのに
なぜか
少量の米が入っています。
(なぜそこに米を?
そこがちょっと
日本人には不気味に見えるかもしれませんが)
他の具は
タケノコとか?
結婚式やお正月に食べる
ご馳走だったはずです。
向かって右がアビー母
左がアビーの2番目の姉
もう一品は
アビーのおばさんが作ってくれた
なんらかの葉っぱとニャポ缶(魚の缶詰)
の炒め物
どちらも美味しかったです
25年前と変わらない味
ものすっごく美味しいわけではないけれど
いくら食べても飽きないような味。
電気が来ていても
家の中は大きな変化なく
家にはプロパンガスも
買って来て使っていたけれど
依然として囲炉裏や七輪も使っているみたい
床は竹でできています。
アビーの長姉さんの家
右は当時赤ちゃんだった次男くん
その後
村でわたしがいちばん仲良しだった
アビーのお姉さんの家へ。
最初に迎えに来てくれた人です。
お互い50代にになったんだねぇ
とか
わたしのスマートフォンに入れてある
当時の写真を一緒に見たり。
赤ちゃんだったり
泣き虫のチビちゃんだった子たちが
結婚して親になっていて
お互いちょっと大変だった時代を
乗り越えて
とにかく今は元気そうでよかった✨
生きてるうちに
もう一度会えると思わなかった
なんて話を。
万国共通です。
そして
いちばんお世話になった
ブチャパ&ブチャモ一家の家へ。
当時、娘と一緒に遊んでくれていた
彼らの二人の孫も
二人とも結婚して
抱っこしているのが三人目の子。
ひいおじいちゃん&ひいおばあちゃんです。
あちこち痛いという話。
でもそれでも
行きてまた会えてよかったね。
他の家族はみんな元気?
どうしてる?
結婚した?
写真ある?
なんていう話の後
「ところで
その髪色はなんだ。
前は真っ黒だったよな?
白髪になったら白髪になったで
老いを受け入れなさい」
とお小言をいただいたり
お土産のお菓子
ありがとうな
で、
今度来るときは
こんなのを買って来て欲しいんだけど
とか
そんなところも
全然変わってない
美化されかかっていた
記憶を
彼らしい彼像に
戻してくれました
25年を
一気に飛び越えさせてくれました。
次回は
このブチャパおじさんのいとこ
ジョニさん(サポパおじさん)一家を
訪ねた話
彼はパガニョ(カレン族)の英雄
わたしにとっても英雄であり
人生の師です。
地球みんなの英雄に値する人です。
お楽しみに
読みに来てくださいね✨
ここまでお読みいただき
ありがとうございました😊✨