タイ・チェンマイ旅③ 前の井戸と後ろの井戸 長老に会いに | 読んだ後ちょっと元気が出てるといいな✨日々のチョイスで人生を変える

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タイチェンマイでカレン族の村に家を建てさせてもらって。カレンの村での暮らしや自宅出産、山奥での自給自走生活、これまでの経験をシェアしながら、勇気と元気をお届けできたらいいなぁ
太陽♑️月♊️Asc♏️数秘33kin62



「前の井戸と

後ろの井戸を

大切に」


〜ジョニさんから聞いた

パガニョの言い伝えより〜



新しい文化と

昔から継承してきた文化

そのどちらかだけに偏るのではなく

両方の井戸(文化)を

大切にしていきなさい





会えました。大尊敬する方に。


 

向かって左がジョニさん
カレン(パガニョ)語で言うと
左がパティ・サポパ
右がムガ・サポモ






カレンの人たちは

子どもができると

〇〇のお母さん、お父さん、

という呼ばれ方に変わります。


特に年長の方に対しては

お名前で呼ぶ方はあまりないようですが、

ジョニさんに対しては
カレン(パガニョ)の言葉や習慣を知る前から
「カレン族ジョニさん」と呼んでいたので
ジョニさんのままで書きますね。





ジョニさんが生まれた
今から80年ほど前
ミャンマーでのインパール作戦の後
村を通った日本軍に
村人は宿や食べ物を提供したそうです。



旅人が赤ん坊の魂を運んで来るという
パガニョの信仰から
彼は
「ジャパニ」
と名付けられました。
(登録時の手違いで
「ジョニ」になってしまったそうです)




 

25年前の
ジョニさんとうちの娘
「日本」という名のカレン人
「カレン)という名の日本人


わたしが知り合った頃のジョニさんは
すでに
カレン族(パガニョ)のカリスマリーダーであり
北タイ農民のリーダーでした。

「ブワットパー
(森の得度式 お坊さんになる儀式)」

と言って
お坊さんの袈裟と同じ色の布を
木に巻きつけ、
その木を出家させて
切れなくする、
という森林を守る運動で
数千万本の木を守った
そのリーダーでした。



いつもニコニコしていて
気取らないお人柄の中に
時々ピシッと
背筋が伸びるような。

「昨日、クリントンの嫁さんと
飯食ってきた
(来タイの歓迎パーティー?)」などと
ごく普通に言うような
知る人ぞ知るカリスマでありながら

ニコニコしている
気さくなお人柄

今回も
おばさんが身体中あちこち痛い
と言うのに対し
オレは酒飲んでるからどこもなんともないニヤリ
とうそぶき
「飲み過ぎよ!」と怒られていました。





青島都知事時代
東京都主催の森と水のフォーラムに
招聘されたことがありました。

こういうお招きがありますが、
一緒に日本に行けますか?
と聞いたところ

いつもの肩がけカバンのまま
「行く」
と立ち上がりました。

行くのは今じゃないです💦
と慌てて座ってもらい

今すぐでも行けるの?と聞くと

「パスポートはいつも持ってるし
どこで死のうと一緒だ」
とのお返事でした。




 大きな集会で演説するジョニさん



その時のフォーラムでは
わたしもジョニさんの通訳として
ステージから客席を見ていました。

有楽町の大きなホール

それまでウトウトしていた
日本人のお客さんたちが
ジョニさんが話し出すと
みなさん目を開けて
聞いていらっしゃったのが
印象的でした。

言葉はわからないでしょうに
まるで話が通じているようでした。



主催者側は
タイ語の通訳さんを用意していらしたのですが、

その方が
ジョニさんの北タイ訛りの言葉を聞き取れない、
とのことで、

ジョニさんの方も
「だめた、話が通じない
 お前できるだろ」
ということで
急遽通訳をさせてもらうことになりました。


通訳の方とジョニさんの
話が通じなかったのは
訛りのせいもありますが

価値観が違いすぎて
伝わらなかったのだろう
と思いました。


そんなかっこいいジョニさんですが
翌日、鶴ヶ丘鎌倉の八幡宮に
お連れした時は
リス🐿️を見て
「あれ、うまいんだ」と
食べたがっていました🤭




 

天と地を形作るそれぞれ7つの層や
37の魂について
彫ったしゃもじをプレゼントしてもらいました✨


その会議以外にも
ジョニさんとは
先住民フォーラムで
1ヶ月間一緒に
屋久島に滞在したこともあります。

その時の気づき
また別の機会に書きますね。


今回の旅で
とても会いたかった人の一人が
ジョニさん


会えました!



20年以上経ったとは思えないほど
お変わりのない姿。


おおー
よく来たな、
変わってないな
と言って

ご自身用らしい水筒から
今朝淹れたコーヒーを注いでくれました。



これいるか?
50バーツで売ってる
と、薬草を漬け込んだ小瓶を見せてくれました。



貴重なものなのに、いいの?
と聞くと
だいじょうぶ、たくさん作ってる
工場だ😁
と笑いました。



      ジョニさん作の薬草を漬け込んだ小瓶とその薬草






しばらく近況を話していると
息子のスウェさんが帰ってきました。

自給自足の暮らしをしながら
自分で育てたコーヒーで
カフェを営んでいるスウェたちは

前の井戸と後ろの井戸を
両方大切にしている生き方で
楽しんで暮らしていました。



スウェさんたち一家との再会については
また書きますね。



最後までお読みいただき
ありがとうございました😊✨