わたらせ渓谷鉄道で足尾銅山へ③通洞→日光 | ☆出かけよう!気のむくままに…☆

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 北千住から東武鉄道とわたらせ渓谷鉄道(鐵道)を乗り継いで来た通洞駅。正面の取付道路を100メートルほど歩いてあかがね街道(足尾銅山街道)に出ると、相老側の右に進む。足尾銅山閉鎖で街は寂れ、少し古い感じの建物が街道沿いに目に付く。

 200メートルほどで足尾銅山観光への分岐点に着く。右の駅前からの道、左の銅山観光への道が少しずれた感じであかがね街道と繋がっている。道路右側のコンクリート斜面に大きな看板が出ているので迷う事はない。

 左折して銅山観光に向かう。高架道路をくぐった先に足尾銅山観光がある。高架の手前に日光-足尾ルートの日光市営バスのバス停もある。分岐点から150メートルぐらい、道路の行き止まり地点の左の建物に、観光トロッコ列車乗り場と足尾銅山観光のチケット売り場がある。入場料は830円。

足尾銅山観光入口

▲足尾銅山観光の入口は突き当りの左側建物にある。右の建物の横が出口になる

 

 車で来ている観光客が大半だろうが、自分を含めて10人ぐらいがトロッコ列車待ちの列を作っていた。トロッコ列車は随時運転されていて、10人乗りぐらいの車両が3両で1編成になっていた。

 まもなく、河岸段丘上の乗り場に小さな動力車がトロッコ列車を押し上げてきて入線。係員の誘導で観光客が乗り込むと、今度は動力車が先頭になって坑道に向かって発車だ。段丘上から右にカーブしながら急傾斜を下っていく。たぶん隣りの渡良瀬川レベルまで下ると思うが、高い堤防に遮られているのでトロッコ列車から渡良瀬川は見えない。

 単線のトロッコ軌道、降りたところに上下線の入れ替えゾーン(信号所)があり、もう一つの編成が待ち受けている。こちらの列車も一旦停止して動力車が切り離され、スイッチバックして先に退避していた乗客のいないトロッコ車両に連結。車両を乗車口まで押し上げていく。

トロッコ線信号所

▲信号所で対向車両を待つ無人トロッコ車両…

ポイントは左通行のスプリング式のようだ

 

トロッコ列車交換

▲坂を下りてきた観光客の乗車したトロッコ列車…

ここで先頭の動力車が切り離される

 

トロッコ機関車付替え

▲切り離された動力車…スイッチバックして無人のトロッコ編成に連結する

 

 動力車の切り離された客の乗車しているトロッコ編成は、先頭の座席に乗り込んだスタッフが運転してゆっくりと坑道に向かう。結局、トロッコ列車にもモーターは付いているようで、動力車は急勾配用の補助動力として使われているようだ。

炭鉱入口

▲信号所から坑道に向かって進むトロッコ列車

 

トロッコ入坑

▲トロッコ列車と坑道入口を俯瞰する

 

 トロッコ列車は坑道を100メートル入ったところで停まる。現在、観光用に整備されている区間はここまで。乗客は線路脇に降りて、いったん坑道の少し奥のネットまで行って見学。その間にトロッコ列車は坑道を戻っていった。

通洞抗観光トロッコレール

▲足尾銅山坑道…奥に戻っていくトロッコ列車が見える。

 

 観光客は見学コースに従って坑道の途中から別の坑道に入っていく。コースのところどころには、当時の鉱石採取の様子が分かるように人形も置かれていた。

坑夫人形

 

採掘風景

▲よりリアルに再現された坑道軌道と鉱石トロッコ

 

 鉱石の標本などが置かれた部屋も見学してから外に出た。信号所と坑道入口の間の小広場で、こちらにも鉱石を乗せたトロッコ貨車が展示されている。

砕石トロッコ貨物

 

 信号所の横に地味に堤防へ上る階段があり、河原に下りられるが自己責任でというようなことが記されていた。堤防に上ってみると、木製のベンチの置かれた狭いエリアがあり、渡良瀬川と足尾銅山坑道が堤防を境にしたほんの隣り合わせなのが分かる。もっとも、ここの坑道は長大な坑道を持つ足尾銅山のほんの一ヶ所に過ぎない。

 そもそも足尾銅山は、1610年(慶長15年)に農夫が発見した鉱床から始まり、江戸幕府の直轄鉱山として栄え、衰えた明治時代には古河市兵衛(古河鉱業)によって新鉱脈が発見されてピーク時には日本の銅産出量の4割を記録する大銅山になった

 その後は徐々に衰え、1973年(昭和48年)に採鉱中止となり、1989年(平成元年)には精錬事業も中止となった。坑道の総延長は1,234kmという。

 足尾銅山と言うと、精錬工場からの排煙(亜硫酸ガス)による大気汚染や、廃液による下流の水質・土壌汚染が大きな公害問題となった事でも有名だ。禿げ上がった山肌も足尾の特徴となったが、植林も進み今ではだいぶ山に緑が戻ってきた。

 

 渡良瀬川の河原に下りてみたが、雑草はまばらで枯れているものもあり、無理なく歩けた。ただ、草の種がズボンにびっしり貼り付いたのには参った。数輪のコスモスの花には癒された。

渡良瀬川川岸

▲渡良瀬川…足尾銅山の観光用坑道とは堤防を挟んで隣り合わせだ

 

 そうまでして河原に下りたのは、バスの時間までまだたっぷり時間があったからに他ならない。俯瞰的なトロッコ列車の写真も撮ったが、やはり時間は余ってしまった。

 それでも、信号所向かい側の階段を上って記念品の販売所を通り、建物の外に出ると道路突き当たりの入場券を買った建物とは反対側の建物だった。

 駐車場を横切って、公衆トイレの先の銅山観光前バス停でJR日光駅行の市営バスを40分ぐらい待った。15:20に自分の他に年配の夫婦を乗せた座席数17のマイクロバスは出発。街道沿いのバス停にこまめに停車し、通洞駅前で乗客5人になり、足尾駅前では10人になる。海外からのカップルの方もいて、こんなローカルなバス便にまで海外観光客が乗るとはと驚いた。

 間藤駅付近でさらに1人乗車して、11人の乗客を乗せたバスは国道122号を細尾峠に向かって山道を上っていく。山の方は少し紅葉している。この10月下旬頃は日光の中禅寺湖湖畔(1269m)が紅葉のピークで、いろは坂も上の方から色づき始めてきたようだ。

 1978年にバイパスの日足トンネル(2,765m)ができてからは、狭くて急カーブの連続した細尾峠(1193m)越えはなくなり、日光-足尾間が近づいた。この市営バスも途中からバイパスに入り、スムーズに進む。トンネルの足尾側は標高910mあまりで、日光側は850mあまり。トンネルを出て、日光駅に向かって谷筋を下っていく。細尾からは支流谷から大谷川沿いの河岸丘陵を日光駅に向かう。

 安良沢辺りからは日光の紅葉狩りの帰り客か、片側交互通行区間があるからか、道が渋滞してくる。ゆるゆると進み、細尾リンク入口で1人降りる。さらに日光植物園で2人降り、乗客は8人となる。東武バスとの運行区間の重なるこの辺りは、市営バスは下車のみで乗車はできないため乗客はこれ以上増えない。

 神橋隣りのT字路を右折すると、渋滞は緩和し始めて、あとはスムーズに東武日光駅まで走った。運賃1,200円を払って下車。予定到着時刻は16:12だったが、渋滞で30分以上遅れ、16:22発『リバティけごん40号』に乗れず、17:24発『リバティけごん44号』は満席でチケット買えずとなった。

 もっとも、「リバティ」はだいたい3両編成なので、予めチケットを買っていないと乗れないことが多い。結局、17:44発の6両編成スペーシア『けごん46号』の特急券を買った。こちらは余裕で買えた。

 

日光軌道線展示列車

▲東武日光駅前に展示されている日光軌道線車両

 

 発車時間まで50分以上あったので駅の売店を覘いたり、駅前をぶらついたりした。それにしても日光駅前は人が多い。ほとんどが海外からの観光客なので、平日も休日も関係ないようだ。

 腹が減っていたので、以前撮影に来た時に地元被写体の人に教えてもらった店に入って「ゆばそば」を食べた。駅前の店は閉まっているところもあったが、この店は盛況で客が次々と出入りしていた。勿論、そばも美味かった。

 外に出ると陽は落ちて、だいぶ暗くなっていた。自動改札を通って構内に入り、普通電車や「リバティ」「スペーシア」の写真を撮った。東武日光駅は3面5線の末端駅で、短いホームの①②番線が普通専用ホーム、長いホームの④⑤⑥番線が特急用ホームとして使われている。普通ホームと特急ホームはVの字型の配置になっていて、駅舎の位置はVの字の上側になる。

東武日光駅舎内側

▲駅構内から見た東武日光駅の駅舎…

左手前側に普通電車ホーム、右手前側に特急電車ホームがある

 

 『リバティけごん44号』と普通南栗橋行を見送ってから、いちばん外れの⑥番線ホームに入線していた『けごん46号』に乗り込む。半数以上の席が埋まり、定時に発車する。やはり、周りには海外からの観光客が多い。

スペーシア「けごん46号」

▲東武日光駅⑥番線『けごん46号』後面…100系スペーシア

 

 東武日光からのルートはいつもの感じだ。そのまま順調に北千住まで戻った。やはり複々線区間のスピード感はいい。

 

 

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 わたらせ渓谷鉄道で足尾銅山へ①北千住→神戸