いわき~原ノ町~相馬② | ☆出かけよう!気のむくままに…☆

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 いわき12:14始発の5両編成普通原ノ町行発車。いちばん後ろの車両は乗車率は3割ぐらい。この電車の前後の原ノ町行は 9:22と15:19。途中の広野までの電車は前後に1本ずつあるが、その先に行く18キッパーにはなかなか厳しい。ローカル線や不採算路線の切り捨ての流れがこのところ大きくなっているが、鉄道好きとしては悲しい。

 昔はいわきの次の草野行とか、二つ目の四ツ倉行が上野発であったが、今は水戸発原ノ町行が1日2本ある(下り)だけ。

 

 複線区間の終了駅・四ツ倉で乗客がかなり降りた。駅周辺は民家もあるが、密度は低い。単線区間となり、久しぶりに太平洋が右手に見えてくる。海岸部の丘陵地を北に進み、谷筋のところから海がのぞくという車窓が続く。

 久ノ浜も過ぎ、末続が近づいてくると懐かしい感じだ(→ 2016年夏:竜田・末続 )。末続は前よりもきれいになって人が戻ってきた感じだ。人影は見えなかったが、どことなく生活感を感じる。ただ、周辺の家は減った印象。たぶん、人の住まなくなった家を取り壊したのだろう。車窓からだが、海岸部の工事はだいぶ終わった感じだ。

 

 次の広野は2面3線の駅だ。②番線に12:37着だが、はたして3線使っているのだろうか?1編成夜間留置されるみたいだ。乗り降りは多いとは言えないが、それなりにある。駅の周りは空地が多く、ポツンポツンと家がある。少し離れたところには田畑が目立つ。

 広野から再び複線区間となるが、電車の運転本数を考えれば、単線でも運行できそうだ。次のJヴィレッジ駅はサッカーのナショナルトレーニングセンターの最寄り駅として2019年4月に臨時駅として開業、2020年3月に常設駅になった新しい駅だ。南側は1面2線、北側は2面2線の変則的な駅構造の無人駅。

 上り線路と下り線路が北に向かって離れていき、ホームの中央付近からホームも二股に分かれる。その間をスロープが上に延びていき、駅舎の無人改札口へ続いている。階段、エレベーターもある。

 

 複線区間は次の木戸まで。上りいわき行を待って木戸を発車。この先、原ノ町まで行き違う電車はない。若干の乗り降りがあり、自分の乗った車両は乗客5人ぐらいになった。

 6年前に訪れた当時の北限地・竜田に12:50到着。あれから駅前が整備された。2面3線のホームだが、線路が錆び気味で、広野よりも運転本数の少ない竜田には3線は多く思えた。6年前は新しいバラストの線路が2面3線敷かれていたが、使っていたのは1線のみ。今は2線で足りそうだ。

 竜田を出るとまもなく、やや長い金山トンネル。トンネルを抜けると海岸部の福島第2原発に近づいていくが、車内からは山陰となり原発は見えない。竜田とか、富岡以北なら施設の一部が見えるかもしれない。

 全体で20人ぐらいの人が降りた富岡駅も2面3線だった。竜田-富岡間は6.9キロ離れているのでそれぞれの駅に交換ホームは必要かもしれないが、3線は多いような気がした。震災復興のための臨時車両のホームとしても使われるのかもしれない。駅舎が津波で流失した富岡駅は2017年10月の竜田-富岡間の開通に合わせて、以前よりも北へ100メートルほど移設して作り直された。駅前広場などは整備されたが、周辺部にはなお区画整理中のところがあった。

 

 沿線に事故を起こした福島第1原発のある富岡-浪江間は、最後まで路線の開通が遅れた区間。地震や津波の被害で寸断された常磐線は順次復旧していったが、この区間だけは原発事故で放射線値の高いエリアだったため、なかなか状況もつかめず、運転再開までに時間を要した。

 放射線値が落ち着いてきたところで、汚染されたバラスト・枕木の交換、除草・伐採、表土などの交換をして更に放射線量が低下。倒壊した橋梁の撤去、架け替えなどの復旧工事を経て、2020年3月14日に営業運転は再開され、9年振りの常磐線完全復旧がなされた。

 

 富岡から線路は内陸部に向かい、天気がだんだん曇ってくる。阿武隈山地の方から雲が湧いてくるようだ。次の夜ノ森は1面2線のホームで朝夕に上下線の電車の交換がある。1面1線の大野では5人ほどが降りた。

 大野ー双葉間はもともと複線だったが、下り線を使った単線となり、上り線は線路を剥がして乗客避難・線区の保線用道路になった。下り線に並行して走る道路が、一見サイクリング道路のようにも見えるが、柵の内側にあるので一般の人は入れない。

 

 双葉駅は2面2線だったが、上りホームの線路はなく、ホームだけが残った状態。駅前は整備中で家はパラパラと建つだけ。汚染された建物は全て解体されたようだ。

 事故を起こした福島第1原発は最も近いところ(大野-双葉間)でも線路から4キロぐらい離れており、当然のことながら見えない。ただ、この原発問題が解決しない限り、汚染除去が進み、鉄道や道路が復旧して住民が戻ってきても、不安は拭いきれないだろう。

 

 双葉の次の浪江は2面3線で全体的に新しい。駅周辺もきれいで、子供たちを中心に乗客10人ぐらいが降りた。沿線は荒野、田畑、林というローカルな景色が続くが、次の桃内駅との中間あたりから電波の状態も悪くなりインターネット接続も途絶えた。平地も少ない丘陵部が多い印象。桃内駅を発車するとすぐに電波の状態もよくなり、インターネットも復活。

 小高は2面2線のホームからなり、貨物列車の待機用か、中線もあった。駅周辺の人家も目立ち、乗り降りもそこそこある。

 

 原ノ町の都市圏・磐城太田を過ぎると終点・原ノ町だ。13:37②番線到着。驚いたことにいちばん後ろの車両には10人も乗客が乗っていなかったのに、駅に着いたら夏休みだろうに前の4両から凄い人数の高校生が降りてきた。まさか、77.5キロも離れたいわきから乗ってきたわけではないだろうに、いつの間にこんなに乗っていたんだろうか。おそらく150人は下らなかったと思う。

 2面3線の原ノ町。改札口のある①番線が下りホーム。中線を挟んで②③番線が島式の上りホーム。改札口への階段はホームの後ろ側なので、高校生たちが大挙して自分がいる方向の階段に向かう。自販機横のごみ箱にごみを入れようとしたら、あっという間に高校生の波にのまれた。

 ここでの乗り換え時間は27分。途中下車するつもりだったので高校生の流れに乗って改札口に向かった。一般の乗客もけっこういて、東京方面からのSuicaが使えず窓口でSuica精算している人がいた。原ノ町は仙台近郊区間。東京方面からは浪江までしかSuicaの自動改札を通れない。

 

 有人改札で切符を見せて外に出た。2階建ての横長の駅舎の壁には野馬追の絵や、馬をあしらった駅名標示があった。相馬野馬追は相馬地方の各地で行われる伝統的行事の総称。原ノ町もゆかりがあるようだ。ただ、駅前は整備中で、見映えがたいへん悪かった。

原ノ町駅舎

 

 駅舎を出て右側、仙台寄りに駅を跨ぐ自由通路がある。その通路から線路沿いの道路を撮った。きれいでモダンな印象。

モダンな感じの駅沿いの道路

 

 ホームを撮る。右側に少し見えている車両が、乗ってきた折り返しの水戸行。上りで唯一の原ノ町からの水戸行だ。奥の留置線にも何編成か停まっている。

原ノ町駅北側

 

 ②番線の上から見た仙台方向。

仙台方面

 

 こちらは反対側いわき方向。下は③番線。折り返しの仙台行を待つ乗客が意外と多い。自分もそれに乗る。

原ノ町③番線と留置線

 

 再び構内に入って、①番線からいわき方向を撮った。

原ノ町駅いわき方

 

 乗務員が10人ぐらいで上りホームの外れに集まり、大声の気合入れみたいなことをしていた。何かの研修かもしれないが、完全に体育会系だ。

原ノ町駅①②番線ホーム

 

 ③番線から撮ったいわき方向。左奥、留置線の隣に所属乗務員の運輸区があるようだ。

原ノ町③番線からの留置線

 

 ③番線に仙台からの普通電車が入ってきた。折り返し仙台行となる。原ノ町を跨ぐ運転の普通電車は上下線ともなく、完全に原ノ町で運行分離されている。

原ノ町折り返し仙台行

 

 以下つづく。