いわき~原ノ町~相馬③ | ☆出かけよう!気のむくままに…☆

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 原ノ町14:04発仙台行4両編成に乗車。この電車を待っているお客さんがけっこういるように見えたが、発車してみると座席に2~3割ぐらいの乗客が座っているのみでガラガラ。相変わらず高校生の乗客が中心。地方の鉄道は夏休み中も高校生がいちばんのお客さんのようだ。

 福島県北部の海岸沿いの狭い平野部を常磐線は北上。海岸からは離れているので海は見えない。鹿島、日立木(にったき)と他にありそうな名前の駅を停車していき、原ノ町から3つ目の相馬14:21到着。自分を含めて10人ぐらいの乗客が降りた。

 

 相馬駅は中線のある2面2線の駅。ホームは10両編成の特急に対応して長い。18きっぷを駅員に見せて改札口を抜ける。小さな待合エリアとNEWDAYSがある。出口の脇にある地図を見て、相馬での1時間22分を中村城跡の馬陵公園に行って過ごすことにした。図の赤矢印が、今回歩いたルート。

相馬駅周辺図

 

 駅舎は原ノ町よりも小さいが、駅前は相馬の方が広々としていた。いつの間にか天気は回復していて、真夏の日差しに戻っている。駅舎を撮ってから、まずは駅前通りをまっすぐに西に進む。信号機のある交差点の3つ目を左折して、そこから南に向かう。暑い!

相馬駅舎

 

 左折してから最初の信号機のところに川のような外堀がある。そこを渡って次の信号機のある変則的な十字路の交差点の脇に内堀がある。外堀と内堀の間に昔は中堀があったが、この部分の中堀は埋められていて現在は住宅地や公共施設になっている。

 変則的な十字路と書いたが、歩いてきた南北に延びる道路がこの部分で緩やかなS字カーブになっていて、クロスする道路が東側・常磐線側が広い歩道付き道路、堀沿いの西側が細い道路になっている。東西の道路はわずかにずれている。

 

 右に折れて、堀沿いの細い道路を歩いていく。内堀の対岸は中村城の東二の丸跡で、現在は野球グラウンドになっている。内堀の外れで右に折れる道路越しにやや広い蓮池が見える(下写真)。北二の丸と北三の丸の間にある池で、現在は東の部分だけが残っている。ここまで、駅から15分ぐらい。

馬陵公園蓮池

 

 内堀と蓮池の間に城跡の中に延びていく道があるので、そこを登っていく。野球場の方には行けず、右側の民家で行き止まりになるが、林の中に遊歩道があって、そこを抜ければ南側の中の門の方からの道に出た。

 右の林の中へ進み、ここにもある二宮尊徳像の前を通って赤橋へ。

中村城跡赤橋

 

 橋を渡れば本丸エリア。一部整備中のような感じが残念だが、本丸の中心付近には明治13年に創建された相馬神社がある。暑い夏の午後、参道に人の姿は見えないが、趣きのある鳥居が鎮座している。天守閣などの城の建物は残っていない。

相馬神社

 

 結果として、横道のようなところから相馬神社の参道に出たので、本丸からは参道を下っていく事にした。すぐに斜面に架かる黒橋。

中村城跡黒橋

 

 黒橋から昔の南側の内堀跡が見下ろせる。眼下の樹木越しに参道が延びているのが分かるが、内堀は建物の建つその手前側にあって、現在は草地や湿地になっている。

黒橋からの内堀跡

 

 参道を下りていけば水路に架かる板張りの橋。橋というイメージではない。右に西二の丸の一角にある妙見曲輪(みょうけんくるわ)の社殿、現在の相馬中村神社の社殿がある。その場からは見えない。当時の建築様式を留めた国の重要文化財だが、手前にある民家のような感じの建物の前を通らなければ行けずに、躊躇してしまった。

 

 さらに右には、御神馬像が2頭置かれた天満宮だ。隣が砂利の駐車場になっている。

相馬中村神社天満宮

 

 その駐車場から御神馬を撮る。奥に下ってきた相馬神社の参道と、こちら側から見ると左の相馬中村神社への道の案内が見える。

御神馬・相馬中村神社・相馬神社

 

 駐車場から正面に延びる参道は中の門からのもの。黒橋から見えた内堀跡が左側で、右側が南二の丸、現在は長友グラウンドになっている。参道を逆に歩いていき、鳥居の向こうから振り返って写真を撮った。この写真だと、右が内堀跡になる。

中の門鳥居

 

 さて、南二の丸の東側入口にあたるのが中の門で、古くは一の門と二の門があったが、現在は残っていない。東二の丸(野球場)と東三の丸の間の内堀(写真)はこの辺りから残っていて、堀沿いに歩いていくと最初の変則的交差点のところに戻ることができた。

中村城跡東側の内堀

 

 ここで、中村城について簡単に説明する。相馬中村藩初代藩主・相馬利胤(としたね)が慶長16年(西暦1611年)7月に、中世に造られた中村城を修築する形で造営。わずか5ヶ月余りで入城できることとなり、小高から移り住み、相馬氏の居城となる。その後数年かけて堀や門、石垣や土塁などを整備していったとされている。

 天守閣は1670年の落雷で焼失、その後再建されることはなかった。利胤の時代には仙台の伊達氏に備えるために、南側は二重掘にだが北側は三重に堀を造っているというのがこの城の特徴である。現在は建物は残っていないが、土塁や石垣、水堀などの一部が残っている。

 

 変則的交差点から今度は東の広い馬陵通りに進む。中央公民館や市民会館などの公共施設が両側に並ぶ。二つ目の信号を左折。さらに次の信号を右折して常磐線に出会ったところで左折して線路沿いに歩き、駅に戻った。1時間10分ぐらいの散歩だった。

 構内に入って帰りの電車を待つ間、ホームから写真を撮る。②番線から撮った原ノ町方面の写真。

相馬駅原ノ町方

 

 振り返って、相馬駅の風景。上りは15:44発、下りは16:13発で、電車を待つ乗客の姿は少ない。ガラガラの上り電車で帰路についた。帰りの乗り換えは原ノ町、いわき、勝田だ。来る時に曇っていた福島県の(浜通り)中央部辺りで帰りは雨になったが、南部になったらやんでいた。

相馬駅仙台方相馬駅

 

 ところで、相馬から仙台側5駅先の浜吉田までは震災での津波の被害が大きくて、一部区間を内陸部に移設して常磐線は復旧しているということを付け加えておく。