先週読んだのは上橋菜穂子の「虚空の旅人」

いま読んでるのは秋元康の「象の背中」

実家に帰っていて本が手元になかったので感想が書けなかったのです。

さぼってるわけではないです。


どうも、読んだ本の内容を片っ端から忘れがちなんです。

読むのは好きなのですが身になりません。

タイトルをひたすらノートに書いたりしても結局はイメージや色しか思い出せず。

いい本だったよ!と友人に勧めたくても、どんな本だったの?と聞かれて答えられなければ信憑性なく・・・。

ここに本の感想を書き始めたのは半分が覚書みたいなものでもあるのです。


さーて、今日も長いぞ、これから。

車を降りても吠える声がしない。

ドアを開けても“おかえり”って歓迎してくれない。

着替えなくてもヨダレや毛で服が汚れない。

テレビのCMが長く感じる。

誰かがお風呂に入っているあいだ時間がつぶれない。

玄関が広い。

水飲みやごはんのお皿がない。

気を抜くといつも居たところに視線を走らせている。

物音がすると振り返ってしまう。

夜、起こさないようそぉっと歩いたりした後いないんだっけと思い出す。

庭で風のにおいを嗅いでいる姿がない。

しっぽが揺れていない。


先月22日、実家のわんこが死にました。

先日から帰省して犬のいない生活を送っています。

なんだかただいないだけという気がしなくもないです。

でも父の机の上を見ると・・・

現実でした、毎朝ごはんとお水は替えているみたいです。

死ぬ直前はすっごくくたびれた感じの犬でした。

ずいぶん痩せたんだなあ。

きちんと火葬してもらって、49日したらお墓はペット霊園とかではなく庭につくるみたいです。


9歳か。

私の人生のほんの一部でしかなかったはずなのに、すごく大きい。

家族を亡くすのはこれが初めてでした。


同じゴールデンを飼っていた友人に報告したら、きっと今頃2匹が初対面で遊んでるよ、と言ってくれました。

レオは友達があまりいなかったので、きっと喜んでるんだろうなー。

今さらですがマックのメロンパンをやっと食べてみましたメロンパン


袋がおしゃれさんにゃ

白と黒を基調として今までのマックとは違うぞ感を醸していますキラキラ

ただちょっと小さめかな・・・

食べた人の感想とか見てるとあまり良い評価はされてないけれど、どうなんだろ。



割ってみた感じはふわふわでもサクサクでもなく、なんか、もっさり??苦笑

見た目もなんだか詰まってる感じがしました・・・・

食べてみてもやっぱり、モサモサ笑

おいしいパンって、ふわふわorモチモチっていう表現が多いですよねー。

それとは明らかに違います。

ちょっと湿気ちゃった??というか。

クッキー部分もしっとりめで、普通より甘いような気がしました。


味は濃いめだし割と満足感あるので、ガキにとっての駄菓子みたいなものかな。

おしゃれを気取っていてもやっぱりマックなのでジャンクなまんまでした汗

でも実はこういうの嫌いではないのでまた食べると思いますぺこ



8日からマックでキティとのコラボポーチを発売するみたいキティちゃん

HPで見たけれど結構かわいかったWハート

DS用に買っちゃおうかな。


次のマックフルーリーはブルーベリー&オレオだそうです。

楽しみ~音符

久しぶりに訪れた場所から久しぶりに2駅歩く。

我慢できなくなるほどの暑さがやってきてからというものの、昼のうちから出歩いたのはこの夏初めてだ。

風が青空と曇り空とを交互に見せてくれる。


途中までは学校や公園などがあり、木陰が涼しい。

土のにおいがする。

蝉の声を聞いて歩くのはなんだか懐かしい。


線路沿いをしばらく歩く。

咲いているのは昼顔、オシロイバナ。

ひと月後には枯れた花に黒く小さな実がつくだろう。


コンクリートに囲まれた坂道の住宅街を抜ければ、それまでとは違った色と人混みが見えてくる。

街の端の小さなお店で友人の誕生日プレゼントを買う。

デパートではなかなか見つからない“あの人にぴったりなもの”が探せる、最近お気に入りの店だ。

私の誕生日に友人がくれたポーチと同柄のブックカバーにも出会えた。


そのまま帰るのが忍びなく街をぷらぷらしてみる。

吸い込まれるように古本屋に入り、そのままハシゴ。

今読んでいる本、借りた本、買った本、読みたい本がたまってしまった。

2軒目を出るとちょうど一番暑くなる時間。

逃げるように電車に乗った。


電車から見える川も夏色だった。


移ろい易きは空ばかり

心模様も同じならどんなにか楽だろう

テリー・ケイ/著


20世紀を迎えたばかりのアメリカが舞台。

ロッティーという少女(のちに女性)に関わった人々の物語です。

今では身近な大リーグやレッドソックスなんかの話もちょいちょい出たりします。


冒頭は、恐らく男性だろうということ以外は誰だかわからない人物の口から語られています。

この物語は古い日記や手紙に推測を交えたものに過ぎないと言っても過言ではない、と添えながら。


野球選手としての夢に破れたベンは、故郷へ帰る汽車で、同じく夢に破れたフォスターと、胡散臭そうな商人に連れられたロッティーと乗り合わせたことが運命の始まりとなります。

故郷で仕事をみつけ、自分の生きるべき路を歩み始めるベンとの偶然の再会、男の約束、友情、家族・・・。

ロッティーを巡るたくさんの人物の関係と心情が複雑に交錯していきます。


とは言え、ありがちな愛の物語とは全く別物。

そうならなかったのはロッティーがとても強く賢い女性だったからだと思います。

ロッティーは流れる水のように清らかで捉えどころがなく、蜂蜜のように甘く、どこか儚げで、一度見たら目を離すことのできないような薄幸の美女として描かれています。


少女の頃に家を飛び出したロッティーは永い時をかけて故郷の家(うち)に帰り着きます。

しかし、ベンの物語もロッティーの物語もそれで終わりではありません。

物語は子へ、孫へ、あるいは思いもよらないところへと繋がってゆくのです。



テリー・ケイの前作「白い犬とワルツを」がすごく良い作品でこの本を目にしたときも迷わず購入しました。

前作よりもとてもスケールの大きい、人間としての愛を感じる作品です。

ロッティーは何だかすごく女性らしい女性です。

作中で幼いロッティーが母から言われた言葉があります。

「~略~『どうして、どうしてってばかり訊くような寂しい人になるんじゃないよ』

~中略~『お前は寂しい人を見守ってあげる天使になりなさいよ、ロッティー。寂しい人たちの天使になるんだよ。しかめっ面をしている人は微笑ませてあげ、困った人がいたら助けてあげる、絵本の妖精みたいな人に』~」

そうなれたら素晴しいのに、と呟くロッティーはまさにその通りの人です。

この言葉がロッティーの人生を、傍目には一見困難な、でもそれ以上に素晴しいものにしたのだと思います。

様々なかたちの愛に満ちた、愛に生きた人生です。

何だかちょっと宗教っぽいかもしれませんが、この自虐的とも言える愛こそが昔から女性に求められてきたもののような気がしました。


故郷とは「人生をやり直すか死ぬかの瀬戸際」に帰り着くところだそうです。

まだそんな年齢ではないけれど、なんとなくわかります。

逆に、その覚悟を持って生きているかと問われると、恥ずかしながら返答に困ります・・・。

帰るべき故郷が、家があるということは幸せなことなんですよね。


“家(いえ)はただの場所であり、そこに人がいて初めて家(うち)になる”

ロッティーの帰るべき家はどこだったのでしょうか。