テリー・ケイ/著
20世紀を迎えたばかりのアメリカが舞台。
ロッティーという少女(のちに女性)に関わった人々の物語です。
今では身近な大リーグやレッドソックスなんかの話もちょいちょい出たりします。
冒頭は、恐らく男性だろうということ以外は誰だかわからない人物の口から語られています。
この物語は古い日記や手紙に推測を交えたものに過ぎないと言っても過言ではない、と添えながら。
野球選手としての夢に破れたベンは、故郷へ帰る汽車で、同じく夢に破れたフォスターと、胡散臭そうな商人に連れられたロッティーと乗り合わせたことが運命の始まりとなります。
故郷で仕事をみつけ、自分の生きるべき路を歩み始めるベンとの偶然の再会、男の約束、友情、家族・・・。
ロッティーを巡るたくさんの人物の関係と心情が複雑に交錯していきます。
とは言え、ありがちな愛の物語とは全く別物。
そうならなかったのはロッティーがとても強く賢い女性だったからだと思います。
ロッティーは流れる水のように清らかで捉えどころがなく、蜂蜜のように甘く、どこか儚げで、一度見たら目を離すことのできないような薄幸の美女として描かれています。
少女の頃に家を飛び出したロッティーは永い時をかけて故郷の家(うち)に帰り着きます。
しかし、ベンの物語もロッティーの物語もそれで終わりではありません。
物語は子へ、孫へ、あるいは思いもよらないところへと繋がってゆくのです。
テリー・ケイの前作「白い犬とワルツを」がすごく良い作品でこの本を目にしたときも迷わず購入しました。
前作よりもとてもスケールの大きい、人間としての愛を感じる作品です。
ロッティーは何だかすごく女性らしい女性です。
作中で幼いロッティーが母から言われた言葉があります。
「~略~『どうして、どうしてってばかり訊くような寂しい人になるんじゃないよ』
~中略~『お前は寂しい人を見守ってあげる天使になりなさいよ、ロッティー。寂しい人たちの天使になるんだよ。しかめっ面をしている人は微笑ませてあげ、困った人がいたら助けてあげる、絵本の妖精みたいな人に』~」
そうなれたら素晴しいのに、と呟くロッティーはまさにその通りの人です。
この言葉がロッティーの人生を、傍目には一見困難な、でもそれ以上に素晴しいものにしたのだと思います。
様々なかたちの愛に満ちた、愛に生きた人生です。
何だかちょっと宗教っぽいかもしれませんが、この自虐的とも言える愛こそが昔から女性に求められてきたもののような気がしました。
故郷とは「人生をやり直すか死ぬかの瀬戸際」に帰り着くところだそうです。
まだそんな年齢ではないけれど、なんとなくわかります。
逆に、その覚悟を持って生きているかと問われると、恥ずかしながら返答に困ります・・・。
帰るべき故郷が、家があるということは幸せなことなんですよね。
“家(いえ)はただの場所であり、そこに人がいて初めて家(うち)になる”
ロッティーの帰るべき家はどこだったのでしょうか。