夜勤明けの帰り道…
GWのまっただ中
やけど、
あまりに静かな京の街…
キオクに
留めときたくて
・ ・ ・
閑散とした
京都駅前から
烏丸(からすま)通をまっすぐ北へ
東本願寺前から右折、
渉成園の北辺を東へ♪河原町通に出て1つ北の通から、また東へ…
高瀬川沿い♪木屋町通を北上♪
昭和レトロなサウナとか古いお茶屋サン跡♪河原院の故地を過ぎて♪五条に出て…
五条大橋を渡って♪
擬宝珠の銘文とか♪川原の道の動物に人集まるん見たりして♪五条を東へ…
清和源氏ゆかりの若宮八幡宮♪
由緒を見たり♪末社見たりして…
石段の上の本社にあがって♪
拝殿でお詣りして♪境内を見て…
境内から
ふたたび五条に出て♪
少しだけ東へ進んだら、
東大路との交差点
東山五条♪

アノ森♪ノゾいてこ♪
(*^^)ノヽ(≧∀≦*)σ
ぐる~~っと見渡すと…
右(南)から

ココまで来て、
ちょっとだけ国道らしい車の量…?



左(北)に向かって
東大路が走ってく…
この角の石屋サン♪

お店の前に高札♪


ココ♪
五条坂の解説やね♪
東は清水坂から、
西は大和大路まで
五条に沿って緩やかな坂になってて♪
室町時代中頃に発祥した清水焼♪
その陶工たちの家が多かったんやて♪

横断歩道は
もぉちょっと北やね♪
ちょっと左(北)へ曲がって…
横断歩道から
南につづいてく東大路を見たら…

やっぱり車少ないね…
(((^^;)
横断歩道渡って、

まっすぐ森へ♪
森をノゾいたら…

緑に包まれた、

レトロな石造りの橋♪

『円通橋(えんつうきょう)』
てゆうんやね♪
幕末の安政3(1856)年12月に竣工した当時♪
『奇巧をつくした石橋』て珍重されて
『花洛名勝図絵』にも紹介されたんやて♪
『花洛名勝図絵』てなんやろ…?
思て
ググってみたら、
正しい漢字表記は『花洛名勝図会』♪
本文は木村明啓♪
挿絵は暁鐘成、四方義休、楳川重寛の3人♪
元治元(1864)年刊行の墨摺八冊本♪
どんなんか見たい人はコチラ♪
(σ≧▽≦)σ
⇒ 国際日本文化研究センター『花洛名勝図会』データベースへのリンク
さぁ♪
円通橋に行こ♪


まっすぐな石畳の道♪

石畳の白い参道の上に、
めっちゃ目立つ看板…

今はしょーがないよね…
(((^^;)
円通橋と
ソレにつづく石畳の参道の先に…

大谷本廟 (西大谷) ♪

ココは♪
西本願寺の親鸞上人の墓所で、
その霊をお祀りした廟堂♪
親鸞上人が亡くならはって
(弘長2年11月28日=1263年1月16日)
遺骸は鳥辺山南辺(現・大谷本廟 御荼毘所)で火葬…
(´-ω-人)
遺骨は鳥辺野北辺の大谷の地に納骨されたアト、10年後の1272(文永9)年に親鸞上人の末娘・覚信尼が諸国の門弟たちの協力で吉水の北辺に改葬…
ソコに建てられた
親鸞上人像を祀った六角の廟堂が
『大谷影堂』♪
(現・知恩院山門の北=崇泰院付近)
その廟堂が後にお寺化されて
『大谷本願寺』に♪
でも、
第8代蓮如上人の時(1465年)に
延暦寺衆徒に破却されちゃって…
(寛正の法難)
`Δ´)`Δ´)`Д´)ノ⌒●~* ε=ε=(ノT^T)ノ
以降、
本願寺は山科、大坂と転々として、
現・西本願寺の地に定着♪
そのアト、第12代准如上人の時(1603年)、
知恩院拡張に伴う大谷本願寺跡地の代替地として、幕府から親鸞上人が火葬された鳥辺山南辺の現在地を与えられて廟堂を建立しはったんがココなんやて♪
(大谷本廟のHPの沿革を元に追記)

左手(南)の方から♪

ぐる~~っと

1周見渡してくと…


あざやかな新緑の森♪

池(晧月池)の水が見えにくいくらい
緑がいっぱい♪

ぐるっと回って、

アッチが今来た方やね♪


大きい道路に面したトコやのに、


そんなん忘れちゃう風景♪



白い石橋のつづきに
聖域につづく白い参道♪

極楽へとつづく橋みたい♪

向こうにたくさん人影が…
(((^^;)
向こうから来る人を避けられへん
1本道やし、
たまたまノゾいただけやから
ココで撤収…
ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ

境内を出て、

右手(北)の方へ♪

向こうの角も、
サラに右手(北東)へ曲がったら…
2本の道標のゆう通り♪

右(東南)行ったら、大谷道♪
左(東北東)行ったら、清水寺道♪

モチ♪コッチ♪
(σ≧▽≦)σ
坂てわかるくらいの坂

あがりはじめてすぐ
新しげなホテル♪

その前を過ぎて、
長い坂道… (;^_^A

しばらく行くと、

分かれ道…

ドッチから行こ…?
<(・・; ≡ ;・・)ゝ
Next♪
(σ≧▽≦)σ