第一子は早産ながら出産できましたが、
その後4回連続で初期での稽留流産を経験しています。
これまでの経緯についてはこちら → はじめに(ブログ開始時点でのこれまでのこと)
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前の記事(流産後、休職するか悩んでる方へ① ー確認したほうがいいこと)
の続きです。
タイトルのことで悩んでいる方は、その選択をした人がどんな風にそうしたかが気になるのではないでしょうか。
こちらの記事では、私が4回目の流産後に休職すると決めたときの流れを書きたいと思います。
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流産わかってから休職に入るまで、時系列の経過
-妊娠前-
元々、当時従事していた仕事のストレスや家庭の多忙、かかりつけの不妊治療中止によって採卵直前で転院になったことなどで心身共にかなり疲れていました。
-推定4w過ぎ-
検査薬陽性も妊娠超初期症状がほとんど無く、最初からダメな感じだなと思っていました。
むしろ化学流産であってほしかったけど、病院(転院先)の検査でも陽性。
このときから「今回もダメだったら4回目か。さすがにきついなー」と頭にありました。
-推定5w過ぎ-
胎嚢が見えるも、めっちゃ小さい。
不安8割、期待2割。
-推定6w過ぎ-
胎嚢が1週間で2ミリくらいしか成長していませんでした。
この時点で自分では流産だろうなと思いましたが、先生はハッキリとは言わず、引き続き見て行きましょう。という言い方。
※転院して間もなくで、そこでの手術は初めてだったので、手術になったときの詳細はこの時自分から確認。胎児(子宮内容物)の染色体検査を希望するならば検体送る都合で手術は平日になること、自分の条件だと1泊2日入院になることを確認しました。
診察の翌日か翌々日ごろ、上司に日程は未定だが平日に流産での入院・手術が発生しそうなことと、終わったらしばらく休養をとりたい旨を伝えました。
この時はまだ休職とまでは考えておらず、2週間くらい有休できたらいいかなと思っていました。
-推定7w過ぎ-
やっぱり1~2ミリしか成長してないけど確定診断は先延ばしでした。
仕事は忙しく、もう命として成長しない子をお腹に入れたまま仕事する毎日・・・
この間に徐々にメンタルが削れていき、2週間で復帰するイメージがまったく持てないので1ヶ月以上は休養したいと考えるようになり、そのことを上司に伝えました。
まだ有休なのか休職なのかハッキリしていませんでしたが、休職を選択するなら診断が必要になるのでなるはやで初診が出来る心療内科を探し、幸いなことに比較的近所で翌週受診できる医院を見つけました(内科と一緒にやってる感じのところですが)
-推定8w過ぎ-
8w、もしかしたら9wという時期に至っても胎芽が確認できないことで、稽留流産の確定を告げられました。
少し出血があることもあって数日以内の手術を勧められ、診断当日~翌日が元々休暇だったので、午後から急遽入院して診断の翌日に手動真空吸引手術を受け、退院しました。
手術前の診察にて、流産手術後の休養の名目で診断書をもらえるか確認したところ、お医者様によって異なる面はあるようですが、「1週間程度」という回答でした。なので、やはり心療内科にて休職用の診断書を発行してもらうことにしました。
手術の翌日に心療内科の初診で家族に送り迎えしてもらって受診し、2ヶ月の休養指示が書いてある診断書を作成していただきました。
ちなみに病名は「適応障害」になりました。鬱病など、その他にも色々あるかと思います。(先生のほうから「なんて書きましょうか?適応障害で良いかしら?」っていう感じで提案いただき、そうしてもらいました)
-手術の数日後-
2ヶ月程度休養する方向で上司ならびに人事部と相談し、有休と休職を組み合わせるかなど相談に乗ってもらって、最終的には2ヶ月間の休職+復帰後にしんどいとき有休を使用していく進め方に決めました。
-手術の1週間後-
対象月の1日から休職に入りました。
手術の約1週間後、最初に休養の意思を伝えてからは3週間後でした。
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こう見ていくと、すぐ決まったのではなく、まず休養の意思を伝えてから期間や休み方(有休or休職)を決めていきました。
私自身の心境も、すぐに「2ヶ月休もう」となったわけではなく、徐々に自分がそれだけのケアを必要としていることを自覚していった感じでした。
心療内科を電話の翌週に初診できたのはとてもラッキーで、それが無ければ月初のタイミングに間に合わなかったです。
(電話3軒目でしたが、1軒目2軒目は3~4ヵ月待ちとのことでした💦)
ほんとうに、心療内科の受診だけは先送りにしないことをオススメします。
次はもう少し掘り下げた当時の心境を書こうと思います。
どなたかの参考になれば嬉しいです。
続きの記事はこちら→流産後、休職するか悩んでる方へ③ ―当時の心境