mi-column(ミコラム) ~時事ニュースから社会を読み解く~ -5ページ目

mi-column(ミコラム) ~時事ニュースから社会を読み解く~

法律事務所職員(福祉系NPO法人担当)が
話題の時事ニュース(主に法律・社会・福祉関係)を中心に、
実(み)のあるコラム記事を発信します!(^▽^)/


 ここまでの分析から、「日本には“家父長・家制度的思想”や“性別役割分業意識”の影響を受けた、日本特有の「家族」のイメージが浸透しており、またそれは多様化する現代社会の実情と大きくかけ離れてしまっている」という日本の現状を捉えることができました。こうした理想と現実との乖離は、日本の「家族」に関する多くの問題を複雑化させており、国民一人一人が生活していくうえでも、非常に生きづらさを感じさせる結果を招いているものと考えます。では、一体、どうすればよいのでしょうか。ここからは、婚外子相続分規定を違憲とした本最高裁判例の「家族」の在り方についての判断を考察し、その答えを探ることにします。


~1、法律婚尊重意識について~

 

 まず、本判例は「嫡出でない子の出生数は増加傾向が続いている」ものの、その割合は「全出生数の約2.2%にすぎない」ことから、国民に法律婚を尊重する意識が幅広く浸透しているとの判断をしています。


しかし、婚外子の割合の少なさは、むしろ、日本が法律婚のみを採用し、婚外子を育てていくための法や制度を整備していないことからの結論という側面が強いものと思われます。現在の日本の状況下で婚外子を育てていくことは非常に困難であり、もし婚姻関係にないカップルが妊娠した場合は、(余程の不都合がない限り)「婚姻」するか「生むのをあきらめる(堕胎する)」かを半強制的に選択することになります。よって、国民に法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していることへの理由として、婚外子の割合の少なさを挙げることには、大きな疑問を感じます。


国民に法律婚を尊重する意識があるか否かを正しく判断するためには、まずは法律婚以外の形を選択して生活する人々が国内にどの程度存在しているのかを把握する必要があるでしょう。内閣府の少子化に関する意識調査(201010月~12月実施の個別面接調査(調査対象:20代~40代))によると、日本における既婚者・同棲者・未婚未同棲者の割合はそれぞれ63.9%1.3%29.7%となっており、このデータ上においては、日本で同棲(事実婚)を選択する人の割合はかなりの少数であることが読み取れます。

しかし、上記の結果とは違う側面を捉えた調査も存在します。リクルートブライダル総研の夫婦関係調査(2012)によると、1960年代~2012年代に結婚した人のうち、結婚を決めた当時に同棲していた人(婚約中や結婚を決めた上での同居を除く)の割合は17.5%となっています。また、この割合は年々急増しており、2010年以降に結婚した夫婦においては34.5%、つまり3分の1以上が、結婚を決める前から同棲・事実婚の形態で共同生活を営んでいたという結果が出ています。

この二つの調査には大きな違いが二つあります。一つは国の調査であるか民間の調査であるかという点、もう一つは現在の状態を聞く形式か過去の状態を聞く形式かという点です。これらから推測できることは、日本において同棲・事実婚のカップルは、想定以上に多く存在しているものの、それを公にしづらい状態にあるため、国の数値や現在の状態を聞く数値には反映されにくいということです。日本では、同棲や事実婚に対して、「けじめがない」「責任逃れだ」「両親や家族に許さないことだ」等々、反道徳的なことという意識を持つ人が少なくありません。「本来の婚姻」という形を経ずに、または「本来の婚姻」を意識せずに、男女が共同生活を営むことに対する差別意識が存在するのです。結婚しないカップルが共同生活を営むことは「本来はいけないこと」であるため、人目を気にして行わなければならず、肩身の狭い思いをしながら生活することになります。また、妊娠をしてから結婚を決めることは、「できちゃった結婚」と言われ、そこには本来の順番通りでないことに対する皮肉が込められています。

ここに、現代日本のカップル達の悩ましい現実が垣間見えます。結婚をしていないカップルたちは、真剣に相手を思いやりながら共同生活をしていたとしても、社会からは「家族を作ること」とは全く別の、「単なるお付き合い・お遊び」という軽い捉え方しかされません。そして、結婚を決めた後になって初めて社会的な地位や権利を手にすることができるのです。同棲・事実婚の状態であったという事実は、結婚(婚約)により社会的な地位や権利を手にした後にならなければ、公言することが難しいのだと思われます。

 

 以上から、日本国民の中には、「法律婚をせざるを得ないから結婚した」、あるいは、「現在法律婚以外の方法を採っているが公言できない」、という人々も数多く存在しており、必ずしも日本国民が法律婚のみを尊重しているとはいえないのではないかと考えます。そしてまた同時に、法律婚主義に縛られているがゆえの弊害も日本では多く生じているのではないかと考えます。


 →次回:法改正をする上で捉えるべき「国民の意識」を考察します。


 

 日本の「家族」のイメージの特徴は、性別役割分業の視点からも読み解くことができます。性別役割分業それ自体は、古代から、国や文化を超えて、行われてきたことです。身体的特徴(男性が肉体労働に適している点や女性が生命を産むことができる点)から、一定の分業が行われることは、とても自然な流れであるといえるでしょう。しかし、現代社会では、多くの労働が肉体労働から離れ、外の仕事と家庭の仕事に大きな差がなくなってきています。その流れを受けて、特に北欧諸国では、性別による明確な分業がされない傾向になってきています。

 

 一方、日本においての性別役割分業は、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という形で定着しており、そこには「夫は、外で稼ぎ、その収入で妻子を養うことが甲斐性である。」「妻は、家事や子育て(時に介護等)に専念し、夫を影で支えることが美しい姿である。」といった美徳感覚が伴っています。逆を言えば、男性が家事をすることは格好悪く、女性が男性と同等に仕事をすることははしたない、という感覚も含まれているでしょう。こうした考えは、家父長・家制度的思想を背景に、高度経済成長期の男性中心の安定的雇用体制(終身雇用・年功序列)の時代を経て、日本社会に強く浸透したものであるといえます。

 生活の多様化が進み、こうした考えを持つ人々の割合は年々減少傾向であったのですが、平成24年度の世論調査(内閣府:男女共同参画社会に関する世論調査)によると、国民の意識に変化起きているようです。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考えについて賛成するという人の割合が、平成21年度調査では41.3%にまで減少していたものの、平成24年の調査では51.6%と急増し過半数を超えたのです。年齢別に分けて見ると、70歳代以上(63.5%)から50歳代(43.4%)にかけては賛成者が著しく減少しているものの、40歳代(45.6%)から20歳代(50%)にかけては賛成者が緩やかに増加しています。若者の意識に少しずつ変化が生じていることが窺えます。


 では、“性別役割分業を伴う理想の「家族」”を作るためにも不可欠となる、「結婚」そのものを望んでいる人々は、一体どれくらいいるのでしょうか。国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査(2010年)によると、18歳~39歳の未婚者のうち「いずれは結婚するつもりするつもりだ」と考える人の割合は、男性84.8%女性87.7%となっており、未婚者の多くが結婚願望を抱いていることが分かります。また、結婚の利点については、「自分の子どもや家族をもてる」ことであるとする人の割合が男女ともに第1位(男性32.6%女性46.4%)となっており、未婚者の多くが「将来は結婚をして、家族を作ったり子どもを育てたりしたい」という願いを抱いていることが読み取れます。
 このように、性別役割分業を支持し、強い結婚願望を持つ人々が多くなくなっている一方で、その希望を実現することは難しくあるようです。厚生労働省大臣官房統計情報部の人口動態統計及び総務省統計局の国勢調査によれば、平成24年時点の平均初婚年齢(概数)は男性30.8歳女性29.2歳と年々上昇を続けており、生涯未婚率も男性19.3%女性9.9%と上昇を続けています。なぜ、多くの未婚者に結婚願望があるにもかかわらず、晩婚化・非婚化が進行するのでしょうか。1839歳未婚者の結婚しない(結婚できない)理由を見てみると、男女ともに第1位は「適当な相手に巡り会わない」第2位は「まだ必要性を感じない」となっていますが、第3位では男女で顕著な差が見られ、男性は「結婚資金が足りない」女性は「自由や気楽さを失いたくない」となっています。  

 

 これらの結果は、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という家族のイメージが、家族を作りたいと願う人々の願望の実現に、大きな支障を来していることを示唆しています。結婚して家族を作りたいものの、結婚をすれば「男は外で働き、収入を得て、妻子を養わなければならず」「女は家庭を守り、自分の自由な時間を削って夫や子や親に尽くさなければならない」。多様化する社会の流れの中、不況や就職難の煽りも受け、理想の「家族」を実現するだけの財力・能力・精神等を養うことは大変難しくなっているのにも関わらず、多くの人々がその理想を捨てられずにいるのです。結婚をして家族を作ることへの自信が持てない人々は、結局は結婚をあきらめたり先延ばしにしたりするという道を選択します。これが、現在の非婚化や晩婚化等の諸問題の原因であるのだと思われます。日本人特有の「家族」のイメージは、ここでもまた、問題解決への道の前に立ちはだかる壁となっているのです。


 →次回:本最高裁判例の「家族」観から問題解決の道を検討します。



 

 現在の日本の「家族」という概念を考える上で根底になっているものの一つに、明治期の家制度があります。そのころの民法は、「家」という単位で法律が構成されており、家督相続によって「家」が世襲され、また、婚姻や養子縁組などの身分行為には戸主の同意が必要とされました。家制度は、武家の家父長制が基になっており、家族の地位は、戸主を筆頭に、尊属・直系・男性であるほど上に、卑属・傍系・女性であるほど下にという方法で、親族集団の順位付けがなされていました。「家」の秩序を保ち、不要な争いや家産の細分化の防止を計るという意味では、非常に効果のある制度であったといえるでしょう。

 

 戦後になると、新憲法の施行を受け、「家」を基準とした各種の制度は廃止されました。基本的人権の尊重、法の下の平等の理念から、法律の構成は「家」単位から「個人」単位へと移り変わったのです。民法では法律婚主義が採用され、「個人と個人が婚姻をして、「家族」を作る」という、今までの「家」に変わる、新しい「家族」のかたちが誕生したのです。

 

 しかし、現在においても、日本人の考える婚姻は、純粋に、「個人と個人が、自由に婚姻意思を合致させ、法律効果を生じさせる」、というのとは少し違っているように思います。日本で広く認識されている結婚手順の慣習を見れば、それは一目瞭然です。まず婚約時には、結納が行われ、新郎側の家から新婦側の家へ結納の品(結納金)が納められます。結婚式は、「○○家」と「○○家」という表記で行われ、戸籍上の手続きにおいては女性が男性の戸籍に入ることが一般的です。さらに、新郎が長男である場合には、家を継ぐ(長男の嫁は長男の「家」に嫁ぎ、長男の親と同居する)ことが求められます。こうした結婚を巡る様々な慣習は、法律等によって強制されていることではないため、個人の自由な意思決定によって、いくらでも形式を変えることが可能です。しかし、実際にどうするかは別として、結婚する当事者たちが、家父長・家制度的な思想を残したこれらの慣習に、今も一定の精神的なしばりを感じていることに間違いはないでしょう。

 

 民法において、婚外子が嫡出子よりも相続分を少なく規定されていたのも、婚姻関係にない親の元に生まれた子は「家」の親族集団において低い地位にあたるものとする、家父長・家制度的な思想が深く関係しています。日本人の考える「家族」の考え方の根底には、今もこうした考えが根付いており、それが、他の先進諸国に比べて婚外子差別規定の改善への動きを著しく遅滞させていた原因であると思います。本来守るべきである子の人権保護の議論が霞んでしまうほどに、日本人特有の「家族」のイメージは強く、問題解決の道の前に大きく立ちはだかる壁となっていたのです。



 →次回:性別役割分業の視点から、さらに日本の「家族」観を探ってみます。