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mi-column(ミコラム) ~時事ニュースから社会を読み解く~

法律事務所職員(福祉系NPO法人担当)が
話題の時事ニュース(主に法律・社会・福祉関係)を中心に、
実(み)のあるコラム記事を発信します!(^▽^)/


 第1回のコラムは「家族」がテーマでしたので、同じく「家族」をテーマにした映画をご紹介します。


 第66回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したことでも話題の、是枝裕和監督作品「そして父になる」です。(現在、映画館で公開中です。)


 この作品は、病院で起きた「子の取り違え」によって、他人の子を実の子と思い6年間育ててきた二組の夫婦が、今まで一緒に時間を過ごしてきた子か、血のつながりのある子か、どちらを選ぶかという問題を突き付けられ、悩み、葛藤し、答えを探していくというストーリーです。



 「家族」とは何か。


 この問いは、年齢、性別、年収や学歴等、あらゆる違いを超えて、全ての人々の人生に共通のテーマです。極論を言ってしまえば、人間は、一人で生まれ、一人で死んでいきます。親子といえど、夫婦といえど、結局は他人でしかありません。ですが、他者と全く関わりを持たずに生きていくことは不可能で、皆、知らず知らずのうちに他者に生かされているのだと思います。

 他者ときちんと向き合って、他者に自分の気持ちを伝え、また他者の思いを受け止めること。他者を思いやり、他者の笑顔や笑い声を守っていこうとすること。子供であるか大人であるかは関係なく、また、血のつながりの有無や過ごしてきた時間の多さ少なさも関係なく、「家族」はそういう人間同士の心の繋がりから築かれていくものだと思いました。家族は「こうあるべき」とか、「これが普通だ」とか、そういう形式は、何にも意味がないのだということを教えられる映画でした。


 大きく盛り上がるようなストーリー展開を求める方は、少々淡々としていて味気なさを感じるかもしれませんが、私個人的には、日々の日常のリアルな描写に、不思議な心地よさを感じ、最初から最後までのめり込んで鑑賞することができました。

 同じく家族をテーマにしている、TVドラマ「ゴーイング マイ ホーム」もそうでしたが、是枝監督の作品は、映像の美しさと、人々の普段の生活をそのまま切り取ったような世界観がとても素敵だと思います。いつまでも見ていたくなるような不思議な魅力は、この映画でも存分に発揮されています。

 役者陣の演技も素晴らしく、特に子供たちの演技らしすぎない自然体のしぐさや表情は、可愛いらしさと同時に不安さや戸惑いも深く伝えてくるため、つい感情移入してしまい、自分なら子どもたちに対して、どう接していくだろう…と考えながら見てしまいました。


 家族とは何か。その答えを導き出すためのきっかけに、ぜひ鑑賞してみてください。



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 日本人は、古くから現在まで、個人よりも集団内の協調性を重要視する傾向があり、他者と協力し助け合うことができるという才能を持ち合わせています。これは、他の国には類を見ない日本特有の長所であり、誇りにすべきことでしょう。しかし、裏を返すと、日本人は、既存の思想に縛られやすいという傾向も持ち合わせています。古くからの又は多数派の意見を尊重するがゆえに、それ以外の選択をすることは「悪いこと」と考えやすく、その傾向は、「家族」の問題に限らずとも、日本の抱える問題の至るところに存在しています。

 

 民法の改正によって人々が「家」から解放され「個人」として意思決定できる世の中になったように、また、最高裁判例により婚外子が「家族」のイメージから解放され、平等な権利を手に入れることに近づいたように、現状とかけ離れた既存の考え方は、どこかで修正していかなければなりません。そして、既存の考え方からの脱却は、法や制度が変わることによって可能にすることができるのです。

 

 思想や文化を壊してしまう危険性から、法改正は慎重であるべきとする意見も多く見受けられますが、変化を恐れるあまりに何も変えないでいることは、本来人間にとって重要な、“家族を作ることで得ることができる「生きる希望」や「幸福感」”を軽視する結果に繋がりかねません。

 

 どんなに社会や文化、法律や制度が変わったとしても、日本国民の根底にある集団を思いやる精神それ自体は変化することはありません。多様化した社会の中でも、そうした日本人らしさや本来の人間らしさを存分に活かせる社会を実現させていくことこそが、いま国に求められているのです。

 国民一人一人が、既存の概念から解放され、自分だけの人生をいきいきと実現していける、そのような社会が一日でも早く実現することを切に望んでなりません。
 

 

 第1回目コラム 完


※最後までお読みいただき、ありがとうございました。次回もお付き合いいただけたら幸いです きのリンゴ


~2、法改正と国民の意識について~

 

 次に、本判例は、法律の改定については「国民の意識等を離れてこれを定めることはできない」としています。

 国民主権である以上、法律の改正に国民の意識を反映させることは当然です。しかし、前述してきたように、現在の国民の抱く「家族」意識は、かつての理想やイメージに捕られている部分も多く、それが多様化した社会の現状とかけ離れていることを軽視することはできません。まず日本の現状を正確に分析し、その情報をしっかりと国民に伝え、そのうえで議論を重ねることで、初めて本当に必要とされている国民のニーズが見えてくるものだと考えます。こうしたプロセスを経ずに「法律を改正する・しない」という議論をいくら重ねたとしても、真に国民の求めに応えた法や制度が整備されることはないでしょう。“誰でも等しく家族を作り子育てができる環境”が整えば、重苦しさばかりが強調されがちな婚姻に対するイメージも緩和され、国民が積極的に出産・子育てを選択していける社会が実現するのだと思います。

 諸外国に目を向けてみると、フランスは、1999年の法改正によって事実婚などの多様な夫婦の在り方を認め、また、どのような家庭でも子を育てていくことができるよう手厚い社会保障制度を整備しています。その結果、2012年の合計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子供の平均数)は2.01と、先進国の中で非常に高い数値を記録しています。このフランスの少子化の克服は、思い切った法や制度の改正なしには為し得なかったことであると言えるでしょう。フランスの新しい「家族」の考え方はとてもシンプルで、そこでは誰もが家族を作ることや子育てをすることへの喜びを感じることのできる社会が実現しています。それは、家族を作ることに重く暗い責任ばかりを抱きがちな日本社会に不足している要素であるのかもしれません。フランスの法や制度が、日本の感覚に沿うものであるかは定かではありませんが、フランスの成功例を参考にすることで、日本の「家族」の在り方に良い効果がもたらされる可能性は十分考えられるでしょう。

 以上から、「家族」の在り方に関する法や制度の改正を進める上では、そのまま国民の意識を反映させるのではなく、日本の現状把握と、国民意識の改革、そしてその上での深い議論が不可欠であると考えます。そうでなければ、少子化問題等の重要項目への対策はいつまでも進まず、日本の国力低下へ歯止めをかけることは今後一層難しくなってゆくでしょう。


~3、本最高裁判例考察のまとめ~

 

 以上、「法律婚尊重意識」「法改正と国民の意識」の二点から、本最高裁判例の「家族」観を考察してきました。様々な問題点を指摘してきましたが、そもそも日本は、婚姻率が減少の一途を辿っており、少子化の進行も大変深刻な状態である、という事実を忘れてはならないでしょう。今までの「家族」の考え方に大きな問題が生じていることは、誰の目にも明白な事実なのです。

 婚姻率の低下については、日本の景気回復や若者の雇用・収入の改善等、経済的側面から解決を計ろうという見解も強いようです。確かにそれも有効な手段の一つであることは間違いないですが、過去の高度経済成長期やバブル期のような右肩上がりの経済成長を取り戻そうとするのは非常に困難なことです。また、好景気と不景気は常に上下を繰り返すものであり、不況になるたびに同じ問題に直面するようでは、何の解決にもなりません。理想の「家族」の実現していた社会へと現状を近づけようとするのではなく、理想とする「家族」や「社会」そのものの捉え方を変化させなければならないときがやってきているのではないでしょうか。

 本最高裁判例は、婚外子差別規定が違憲であるという論点だけに留まらず、「家族」というものへの国民意識の多様化について認めており、その点においては国民の抱く「家族」観に何かしらの変化を生じさせることができたのかもしれません。しかし、それ以上の言及はなく、あくまで法律婚主義は尊重されているとして既存の「家族」のイメージからの大きな脱却は試みられませんでした。多様化する社会について深い理解を示し、今後の法改正や制度改革の流れを促すような“新しい「家族」の在り方”について、さらに言及すべきであったのではないかと思われます。



 →次回(最終回):本来の「日本人らしさ・人間らしさ」とは何かをえます。