(その1からの続きです)

 

『Out fo Water』(1990年)

 

さて、次は【DISC2】『Out of Water』ですね。

 

このアルバムは、前作「In A Foreign Town」同様にMIDI音源がベースとなっている1枚ですが、g.のJohn Ellisが3曲、sax.のDavid Jacksonとb.のNick Potterが2曲、vln.のStuart Gordonが1曲に参加して、少しだけバンド形態に近くなっています。

PHの当時の発言は「いまや私はテクノロジーの頂点を極め、それと格闘するというよりも、パレットの一部として使うことが出来ると感じていた。結果として種々雑多な作業方法、作曲、主題のあらゆるものがここで提示されている」と自信に満ちている。明確に、前作での様々な“実験”で得たものをさらに発展させてひとつの宅録の極みに達しました...という宣言なんだろう。

このアルバムの評判はとても地味なものだった記憶があります。前作ほどクソミソに言われることはなかったですが...汗

 

私は・・・と言うと、このアルバムは「神」の作品には珍しくあまり好きではないアルバムでした!まずね...好きな曲がない(...なかった...過去形です...笑)

 

前作がファンのみなさんのボロクソな言われ方に反して、メチャメチャに好きだったせいもあって、このアルバムは確かに“落ち着いて、エレクトロニクス音ともしっくりと馴染んで”いたけれども、「いやいや、大人すぎるでしょ」という印象だったんです。

g.のJohnEllis作というジャケットも、当時、PHと二人で来日公演をしたこともあって、モロに日本イメージの絵画だし(ちょっと、この感覚はついていけない...笑)。やはり当時のPHのノートに「この作品はひとつのターニングポイントだ」とあったのだが、その意味もよくわからなかったです。

 

だが、2023版を聴いて、PH自身がターニングポイントという意味がよくわかるとともに、このアルバムがとても好きになりました!

 

収録された8曲のすべてが、驚くことに、1曲1曲、個性的で鮮やかな起承転結があるのです!あらためて、1990版を引っ張り出して聴き直してもみたのですが、幾分はなるほどと感心する箇所を見つけられるけれどやはり33年前と同じような今ひとつピンと来ない感が拭えない・・・でも2023版を聴くと全く違う...シニカルに一瞬、唇の端が上がる瞬間とじんわりあったまる感じが確実にある!

 

あぁ、そういうことだったのか...

 

うん、そう。この感覚は、PHのその後の『Everyone You Hold』(1997年)以降の作品を聴くときと似た感じです。

当時の“ターニングポイント”と言っていた意味が少しだけわかる気がしました。

私なりの解釈で言えば、それってPHにとってのプログレを中心とするROCKの“様式美”からの卒業みたいなものなのではないかと。

このアルバムのその後、『The Fall of The House of Usher』(1991年)では妙に楽器の音の少ないミュージカルかオペラかのサウンドトラックだし、『Fireships』(1992年)はPH自身で「Be Calmシリーズ第1作」みたいに書いてるし、次の『The Noise』(1993年)では「A Loudシリーズ第1弾」になってるし、(もっとも、静かな楽曲とやかましい楽曲をそれぞれ別のアルバムとしてリリースしようというこの計画はこの2作で頓挫したようですが...笑)その次の『Roaring Forties』(1994年)では実に19分に及ぶ組曲、それもプログレぽいものではなく、完全にクラシックぽい感じの楽曲が収録されているし。

そうです。PHの創作活動は、あえて言うとすれば、よりクラシック音楽のアプローチに変わっていったのだと思います。そしてそのターニングポイントがこの『Out of Water』(1990年)だったということなのでは・・・と。この2023版は私にそんなことを感じさせてくれました...涙

 

では、1曲ずつメモを。

 

【DISC2/Out of Water】

 

01.Evidently Goldfish

1990版では、なぜか和っぽいジャケット絵画の作者でもあるg.のJohnEllisのEボウ(バイオリンや二胡のようなサスティンのきいた音を出せるピック代わりのエフェクターの一種ですね。ジミー・ペイジで有名なViolinの弓のカタチとは異なり、現代の機器はコンパクトで右手でピックの代わりに弦に近づけて使用するカンジです?!サスティンがどこまでも伸びる感じで、JohnEllisはThe K Groupの時から使用していますね)のオリエンタル(東洋)ちっくなイントロでしたが、2023版ではPHのディストーションを効かせたエレキギター3本の重ねで全く違う雰囲気になってますね。1990版のイントロは周波数は違いますが、ちょっと二胡に似た音色だったので、日本人としての耳ではむしろ“中国っぽい”感じに聞こえてました。2023版は全体的にヘヴィなROCKの感じになっててとてもGoodです!アルバム全体に言えることですが、いろんなMIDIの音源をPHの歪んだエレキギターに差し替えているため、さらにJohnの流麗なフレーズではなく相変わらず“たどたどしい”PHの演奏なので、リズムのカチッと感が壊され、ライヴのような立体感が増してますね...良いことだと思います!この1曲目も1988版では特に印象に残る箇所もなく曲が終わっていたのですが、2023版ではしっかりと抑揚がついてて、“ちょっとフレーズをコピーしてみたくなる”感があります...笑

 

02.Not the Man

1990版の頃から、アルバムで唯一のシングルとしてもカットできそうなキャッチーな曲でしたが、この曲もエレキギターがPHに変わっているので、イントロのカッティングからモタモタしてて(決して悪い感じばかりではありません)もうシングル向けの感じは消えてますね...笑

ウタに入って2ヴァース目のところのベードラの位置が変えられていて、2023版ではよりシンコペーション具合が強調されている感じがします。MIDI音源の宅録がベースなのに不思議ですね〜

さらに2023版で不思議なのは、エンディングのところの不協和音コードの2小節ですね・・・確認しましたが、1990版には入っていないので、新たに加えたもののはずですが、いったい何の狙いがあるのか...汗

 

03.No Moon in the Water

2023版は1990版よりも、基本的にヴォーカルを重視してMixされていることが明白なのですが、この曲はその効果が一番わかりやすい曲だと思います。「水おけが粉々になると、月はもうそこにはない」・・・禅の有名な「心は水月とともに涼し」に通じる悟りの境地をテーマとする歌詞が、歳を重ねたPHの円熟したウタのチカラでとても沁みるものになっています。この感じは1990版に欠けていた最も大きなものだと思います。

〜No moon in the water No more ego now〜

 

04.Our Oyster

正直に言えば、この曲を「リワーク」する際に、何か新しい試みや解釈が存在したのかどうかがわからない...汗

何度も何度も、折につけ、1990版と2023版を続けて繰り返してみてはいるのです。もちろん、ヴォーカルが新録音だし、ライヴぽさが増しているほかPH自身が弾くエレキギターの音が2023版には入っているので、“区別”はつきますが、どうしようもないくらい地味な曲という印象がまったく変わらない・・・・・33年の時を経て「印象がまったく変わらない」ということを狙ったのだろうか...笑

この曲のおかげで、実はこの『Out of Water』(1990版)というアルバムを聴くことが億劫になっている気がする。03.NoMoon〜はどんな曲か、05.Ysabel'sはどんな雰囲気か、記憶は明快だ!だけどこの曲だけは、もちろん、聴けば「あぁ〜、それそれ」ってなるけれど、記憶だけでどんな曲だったのかが頭に上がってこない。PHの楽曲の中では、こんな曲はほんの数曲しかなく、そのうちの一つがこの曲なのです。弾き語りをベースにした、内省的な独特の世界が拡がる静かめの曲をPHはなぜ3曲も並べたのか(03、04、そして05)?

う〜む、2023版をしっかりと聴いたつもりの今でも、あい変わらない謎のままです!

 

05.Something about Ysabel's Dance

曲全体を通しての、ほとんどアドリブソロのようなStuart GordonのviolinとPHの弾くアコギをベースとした弾き語りの曲という風情は1990版と同じです。もちろん、新録されたヴォーカルのせいでより深みというかダイナミクスが増していることは確か!しかもヴォーカル2ヴァースめの後、あの〜There's no Charlie Mingus, his Tijuana's gone...のくだりの直後に、フラメンコのリズムの展開が短く、新しく、設けられています。

 

06.Green Fingers

この曲は2023版になると、めちゃめちゃダイナミクスが拡がってPHの楽曲にはとても稀な“ノリ”が良い曲に変貌してますね〜

1990版との違いはかなり大きいです。と言うのも、VDGGからの盟友David JacksonのSaxがPHの弾く歪んだエレキギターに置き換えられています。VDGGを彷彿とさせるSaxメインで暴れまくる楽曲だったのが、一歩間違うと“グランジ?!”という感じになってます!

この、ミディアムの強いビートの曲としては、後のアルバム『TheNoise』の中にあってもおかしくない感じです。いやむしろ、『TheNoise』を予言する曲と言った方が良いかも。

 

07.On the Surface

この『Out of Water』というアルバムのハイライトの曲が、8分を超えるアルバム中最長尺のこの曲です。この曲は10/4拍子という変則的な拍子の曲なのですが、ROCKぽくない曲です。通常、10/4拍子と言うと、ROCKの場合は6拍子+4拍子とか、4拍子+3拍子+3拍子とかに分解できるのですが、この曲は10/4拍子そのままで分解不可能なんですよね〜

モーリス・ラヴェルのBoleroのように(こっちは3/4拍子ですが)、クラビアのような鍵盤の音色で奏でられるベーシックなメロディラインが繰り返され、だんだんと弦楽楽器の音が積み重なっていきます。完全にクラシックの技法を意識して取り入れてますね。

Codaに差し掛かるところで、1990版ではJohnEllisの流麗なギターアドリブのソロが、2023版ではPH自身の歪んだエレキギターによるたどたどしいギターソロが、ROCKとしての横顔をかろうじて保っている感すらあります。

1990版のクラシックミュージックをシニカルに表現したバージョンも、2023版のよりリヴァーブを効かせたヴォーカルを中心としたどこかオペラちっくなバージョンも、どちらもとても素晴らしいですね!

 

08.A Way Out

この曲は、1990年に発表された当時のPH本人による曲の解説メモの中でも「語るつもりはない」とだけ記されていた、バラードというにはとても重たい歌唱が似つかない名曲ですね。

多くのファンの方はご存知だと思いますが、この曲は発表の少し前に自殺した実弟への追悼として書かれた楽曲と言っても差し支えないでしょう。

ライヴではとても人気の曲で、youTubeで観るだけで、いつの間にか泣いてしまいます!

曲を歌唱しているを観て涙してしまうなんて、PHと玉置浩二さんくらいですか...

曲のCoda部の繰り返されるリフレインが胸に沁みます!

〜I wish I'd said "I love you"「愛してる」って言えばよかった〜

 

 

 

さて、2023版の楽曲でどう変化したのかを中心に語ってきましたが、メモとしては、ここからが言わば本題かもしれません。

 

1988版『In A Foreign Town』と1990版『Out of Water』

片や私がとても好きでずーっと継続して聴いているアルバムとどうにも捉えどころがなくて少なくとも20年くらいは1枚通して聴いた記憶がない私にとって珍しく好みでないアルバム。

 

結論から言うと

 

プロダクション(簡単に、「音色」)を刷新することで楽曲の良さをあらためて現わす狙いを持つ『In A Foreign Town』

→完全に◎

2023版の方がアルバムとしての統一感と収録楽曲の素晴らしさを出すことに成功している。

➡︎私は全編を通して、明らかに1988版の方が好きです!ノスタルジックな判断ではなくて、若いPH(と言っても40歳!?)の前のめりなSPIRITがまんま表現されていて、カバーしたくなるため。

 

少ない楽曲編成を最新の“普遍的な音源”と自らの演奏に差し替えることでライヴっぽさ、ダイナミズム増幅に繋がっている『Out of Water』

→ちょっと△

1990版の方が演奏者の素晴らしい演奏を活かしている。2023版はほぼライヴバージョン。

➡︎私はほとんどの楽曲で、2023版の方が好きです!地味な印象しかなかったこのアルバムの楽曲のいくつかがかなり素晴らしいことを発見しました。1990版でどうしても捨て難いのは07におけるJohnEllisの見事なギターのパート!私が1990年版の方もかなり好きなのは03と07と08です。

 

というところが率直な感想です。

 

まさに2023年のリリース以来、1年くらいはPHの音楽はほとんどこの3枚に含まれている曲しか聴いていない気がします。そんな集中的にしっかりと聴き込むきっかけを与えてくれたPHの「リワーク」の意欲に、私は心底、感謝しなければいけないでしょう!〜どうか、おカラダだけはくれぐれもお大事に!あなたと一緒の時代に生きていることだけが、今の私にとっては、論理と言語の及ぶ領域のすべてをひとまたぎして幸運を確信させてくれるものなのですから。

 

また、蛇足にはなりますが、この2023版をまだ聴いていないという幸運な方がいらっしゃいましたら、是非ともすぐに聴かれることをおすすめします!

決して1988版『In A Foreign Town』や1990版『Out of Water』と聴き比べてみよう・・・などとは思わずに、純粋に新譜ぽく2023版のおよそ2時間に及ぶ長丁場の視聴に没頭してください。

特に日本であれば、最近の、妙にリズムと音階に凝りまくっていながら耳障りの良い高度で出来の良い楽曲!?とは根本的に異なる、けれども確かに存在感のある骨っぽいウタとアレンジと演奏に、新鮮な驚きを見つけることができるかもしれません...笑

 

PHというだけで世間的には、極めてマニアックな部類だとは思うのですが、その中でも名盤解説というわけでもなく、「リワーク」として言わば世の中に“再発表”された作品について、多くの方にとっては常軌を逸していると思われても仕方ないほど長々とメモらせていただいたわけですが、どうだったでしょうか?

 

 

PH自身のおよそ10年くらい前のインタビューの締めくくりの言葉を記して、このメモも締めくくりましょうか。

 

I hope, perhaps, that some of the work will still resonate. But I’ll be well out of here.

 

今回は、PeterHammillが2023年に出した脅威のリワーク=ReWorkアルバム『In A Foreign Town/Out of Water』についてメモっておきます。

 

PeterHammill(以下、PH)は、私にとって、「神」と「人」の間にいる、それも極めて「神」に近い側にいる人です。

おそらく40年近くに渡って、崇拝していると言っても過言ではないくらいほぼ全ての楽曲が好きなので、もうほとんど宗教に近いかもしれませんね...汗。

ありがちな新興組織のように桁数の多い献金を要求されることもなく、淡々とPHの側から提供される、地球上で最も崇高と思える音楽を、慈しみ、味わい、ときに癒されときに叱咤されときに気力を奮い立たされるなどというようなメリットばかりを享受させてもらっています。ありがたや〜...涙

 

このアルバムは「リワーク」という耳馴染みの少ない語で表現されています。そう、リマスターでもリメイクでもリハビリでもリバウンドでもなく「リワーク」です。

楽曲の経済的な権利関係の理由と、PH自身の言う“楽曲は素晴らしいが、プロダクションが時代に合わない”というジレンマを解消するために、つまり、PHとしてはかなり珍しい“政治的なメッセージ”を持つ曲や、内省的なテーマが、「80年代当時の音」というフィルターを通さずに、より直接的に伝わるように意図されたサウンドデザインの再構築というわけです。何を変えたかったかと言うと、当時の出たばっかりのMIDIの音源、それもドラムスとベースと煌びやかなシンセサイザーの音色をもっと生音ぽくしたかったんだと、要するにバンド編成のライヴっぽくしたかったんだと思います。

 

この「リワーク」アルバムがリリースされてからおよそ2年が経ち、いろんな反応が出ているだろうなぁ〜とネット検索を度々してみても、どうやらちゃんと聴いた人は極めて少ないか、私のように「神」の所業に対して語るべきものなどあってはおこがましいと思うのか、残念ながら、ほとんどこのアルバムに対するレビューで役に立ちそうなものは見当たらない...

そこで、不肖この私が感じるにまかせてこぼれ落ちる語をメモっておきたいと思いました!

ほんの少し不安なのは、この「神」への冒涜とも解釈される余地のある行為の気持ちよさに捉われ、PHのアルバムの1枚1枚についてのメモを乱筆し出すのではないか、ということです。まぁ、そう先が長いとも思えないので、そうなったらそうなったで愉しむしかないのでしょうけど...汗

 

まずは大前提です。このアルバムは1988年の『In A Foreign Town』と1990年の『Out of Water』の「リワーク」、すなわち収録されている楽曲も、その数もその並びも、またその基本的な歌詞やテンポやメロディも元のままということです!

 

これはとても凄いことです!

 

35年前の自分と、真っ向勝負!?というわけです。真にプログレッシブな楽曲とは言え、ROCKですよ・・・

私にはムリです!その昔、似たようなシチュエーションが私にもあって、仕事の絡みでBGMが必要となったときに、当時から10年前の私自身の楽曲を使用する可能性があったとき、私はVo.の再録音の前に、楽曲のアレンジ、すなわち、テンポ、タイコのパターン、ベースのリフ、ギターのバッキングコード、コーラスの構成...それらの全てを変えました。10年前の自分の声には敵わないと率直に思ったからです。いや、それは普通だと思います。

ところが、PHという人は流石に「ほぼ神」・・・インスト1曲を除いて、実に『In A Foreign Town』11曲と『Out of Water』8曲を合わせた19曲で基本的なメロディとアレンジが同じでありながらも新たに感動としか言いようのないひとときをもたらす楽曲を生み出したのです!涙なしでは聴けない至福の時間でした!

 

では、そろそろこのアルバムについてメモっていきたいと思います。まずは【DISC1】『In A Foreign Town』から。

せっかくの「リワーク」なので、Vo.再収録されたものについて、より詳細に1曲ずつ何がどう変わって、私がどう感じたかをしっかりとメモっていきたいと思います。

PHのヴォーカルはもちろんすべて再録音でさらに、この「リワーク」アルバムではすべての演奏はPH自身によるものです。ドラムとベースはおそらく原曲のトラックを使って、音源は現代の高度に“生音ぽい”ものに変えられ、何よりもMixが洗練された普遍性を感じるものになっている点が最も大きく変わった点と言えます...とここまではいろんなディスク紹介文などにもありがちな文章ですね。私のメモではこの先へ向かおうと思います。

ちなみに、この1988年に出た「In A Foreign Town」というアルバムは、私にとって全てのPHのソロアルバムの中でも10本指に入るフェイバリットアルバムなんです...汗

 

『In A Foreign Town』(1988年)

もともとの1988年に出たアルバムでも、1曲目に入っているStuart GordonのViolin以外はすべてPHが演奏しています。(MIDI音源、つまり演奏としてはキーボード/PCがほとんどですが...)でた当時から、確かに人工的で合成ぽいドラムやベースの音色が“プラスティックぽい”とPHのファンの間では賛否両論でした。私はというと...めちゃめちゃ好きでした!人工的と言っても、例えばYMOやディペッシュモードとかヒューマンリーグとかような軽い感じの音色ではなくて、できるだけ人が演奏した音に近づけたいという意図を感じる重めの音だったこともあり、音そのものに対する嫌悪感はあまり感じなかったです。むしろその合成音ぽいドラムとベースの音をめっちゃデカくしたMixとおよそ、一つの“PHらしさ”であるリズムの独特のズレを一切排除したカチッとした機械的なリズムの潔さが心地よく響きました(今も)。

なにより、収録された楽曲のすべてが「そもそも」良い曲で、私は最初に聴いた時から、このアルバムは一生にわたってフェイバリットになる1枚だと確信しました。

 

【DISC1/In A Foreign Town】

01.Hemlock

この1曲目の印象がとにかく大きく変わりましたね。

いかにも80年代という感じのゲートリヴァーヴのかかった打ち込みドラムの音が現代的なドラムサウンドに変わってます。ベースの音色はそれほど変化はないですが、Mixが根本的に変わり(これはアルバムを通して全曲そう)、つまり、リズム隊の音量が1988版よりも小さく抑えられていて、PostPunkぽかった楽曲の印象がより立体的な音像鮮やかなものになってます。PHのVo.は原曲のどこかクールな狂気という印象から、まっすぐな「怒り」を感じる印象に。音源としては、原曲がほとんどMIDIシンセの音だったのが、PHの弾く4本以上に重ねられたエレキギターの音でバッキングが構成されてます。VDGのアルバム「Vital」や「Over」でのサウンドと寸分変わらない歪んだエレキギターの音と、知らないうちにずれていく不思議で不気味なベースのリフが、より聴き取りやすくなっています。

 

02.Invisible Ink

この楽曲のバッキングもPHのエレキギターサウンドが中心となってます。

よりバッキングトラックの骨格が鮮明になり、ほとんどギター×2、キーボード×1、ベース×1、ドラム×1のバンドサウンドとなってます。

この曲のPHのVo.は原曲のものよりもかなり表情がついたものになっていて、わかりやすく言えば「ライヴ」ぽくなってます。おそらくこちらの方が多くの人が聴いた時にダイナミックに聴こえると思います。この楽曲は完全に2023版の「勝ち」ですね!

 

03.Sci-Finance(Revisited)

元々はVan der Graaf時代の“Sci-Finance(ライヴ版「Vital」収録)”を再訪した曲の再訪版(タイトルに“Revisited”)で、2023版でもタイトルは踏襲されていますが、アンサンブルとテンポが少し変わってますね。アンサンブル的には、キーボード主体の原曲がPHのエレキギターとアコギ中心のアンサンブルに、テンポは原曲がベードラの4つ打ち主張の平坦なものからより抑揚のあるライヴぽいものに。 複数のギターのフレーズの絡み方が均一でないところがいかにもライヴっぽくなってます。

 

04.This Book

この曲は、もともと1988版オリジナルでは共作クレジットがある曲(ミゲール・ボセの1984年のアルバム 「Bandido 」に収録された曲「Abrir y Cerrar」というスペイン語曲のカバーですが、歌詞は全く意図の違う、新たな英語歌詞をPHがオリジナルで書いてます)ですが、2023版はピアノをバッキングの中心にして、1988版の幾重にもシンセが重ねられたバッキングトラックの音をコーラス以外はほぼ“無くして”ますね...笑

サビなんかリズム隊とキーボードのガイドリード音以外はコーラスだけで、「やる気ないのか???」状態です...笑

PHのVo.もクールな印象の原曲のものから、より歌詞に沿った抑揚のあるものに。でも...私は1988版のこの楽曲がサイコーに好きです。

 

05.Time to Burn

この楽曲は、1988版と2023版ではVo.の印象がまったく違います!アルバム中、最も印象が違う「ウタ」になっているのがこの曲です。

1988版がいかにも個人的で呟くような、囁くようなウタにフルオーケストラの重厚なバッキングで荘厳な曲になっていたものを、2023版は幾分、教会における説経的な、または演劇的な、語りっぽい「ウタ」を中心に、弦楽器の音も控えめになっています。

同じ楽曲なのに、「ウタ」だけでこうも違う印象になるというのが驚異的です!

 

06.Auto

シーケンサーばりばりで1988版の中で最もNewWaveぽい楽曲だったこの曲は、カメラのシャッター音ぽかった音がハイハットの音に置き換えられていたり、ベードラとスネアの音が現代ぽくなっていたりしてます。この曲のバッキングの主体であった、80年代を象徴するようなオーケストラサンプリングの音もかなり控えめになっていて、2023版はよりライヴぽくなってます。

確かに1988版はその時代を代表するような“エレクトロニクス楽曲”の代表みたいなものと私は解釈していましたが、その隙間なく埋め尽くされたような合成音の壁にこだまするようなPHの声がまた大好きだった私にとっては、1988版の方が今でもキラキラと響いて聴こえます!

 

07.Vote Brand X

基本的なメロディーともちろん歌詞とテンポがまったく同じなのに、1988版と2023版ではまるで違う曲に聴こえますね!

まず、「ウタ」ですが、80年代のある種スタンダードだったリヴァーヴ処理が2023版では無くなってますね。結果、リズムの休符に埋めていた音が無くなり、演奏の構造がハッキリしました。これは十分にバンドで再現できる構造になっていて、PHの弾くギターが新たに追加され、珍しく政治を風刺した内容のこの曲の奇妙さをさらに増長させてます。

 

08.Sun City Night Life

この楽曲は1988版のキーが高すぎたのか、2023版ではPHのVo.がかなり喉を絞り切ったような声になってます。でも歌詞の内容がアパルトヘイト政策への攻撃的なものなので、むしろその切実さが2023版の方が増しているような気がします!

シーケンサーの16分の刻みが抑えられてているため、リズムのブチギレ感が際立ってますが、終盤のPHのモノローグも無くなっているので、あの重要だった「Biko」という叫びも無くなっているところが残念な気が...

 

09.The Play's The Thing

直接的なシェークスピア讃歌と取れる歌詞をピアノの弾き語り主体に訥々と綴る楽曲という1988版の印象が、2023版では劇的な印象に一変していますね。最初の語からもう、ブレスが違います!バッキング演奏はほぼ同じですが、ピアノの音色が違うだけでこうも違うんですね。まるで、小さな劇場でオペラちっくな演劇かミュージカルを観ているような感じになってきます。

最後の言葉のドラマチックさが増幅されてますね!

How could he know so much?

 

10.Under Cover Names

エレクトロニクス音が軒並み差し替えられてますね〜、マリンバぽい音にはびっくりしました...笑

狙いなのかどうかわかりませんが、1988版のクリアで抜けの良いサウンドスケープが2023版ではホールぽい空間ぽい感じになってますね。

ハードロックの楽曲をグランジのバンドがカバーしましたみたいな感じになっています!

1988版のVo.自体に施されていたリヴァーヴは、2023版では逆にカットされるので、Mixってホントに奥が深いですね...汗

 

11.Smile

ドイツのアーティスト、ヘルベルト・グローネマイヤーという人の曲のカバーですが、歌詞はPHのオリジナルです。他にも1曲、歌詞をつけたものがありますね(What's All This?)。

このアルバムの04.This Bookと同じように、この曲の歌詞ももの凄いシニカルな内容で、めちゃめちゃ好きです!そしてそのシニカルな歌詞を象徴するようなサーカスちっくなサウンドが1988版のバッキングトラックでしたが、2023版ではPHのギターも入って、より四人編成のバンドで演奏しているかのようなものになってますね。「リズムのキレ」みたいなものは1988版の方が明確ですが、再録音されたVo.のより大袈裟な抑揚のせいか、2023版は盟友PeterGabriel在籍時のGenesisが蘇ったかのような印象も感じます。私の個人的な好みは1988版の道化っぷりを極めた方ですね...笑

 

「リワーク」で明確にわかるのは、80年代特有のプログラミング/音色(=時代性)をできるだけ抑えて、より生演奏寄り=Vo.重視のアプローチに再構築されてることです。

この【DISC1】『In A Foreign Town』では、1枚を通して、よりライヴ盤ぽい仕上がりを意図しているような気がしますね。

 

ちょっと、長くなりましたね。【DISC2】『Out of Water』篇はまた次のメモということにしましょうか...笑

 

それでは、また、近いうちに!

GloriaMundi「I,Indivisual」(1978年)

 

以前、別のメモでも取り上げたこのアルバム・・・

 

グロリア・マンディ(上に掲げている日本版で最初に触れた人以外は「ムンディ」と発音・表記しているかもしれません)のデビューアルバム「I,Individual(邦題:叛逆の狼火)」をご紹介しましょう!バンド名の由来はラテン語で「世界の栄光」という意味です。これは "Sic transit gloria mundi (世界の栄光はこうして過ぎ去っていく)"というラテン語の言い回しにちなみます。

 

 

なぜ、また、あらためて取り上げたのかと言うと実は3つ理由があります。

 

一つ目は、このアルバムを通して、サウンドの主役とも言えるギタリスト、“Beethoven”というニックネームを持つ非常に素晴らしいプレイヤーであるPete Vas(ピート・ヴァス)さんが亡くなったこと。

 

二つ目は、このアルバムのリマスター音源が、バンドの中心人物であったVo.のEddieMaelov(正確にはなんと発音するのかわからないが、最初に出た時のライナーノーツにある「エディ・マイラヴ」さんと呼ぶことにしましょう)によって今年(2025年)発表されたから。

 

三つ目は、今となっては(いや、ほぼアルバムリリース時においても)かなりわずかしかないこの「グロリア・マンディ」というバンドについての情報をできる限りまとめておいて、やがてくる自らのボケ期に備えておくためのしっかりとしたメモを残しておくためです。

 

知ってる人は少ないと思うし、ましてや聴いたことがあるとか今だに聴いているとかともなると、山椒魚レベルで珍しいのかもしれないが、私をはじめ、ごく少数であっても間違いなく日本にもいるはずだと確信している。あらためて自信を持って断言する。

 

このアルバムは、歴史的な名盤です!

 

私にとって、最初に針を落とした47年前に生涯のフェイバリット・アルバムとなる!と確信しました。なぜ、このようなアバンギャルドながらもしっかりと統率され、荒々しさと熱さを発揮しつつも複雑に計算された細部が実現され、パンクムーブメントに埋もれるような多勢の中で騒がしくもひっそりと新種のロックが、ここに生まれたのか…気がつくといつもそんなことを考えさせられている…汗 
実はこのアルバムは、正式にCD化されたことが日本はおろか世界でも、一度もありません。私は15年くらい前にカセットテープに入れた音源を自前でデジタル音源化しました。テクノロジーの進化のおかげで、現在はYouTubeでカンタンにデジタル化された音源が手に入ります。Eddieがリマスターかけた音源も、私はYouTubeで入手しました。音圧的には、15年くらい前のアナログ音源が元の方が好みですが、リマスター版音源の方がノイズも少なく、各楽器の音の分離もキレイで、かなり聴きやすいものになりました。やっぱり、すんごいです!この音楽は!!!

 

まずはこのアルバムのパーソネルからご紹介しましょう。

 

Eddie Maelov (Vo: 本名Eddie Francis)

ほとんどのソングライティングとこのバンドの重要な個性である、実存主義に“かぶれた”歌詞の作者です。

同世代でもあり、突然変異的なサウンドという意味では同じ志向性を持つことから、

おそらくかなりすぐに意気投合したであろうNEW WAVE/シンセROCKの先駆バンドULTRAVOX!が、まだタイガーリリーと名乗っていた頃、そのLIVEでバンドの前でパントマイムをしていたという人です。

実は、このバンド活動中も外国人向け英語教師を仕事として持っていたという側面があります。パンク期だし、サウンド的にかなり凶暴な音が特徴ですが、ツーンと聴覚を通してまとわりつくような知的な印象の源はこの人です。

甲高い声がこのヴォーカリスト、というよりこのバンドの個性なのですが、イアンギランとかロブハルフォードなんかのハードロッカーたちの澄んだ甲高さとは違って、声色を使っているようなタチの悪そうな濁った甲高さで、デヴィッド・ボウイの影響を強く受けていると言われるのはステージングにおける白塗りや写真から見るポージング等ボウイのグラムロック期を彷彿させると同時に、この声質からの印象も大きいと思います。ピストルズ期のジョン・ライドンにも通じるところがあります。その意味では完全パンクロックぽいです。

ちなみに、GothicROCKのパイオニアとして語られることが多い元BAUHAUSのPeterMurphyは、グロリア・マンディのファンで、革命的で独特と評判の高かった演劇ちっくで映像的なステージングやパントマイムの動きなどはこのEddieの影響を強く受けていたことを公言していました。

その意味でも、このグロリア・マンディこそ、TheFirstGothicROCKBandと言っても良いと思います。

 

Sunshine Patterson (Vo & Kbd: 後にSunshine Gray)

Eddieとともにバンドの中心人物である紅一点のSunshine。実はグロリア・マンディ解散後も、Eddieと二人で「Eddie&Sunshine」というシンセPOPバンド活動でアルバムも出してます。デビューアルバムでも4曲目に収録されている「I Like Some Men」は彼女の作でリードヴォーカルも彼女です。ちなみに、Eddieが勤めていた外国人向け英語教師教室の教頭先生の立場(つまり上司?)だったそうです。中性的なルックスや表情なんかは、デヴィッド・ボウイの影響が伺えます。私はLIVEを見たことはないので、直に見たことがある人が羨ましいです。このバンドに限って。

 

Pete“Beethoven”Vas(Guitar: ちなみにどこかに書かれてありましたが元TheRaincoatsではないです)

この人のギターサウンドがこのアルバムを名盤として成立させているもっとも大きな要素です。そのため、この人が抜けたセカンドアルバムはまさに気の抜けたコーラのようなサウンドになってしまいました。ベートーヴェンなんてニックネームで呼ばれていたくらいですから、相当に同じ世代の若いミュージシャンからもリスペクトされていたのではと思います。このグロリア・マンディを抜けた後、なんとソロ・アーティストとしてレコード会社と契約してシングルを2枚ほどリリースしたそうです。レコード会社も認める才能豊かなミュージシャンだったのですね。実際、このバンドが多くの雑多なパンクバンドと根本的に異なるのはメンバーのテクニックがめちゃめちゃ高い点です。音自体はとてもパンキッシュですし、プレイもかなり好き勝手にやりまくっている印象ですが、展開やフレージングにプログレッシブロックぽさを薄〜く感じるのは、彼を筆頭にメンバーの楽器演奏力の高さによるものかもしれません。残念なことについ最近(9月4日)、鬼籍に入ったそうです。ex.wifeのClaire MansfieldさんがFacebookに投稿されていました。R.I.P.

 

ICE(B: 本名Roland Oxland)

Mike Nicholas(Ds)

この二人のリズム隊がまたとってもうまくてかっちょいいです!

ICEのフレーズは、今で言うと、TOOLのジャスティン・チャンセラーのようなフレーズ中心のベースです。タイコはかなりビートが強いんですが、プログレちっくな曲も多いせいもあり、単純なエイトビート以外もしっかり叩ける人です。アルバムのラスト曲「Victim」のベードラの配置なんて、かなりスマートなフレーズと思います。ちなみに、ICEはG.のBeethovenと一緒に、このアルバムのみの参加でセカンドは別の人になります。

 

cc (tenor Sax:本名ChrisCullen)

このアルバムの後、ULTRAVOX!のセカンドの名曲「Hiroshima,mon amour」に参加します。

見た目通り、ちゃんとした青年で、プレイもとても上手いです!この人のフリーキーなサックスプレイがこのバンドのサウンドをまた特徴づけていますね。

 

以上の六人組のバンドです。

 

今ではビデオなども残ってなくて、断片的な写真でしか伺えないのですが(世代的にはちょっと懐かしい全共闘の嵐が吹き荒れる日本の70年代初期のような感じかもしれないですね...笑)、当時、メディアで革命的と称されていたライヴ・パフォーマンスがどのようなものだったのかはしっかりと把握できないのですが、かなり多くの部分をBAUHAUSが取り入れたとも言われるので、おそらくはBAUHAUSのステージングのような感じではなかったかと推測します。日本版レコードのインナースリーヴの写真もそんな印象になっていますね。

 

サウンドがどんな感じかというのを説明するのはちょっと難しいのですが、まぁ、パンク勃興期のバンドなので、楽器の音そのものはかなりパンキッシュですが、グロリア・マンディの音楽はパンクとプログレの私生児と言うか誕生から既にポストパンクと言うか、とにかく複雑でスタイルとしてのパンクロックではありません。リズムもワルツの三拍子をハードに刻んだり、舞台効果音のような金切音やリリカルなピアノまたはサックスのフリーキー・トーンから果ては不気味な笑い声など「予定調和」な音が入り込む隙間が全くありません。少し後に現れた完全にフリーキーなNo New Yorkあたりのバンドがすんごく上手くなったかのような、メンバー各人がそれ相当のテクを武器に激情を表現している感じです。ちょっと上手くいうことが難しいのですが、あくまでも“激情を表現している”、つまりとてもクールな感じなんです...やかましいけど...笑

ハワード・ディボートとジョン・マッギオークが並ぶMagazineがいて、スティング率いるThePoliceがいて、JohnFoxxが元気なウルトラヴォックスがいて、NickCaveが暴れるTheBirthdayPartyがいて・・・この時代のUKはスゴイ楽しかったでしょうね〜

私の当時組んでいたバンドの一つの女性リードヴォーカリストが1ヶ月ほど単身でロンドンに遊びに行ったのですが、私も行っておけばよかった...当時はバンドもあって忙しかったというのは、時が過ぎればただの言い訳ですね。彼女のお土産のLIVE会場で販売されるLIVE音源を収めたカセットテープがめちゃめちゃ面白いものばかりでしたね

ずっと他者にこのサウンドを伝える適切な表現を考えているのですが、多くの誤解や嘲笑の種となってしまうかもしれませんが、2025年の選択として、特に最近の私自身がとても類似性を感じるアーティストに例えて、グロリア・マンディのサウンドを形容してみたいと思います。

「米国プログレメタルバンド『TOOL』の起源がここにある。パンクロックの勃興期に突如現れ破裂して消えたポストパンクプログレ!」

 

それでは、このアルバムの収録曲のご紹介と一口メモを。

 

『I,Individual』GloriaMundi

【A面】

1. “The Pack” (6:41)

いきなり神経を逆撫するような不快な金切音が鳴り一気に大音量のぐちゃぐちゃな騒音...余韻のなかからハープシコードのような音でワルツの伴奏が始まります。終始、3拍子ながら極めてヘヴィなサウンドで紡がれる陰鬱の継続、そして極大と極少の抑揚。誰もが10代で通り過ぎ、あまりの重さに忘れ去ることに脳内で本能がコントロールした現実との乖離感。

「俺たちはガキで、騒がしいだけ、ただ群れてるだけの存在」


2. “Condemned To Be Free” (6:13)

「自由に宣告されている」...サルトル「存在と無」と真っ直ぐ繋がれたテーマ。このひねりのなさそれ自体が、若いという何よりも強力な武器ではないですか!

前曲のアウトロが続く中で、気のふれたようなEddieの笑い声が響いて、いきなりキメのブレイクから。ファンキーなギターフレーズが主体の曲というのに、あまりの爆音にちっともファンキーでなくなってしまっているところが素晴らしい!

まさにこのアルバムのハイライトの曲です!


3. “Daughters Of Rich Men” (6:03)

ミディアムテンポのギターアルペジオが静かに、緊張を奏でる始まり〜テナーサックスの甘美を装ったメロウなフレーズが雰囲気を一気に舞踏会の舞台設定に変える。展開も舞踏会でのダンスの伴奏のようなブリッジが交互に挟まる展開です。

「こんな舞踏会は初めてですね?手に触れるだけでわかりますよ」という言葉を皮切りに貧しきものが金持ちの娘を手篭めにするストーリー...ただし、夢の中で。


4. “I Like Some Men” (3:30)

キーボーディストでバンド内で紅一点のSunshineの作。ウタも彼女です。

「I like Some Men」というのは直訳では“こんな男が好き”ってことですが、この言葉はむしろ“だいたいの男は嫌いなの!”という意味のようです。前曲の終わりのドラムロールが残る中で、ベースのゴリゴリのリフで始まります。このバンドにしては珍しいくらいの疾走感あふれるポジティブなパンクソングです。

A面は、1曲目と2曲目がメドレーで3曲目と4曲目もメドレーですね。つまり2曲...笑

 

【B面】

B面はA面と違って、コンパクトなシングル向きの曲の5曲という感じです。


1. “I, Individual” (4:25)

ピアノの伴奏から始まるのですが、このちょっと時間をずらすようなコード弾きのアレンジがとても良いと思います。一度は演ってみたいと思っているのですが、どうしてもできません...汗

アルバムタイトル曲らしく、キャッチーな・・・わけないですね。とても捻くれた曲と展開です。

ギターのバッキングがとてもカッコ良くて、バンドでこんなバッキングのアレンジをした曲が結構あります。あんまり似なかった...テクニックの問題です...泣

繰り返されるリフレインの「I, individual, I, it was me」は直訳しても仕方ないですね。これは「was」というbe動詞の過去形がポイントで、“私という個人、それは気がつく前から私として存在していた”というニュアンスでサルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉の口語表現と解釈して良いと思います。


2. “You Talk” (3:32)

SaxのC.C.の作。この曲は歌詞にほとんど意味はなく、「口ばっかりで毎日、昨日と同じことを言う」と強烈に社会を批判する内容。おそらく、当時のレコード会社との交渉ってそんな感じだったのだろう...笑

この曲のギターの“じゃらッ”というコード弾きが本当にカッコよく、結構、練習した記憶があります。


3. “Park Lane” (4:53)

これは名曲ですね。もちろんパークレーンとはロンドンのハイドパーク沿いの高級ブティックやオフィスが並ぶ通りの名称ですね。リヴァプールにある実在のストリートの名称=TheBeatlesの「ペニーレイン」に習ったのでしょう。

ギターとサックスの絡み合うバッキングがめちゃめちゃにかっちょ良いっす!


4. “Split Personality” (4:00)

この曲は言ってみれば、「ストレートパンクソング」ですね。勢いでスタートし、途中、ありがちなブレイクをもっと極端な形で入れながら最後まで疾走する演奏です。

タイトル通りに受け取れば、これは精神分裂症の人の叫びのようなものでしょうか?

歌詞の流れは男から女への恨み節のようですが、これが自分の中の別人格に向けられたものとなると、恐ろしさや深刻さが増しますね。

この病の人って、ホントに大変な思いを抱えて生きているんだろうなぁ〜


5. “Victim” (4:20) 

ギタリストのBeethoven作。アルバム中で私が最も好きな曲です。50年弱の間、ずーっと好きな曲です。

ベードラのウラ打ちがなんともステキです!キーボードのアレンジも工夫があって凄いと思うし、何よりもメロディがPOPで良いです。

腕自慢のバンドがいるなら、この曲をカバーしてみると良いと思います。私はまったくこんなにカッコよくできなかったです!

ただ、テクニックのレベルの問題でした。このサイコーにカッコ良い曲で、ナイフで切ったようにアルバムは締め括られます!

そのケレン味のなさ・・・後味のスッキリさ・・・JAPAN「TinDrum」と双璧を成すと言ってもいい『完結』感です!

 

楽曲作りの中心人物でありフロントマンでもあるEddieはデヴィッド・ボウイの熱烈なファンなので、ボウイの音楽と比較されたりそれっぽくなってしまったりということはあるかもしれませんが、あらためてアルバム通して聴くと、そんなことはどうでも良くなるくらい、本当にぐんぐんと活力が湧いてくる気がします!

このアルバムの特に歌詞に見られる個性的な点は、完全に『実存主義』という「自意識への問いから始まったにもかかわらず過剰な自らの自意識を徹底して嫌悪する思想」、おそらく若者のすべてが一度は覚える自己の存在に対する精神的な葛藤や社会を否定することへの無知ゆえの憧憬とサブカルチャーや極端なキャラへの偏執狂的な没頭(厨二病ってヤツ...汗)、というものが音楽として結晶した記録という点です。

若いとか、思慮が足らないとか、世界を知らないとか、本物を知らないとか。そんなことよりも剥き出しになった純粋な人間としての、避けられない思索することへの恐れとか嫌悪感とかが、余計な装飾なく、血と肉を持って形作られた遺産としての美しさが圧倒的だと思います。

 

少しプログレぽさを湛えた展開の複雑なパンクロックという音が、完全に私個人の嗜好にマッチしていること事実であるとしても、どうしてこんなに長い間、好きでいられ続けられるのでしょう???

いやむしろ、どうして世界はこんなに凄い「音」を歴史の中で無視し続けられるのでしょう???

・・・はじまらないか、いまさらながら...笑

 

 

 

このメモを、近い未来のボケた私が見て、興味を覚えて余計な努力で時間を無駄にしないように、以下もメモっておきましょう。

 

このグロリア・マンディというバンドにはセカンドアルバムもあります。

「TheWorldIsOut」(1979年)

 

【A面】

1.First Light Of Day(4:00)      
2.What's Going On?(3:49)      
3.YY?(4:58)
4.Do You Believe?(3:49)
5.Temporary Hell(8:26)
【B面】
1.Dangerous To Dream(5:34)
2.Let's Pretend (That We're Alive)(4:46)
3.The Hill(5:29)
4.In The Blackout(3:25)
5.Glory Of The World(4:41)

A-2、A-3(LouReedのWhitelightWhiteHeatのパクリみたいな曲、『ワイワイッ』って合いの手の入る曲です笑)、B-1、B-4、B-5くらいがわずかにこのバンドらしさが残っている印象ですが、全体的に「これぞ凡庸」という見本のような見事な駄作です...笑
1stと違うのはメンバーです。それもギタリストとベーシストが抜けてます。後任のプレイヤーの方が多分、当時、有名で実力もあると思われますが、残念ながら・・・。
だから、探してまで聞こうと思わないように!

さらに、セカンドをリリースした後、グロリア・マンディを解散させ、Eddie&Sunshineというシンセポップデュオを組んでキャバレーソングばかりのアルバムを出しましたが、これも探す必要はないと思います。

グロリア・マンディを聴いたことがないという大半の人にとって、50年弱も前の音楽についてそんなに熱く語られてもねぇ・・・と思われることは仕方がないことなのだろう...汗
確かにそうだな。私にK-POPの魅力を熱く語られてもねぇというのと一緒だろうね。
でも私はBTSをはじめとしたK-POPのグループのいわゆる流行っている楽曲はかなりの数を聞いているのではないかと自分では思っている。というのも、私の職場ではBGMの選択権を持つフロアのお偉いさんが韓流POPグループの追っかけで、会社で毎日8時間ほどの間、私の耳を弄しているのはすべて間違いなくK-POPの楽曲群なのです。

いえ、同情されなくとも大丈夫ですよ〜
こうするしか生きていけない...という状況の中で、「私」をいっさい自覚しない8時間を過ごすことも、5年も続けていればごく当たり前の「私」、現在の“覇気もなく”“前向きでもなく”“世間話をする相手もなく”“ほとんど生きている人と会話をすることなく1日を終える”「私」こそ、サルトルのいうところの実存する私なので・・・。

これも『あり』ですよ...笑