ピーター・ハミル、デヴィッド・ボウイ、プリンス。
現在の私に大きく影響を及ぼした上記の【3人の神】の偉業について、全く私個人のみの視点から、どんなアーティストで、どのように変遷し、何が優れているのかなどをメモっていきたいと思っています。ちょっと濃すぎるくらいの内容になると思いますが、まずは、やがてボケるであろう私に向けたメモなので、めんど臭くなったらすぐ離脱するなど、諸々よろしくお願いします。
2025年末に、デヴィッド・ボウイ(以下、DB)についてまとめたメモから始まった私にとっての神についてあえて言語化しようという試みは、あらためてメモを見返してみても、さほど私が心酔している魅力を的確に言語化できてるとは思えない。そもそも「好き」という感情を言葉で表現すること自体、野暮の典型でもあり、意義深いこととは微塵も思えないのだが、やり始めてしまったので一旦は終えておかないと.....美しくない!
せめてDBについてのメモよりは少しはマシな内容にしたいと思う...というわけで、DBに次いで、殿下=プリンス(以下、殿下P)を。
※【3人の神】の音楽創作の歴史を冷静にアルバム単位で時系列としてまとめると以下のようになります。【3人の神】の所業を語る際には必ず、下の年表を掲載しようと思います。
【3人の神】についてのメモにおいては、共通の切り口とテーマに従ってメモっていくと決めている、その切り口とテーマは
①最大の魅力とは
②創造した楽曲の特徴とは
③すべてのアルバムについて(今回はあまりにも長くなりすぎそうなのでここは②と兼ねて全部は網羅していません...すんません汗)
というものですが、その前にまず、殿下Pについてはプロフィールをまとめておきたいと思います。
【殿下Pのプロフィール】
1958年生まれ、2016年に57歳で急逝。
デビューした1978年の段階で、DBはすでにベルリン3部作(「LOW」「“HEROES”」「TheIdiot」by IggyPop)をリリースしていたし、ピーター・ハミルは7枚目のソロアルバムと3次めのバンドを解散させていました。
私は殿下Pのデビューは全く知りませんでしたし、ビルボードでもR&Bチャートに掲載される、つまりブラコンカテゴリーのアーティストだったので、興味すらなかったです。
それが、体感としては“アッという間に”『神』にまでなるのですから、その才能の凄さという点で言えば、【3人の神】の中でも圧倒的なのかもしれません。
その証明=evidence代わりとでも言うか、殿下Pの残した足跡を数字としてあげてみます。
・発表したスタジオアルバム:40作
・発表したライヴアルバム:5作
・発表した(された)ベストアルバム:7作
・発表したシングル:117作
全米1位になったシングル:8作(ビルボード誌:R&B/HipHopChart)
・・・恐ろしい・・・王会長の現役時代の記録のようにまるで現代と共通した土壌のカケラすらないほど、異次元の記録ですね...笑
わかりやすい表現で言えば、彼のすごさは単なる「ヒットメーカー」じゃなくて、
・ほぼすべての楽器を自分で演奏
・作詞・作曲・編曲・プロデュースまで一人完結
・ロック、ファンク、ソウル、R&B、ポップを横断
つまり、“ジャンルという概念を壊した人”ということですね。
その活動の特徴を一言で言うと、「アーティストの完全自立モデル」ということになりますね。つまり
・レコード会社と戦って名前を記号に変更
・マスター権利をめぐる闘争
・自分の作品を自分でコントロールする姿勢
これは今のストリーミング時代のアーティスト像を先取りした、ということになりますね。
【殿下Pはロック?ソウル?ファンク?】
一般論を並べたところで私にとっては何の魅力もないので、私自身が納得できる私自身にしか通用しないであろう偏見で、大雑把に括れば、普通、ロックは「ギター中心」、ソウルは「グルーヴとウタ中心」ですが、殿下Pは両方を一人で、それぞれ誰も到達できないようなレベルでやってしまった。
例えば:
・ギター → ジミヘン級の表現力
・リズム → 完全にファンク(James Brown系譜)
・ボーカル → フルヴォイスでジャジーに、ファルセットでソウルに
・サウンド → 要素を全て分解して新しい配置にし直し、シンセで未来感とか
これを全部一曲に入れるから、「プリンスというジャンル」になる。
そう、殿下Pの楽曲はすべて、プリンスというジャンルで表すしかないのです。そのジャンルには殿下Pの創造した楽曲しかありませんが、どうやらまだ日の目を見ていない楽曲が山のようにあるそうです...笑
では、共通の切り口とテーマに従ってメモリましょう。
①最大の魅力とは
『完璧な演奏が創る“美の新種”』
ということに尽きるのではないかと思います。
これは別の言い方をすれば、ニューエストワンアンドオンリーと言うことです。
時代を問わず!
殿下Pを多くの人が天才と表現するし、実際の殿下Pのリリースした楽曲やアルバムを丹念に聴いていけばいくほど、その“設計”がいちいち前例がない!というアプローチばかりであることに気づきます。
例えば、殿下Pを初めて私が認知し、一気にハマってしまった楽曲「WhenDovesCry」。
ベースという、私にとってはバンドサウンドにおいてほぼ最重要と思われるパートがこの楽曲には存在しないのに、そんなことどうでも良くなってしまうくらいのカッコ良さ!
率直に、私をガッチリ打ちのめしたもの...それはね、ウタです!殿下Pの!
リズムもノリも雰囲気も、全てをウタが完璧に創ってしまってます!これほどのウタは唯一無二なんです。完全に完璧なヴォーカル=演奏です!おそらく、リズムボックスがなくとも、殿下Pのギターとウタだけでも完璧なROCKになるでしょう!楽曲に入っていないベースパートも、タイトなリズムを刻むタイコも、妖艶な雰囲気を醸すキーボードも、殿下Pのウタさえあれば、全部まとめて、聴く私がアタマの中で作り上げてしまえる自信があります!それほど、すごいウタです。殿下Pを除く人類にはここまで到達することは不可能と感じます。
②創造した楽曲の特徴とは
殿下Pの創造した楽曲はすべて「プリンスというジャンル」なのですが、それぞれの楽曲やアルバムごとに意図的に設計された“既存のジャンルぽさ”が明確に存在します。演者としての優秀さについては個人の好みによってその突出具合がまちまちな評価になることはまぁありがちだと思いますが、この“設計力”についてはおそらくどんな辛口の評論家も「ただただ、同じようなことをこのレベルでできるのは人類史上でもいなかった」というしかないでしょう。その1点が殿下Pをワンアンドオンリーな存在として成立させていると言えると思います。最初に釘を刺すと、殿下Pは“ジャンルで整理されること自体を拒否する人”なので、これはあくまで便宜的な分類です。むしろ各アルバムに全部の要素が混在しているのが本質です。
その前提で、バークリー音楽院的にいくつか特徴な顕著と思うアルバムを例に出して「支配的な音楽言語」で仕分けします。
■ ソウル系(ボーカル/ハーモニー主導)
・Sign o' the Times
「ブラック・ミュージックの知性が極限まで研ぎ澄まされた教科書」
社会性・ミニマル・グルーヴ・ゴスペル感覚が共存
・Lovesexy
「宗教性とエロスを同時に歌い切る“プリンス節”の純度MAX」
ほぼ組曲的構造
・Diamonds and Pearls
「ニュー・ジャック以降のR&Bに殿下Pが回答した作品」
バンド感+コンテンポラリーR&Bの融合
・The Truth
「装飾を削ぎ落とした“声と歌”の実験室」
アンプラグド的ソウル 入手以来、私のヘビロテの1枚
■ ファンク系(リズム/グルーヴ主導)
・Dirty Mind
「ミニマル・ファンクの革命」
スカスカなのにエロくてグルーヴする
・Controversy
「政治・宗教・性をファンクでぶち込む問題作」
リズムの反復とメッセージ性
・1999
「エレクトロ・ファンクの完成形」
ドラムマシンの使い方が歴史を変えた
・Musicology
「“原点回帰ファンク”の現代アップデート」
James Brown直系の解釈
■ ロック系(ギター/構造主導)
・Purple Rain
「ブラック・ミュージックがロックを飲み込んだ瞬間」
ギターとドラマ性のピーク
・Around the World in a Day
「サイケ×ポップ×ロックの実験場」
The Beatles的志向
・Parade
「アートロック的ミニマリズム」
構築美と奇妙さのバランス
・Lotusflow3r
「ギタリストとしての自己証明」
かなり“弾き倒している”
あえて力技として仕分けしたこの分類で見えてくるのは、
- ソウル=「内面(声・精神)」
- ファンク=「身体(リズム・性)」
- ロック=「外部(音圧・物語)」
そして殿下Pはこの3つを一人の中で循環させていた、ということです。
正しく言うと「殿下Pはジャンルを横断したのではなく、“ジャンルが彼の中で分業されていた”」
〜プリンス(殿下P)とは何者なのか<私の“聴く”美学を裸にしてみよう>〜
ここから先は、殿下Pとは一体なんだったのか?いや、現在も、一体なんなのか?殿下Pの楽曲に触れている時の私をあえてメタ的に分析してみたいと思います。
私にとって殿下Pの最高傑作は紛れもなくParadeで、その次に好きなのが、突如として、一気にJAZZのベーシックなフォーマットを完璧に殿下P的FUNK-ROCKにまで仕立て上げたRainbowChildrenなのですが、その2作のアルバムについてまずは私の解釈をメモしようと思います。
■ Paradeという作品の本質
一言で言うとParadeは
「ロックのダイナミクスを“引き算”で再定義したアルバム」
通常ロックは、音圧/ギターの厚み/バンドの一体感、で成立するんですが、Paradeは真逆をやる。「音を削る/スペースを作る/無音をグルーヴにする」これが成立している時点で異常です。完全に、ロックを解体しにきています!
■ 楽曲単位での核心
・Kiss
「ミニマル・ファンクの完成形」
ギターほぼカッティングのみ、ベース不在に近いのに成立するグルーヴ。
これはJames Brownの“1拍目支配”を極端化した形。
リバーブ処理『0』のウタの破壊力MAX。
・Sometimes It Snows in April
「プリンスの“死生観”が最も純度高く出た曲」
和声はシンプルなのに、余白で泣かせる。
後年の死と結びついて語られるのも無理はない。
・Mountains
「ポップとサイケとゴスペルの接点」
ここはむしろThe Beatles的な発想。
コード進行より“音響の重なり”で持っていく。
■ サウンドの異常性(音楽理論的視点)
Paradeで起きているのは:
・機能和声より“テクスチャ”優先
・リズムの隙間を構造として扱う
・楽器の役割が固定されていない
つまり、「バンド音楽の構造を一度バラして再配置している」
これはジャズの発想にかなり近い。
■ なぜ評価が分かれるか
Purple Rainのような
“わかりやすいカタルシス”を期待すると肩透かしになる。
でも逆に、私のような「音の配置や間に快感を感じるタイプ」には刺さる。
■ 私の結論
Paradeは「殿下Pが“音楽を鳴らす”から“音楽を設計する”側に完全に移行した瞬間」
そして重要なのは、このアルバムの延長線上にThe Rainbow Childrenがあるという点。
正直ここからが本番です。
殿下Pの楽曲が他の全ての楽曲とまったく異なるのは、
コードあるいはコードトーン、日本語で言えば和声というものの扱い方だと思っています。
そしてParade→RainbowChildrenという系譜はその扱い方の変化を最も愉しめるんです。
つまり
■ Parade → 和声を“固定しない”音楽
Paradeは
・コード進行で引っ張らない
・機能和声(トニック→ドミナント)を曖昧化
・“キーの周辺に漂う音”で構築
これはかなりJAZZでいうところのモード的発想に近い。
ただ重要なのは、モードJAZZのように
「スケールを固定して自由に吹く」ではなくて、
“音色・間・リズム配置で和声の代わりを作っている”
つまり、コードを減らしているのに、情報量は減っていない・・・ここが異常です。
■ Rainbow Children → 和声を“流動させる”音楽
一方でThe Rainbow Childrenは
・拡張コード(9th,11th,13th)が常態
・コードが“機能”ではなく“色彩”として連続する
・リズムはジャズ寄り(スウィング/ポリリズム)
楽曲の底辺で蠢(うごめ)き続けているベースに注目してほしい!少し雑破な表現を使うと「JAZZリズムでファンクをやる」
ただもう一歩踏み込むと、“コードが動いているのに、トーナリティが固定されない”
ここがポイント。
普通ジャズはコードが増えるほど「機能的」になるのに、
殿下Pは逆に曖昧さを増やす方向に使っている。
■ 2作の共通点(ここが重要)
そう聴くとParadeとRainbowChildrenで感じる“同じアプローチ”の正体はこれです:
「和声を“目的”にしていない」
・Parade → 和声を削って、時間と空間で成立させる
・Rainbow Children → 和声を増やして、流動性で成立させる
アプローチの方向は逆なのに、 結果として“トーナルセンターの曖昧さ”に到達している
私が殿下Pをどうしようもないくらい遠い所にいる天才だと感じる一つの理由はこの“和声感覚”です。
私にはかなり頻繁に ヨーロッパ的に聞こえるんです。そこがとてつもなく性に合っている点です。
でも、殿下Pの和声は「ヨーロッパ的」なのではなく、“ヨーロッパ的に聴こえるように再配置されたブラック・ミュージック”です。
ここを分けて捉えないと、どこまでも「像」が立体になりません。
■ なぜ“ヨーロッパ的”に聴こえるのか...冷静に
私が感じている美しさの正体は、おそらくこのあたりです:
・機能和声(トニック→ドミナント)に縛られない
・テンション(7th,9th,11th)が“常態化”している
・解決を急がない(カデンツを引き延ばす)
・響きそのものを持続させる
これは確かにドビュッシー以降のフランス印象派的な聴感に近い(=“進む”より“漂う”)
■ でも出自は完全にブラック・ミュージック
重要なのはここで、殿下Pの和声の素材は
・ゴスペル(拡張和声)
・ジャズ(ボイシングとテンション)
・ファンク(和声を固定しないリズム中心主義)
完全にブラック・ミュージックの語彙です。
■ 殿下Pがやったこと
“機能”としての和声を捨てて、“色彩”として再配置した
普通の流れ
・ゴスペル → 感情を増幅
・ジャズ → 即興のためのフレーム
殿下Pは「和声を“意味”ではなく“質感”として扱う」
■ 私が美しいと感じる理由
これはかなり明確で:“解決しない美しさ”です。
例えば:
・クラシック(古典派)→ 解決=美
・ソウル→ 感情=美
・殿下P→ 未解決の持続=美
これは完全にヨーロッパ近代音楽的な感覚ですね!
■ 具体的にどの作品で顕著か
私の好みと完全に一致していて
・Around the World in a Day:和声が“進まない”
・Parade:和声が“消える”
・The Rainbow Children:和声が“流動する”
すべて共通して“機能和声から自由になっている”ということですね。
■ JAZZピアニスト、ビル・エヴァンスのアプローチとの接点
和声の理解にはBill Evansを引き合いに出すとわかりやすくなる気がするのですが、彼も
・ドビュッシー/ラヴェル的和声
・内声の動き
・解決の遅延
“ヨーロッパ的な和声感覚をジャズに持ち込んだ”
そして殿下Pはそれをポップ/ファンクの中でやった
■ 決定的な違い(ここが面白い)
・エヴァンス → 内省・静的
・殿下P → 外向き・ポップ
抽象的なのに大衆音楽として成立している...これが“遠さ”の正体です。
■ 殿下Pの楽曲における“美”とは
私が感じている“とてつもなく美しい”の正体は「ブラック・ミュージックの身体性」と「ヨーロッパ的和声の非機能性」が同時に存在していることだと思います。
普通はどちらかに寄るのに、殿下Pは両方を崩さず共存させています...
なぁんだ、私はいつも「殿下Pを“黒人音楽”としてではなく“和声作曲家”として聴いている」ということなんですね。
だからこそ
・ソウルフルさに違和感
・構造の粗さに拒否反応
・未解決の響きに美を感じる
■ なぜこれほどロックっぽく聴こえるのか?
これも面白いところで、どちらも実はジャズ的なのにロックに聴こえるのは
・ビートが“前に出る”(後ノリに寄りすぎない)
・フレーズが“歌として成立する”
・構造が“曲単位で完結する”
つまり、「抽象的になりすぎない制御」が常にある
ここが純ジャズとの決定的な違い。
■ 演者としての視点からこの2作の特徴
演者としての視点をちょっとだけ入れてこの2作品を整理するとこうなります:
・Parade
→「ファンク的時間感覚でモード的空間を作る」
・Rainbow Children
→「ジャズ的時間感覚でファンク的身体性を維持する」
そして両者に共通するのは
“コード進行に依存しないグルーヴ設計”
もう一つ、私が殿下Pについて根本的にどっぷり“ハマることができる”要素があります。
実は多くの殿下Pのファンの人と違って、私にはそれほど“黒さ(ファンクネス)”を強く感じないのです。もちろんこれは、ひとつには私がブラックコンテンポラリーミュージックをしっかり聴き込んだことがないこと、つまり「あんまりよく知らない」からであることは明白ですが、例えば、先ほど和声で引き合いに出したピアニストのビル・エヴァンスのMilesと演ってからその後の4年くらいの間のJAZZ作品に顕著な“メイン潮流のJAZZとは意識的に並走しない指向”のように、殿下Pで言えば、“黒さ”のメイン潮流、ここはむしろファンクネスというよりはソウルフルというものに、意図的に距離を置こうとしているように聴こえるのです。
JBはじめ、R&BというかFunkというか、あまりに黒っぽいのは私は苦手なんです。
私にとっては、殿下Pは“黒さを強めた人”ではなく、“黒さを編集し直した人”です。
これについても、もう少し言語化してみようと試みますね〜
■ 殿下Pの楽曲は明確に黒人音楽と距離を取ろうとしている
「ソウルフルな“感情の直線性”からの距離」
たとえば、Bill EvansがMiles Davis以降の数年間でやったことは、
・ゴスペル的高揚を避ける
・ブルース的直情を薄める
・内省的・構造的な音楽へ寄せる
でしたよね。私は同じものを殿下Pにも感じています。
■ 殿下Pは“ソウル”をやっていない
ここ、私にとってはかなり重要なポイントです。
殿下PはJB(James Brown)の系譜に明確に入りますが、
アレサ・フランクリン的な“ソウルの爆発”は意図的にやらない
なぜか?
「感情の共有」より「感覚の設計」を優先しているからです。
■ Paradeで起きていること
Paradeは特に顕著で、
・感情を“吐露”しない
・グルーヴを“煽らない”
・音を“配置する”
つまり「ソウルフルであること」を一段メタに扱っている
これは普通のブラック・ミュージックとはかなり距離があります。
■ Rainbow Childrenでの再構成
The Rainbow Childrenになると一見“黒さ”は戻るんですが、
実際には:
・ゴスペル的コード
・ジャズ的ボイシング
・ファンク的リズム
を使いながらも“情念としての黒さ”には踏み込まない
むしろ“黒い音楽の語彙を使って抽象音楽をやっている”
■ なぜそう聴こえるのか(ここ核心です)
私の感覚を稚拙ながら言語化するとこうなります:
一般的なブラック・ミュージック
・感情 → 音楽(一次変換)
殿下P
・感情 → 構造 → 音楽(二次変換)
この「ワンクッション」があるから、“黒さが希釈されている”ように聴こえるのではないかと思います。
■ ビル・エヴァンスとの共通点
ちょっと蛇足かもしれませんが、
Bill Evansも
・ブルース語法を残しつつ
・情念を直接出さず
・音響と和声で語る
「内面化された黒さ」をやっていた
殿下Pも同じで、“黒さを外に出さず、内部で設計している”
■ ただし決定的な違い
ここが面白いところですが、
・エヴァンス → 内省へ収束
・殿下P → 外向きの“ポップ構造”を維持
だから殿下Pは抽象化しても「ロック/ポップに聴こえる」
■ 私が殿下Pの楽曲にハマる根源の仮説
殿下Pは「ソウルフルであること」から意図的に距離を取っている瞬間がある
特に、Parade期とRainbow Children期は顕著。そしてその結果「黒さを感じさせないブラック・ミュージック」になっている
名作と誉高い「Sign of The Times」を私が実はあまり気に入っていないこと、そして「Emancipation」も同じようにハマってないことについて、おそらくはここが原因ではないかと睨んでいるのところがあります。次にその2作品に“それほどハマれない”ワケを頑張って言語化してみましょう。
手っ取り早く言うと——私は「感情の強度」ではなく「構造の美しさ」で殿下Pを聴いている。
だから Sign o' the Times や Emancipation に違和感が出る。これは好みの問題ではなく、聴取の軸の違いではないだろうか。
■ なぜ Sign o’ the Times が刺さらないのか
このアルバムは一般的には「最高傑作」と言われますが、実態は“統一された美学の作品”ではなく、“断片の集合体”です。
中身を分解すると、
・社会派ミニマル(Sign o’ the Times)
・擬似ジェンダー表現(If I Was Your Girlfriend)
・ポップ(U Got the Look)
・ゴスペル/ソウル(The Cross)
つまりコンセプト=多面性そのものです。
■ 私の感覚とのズレ
私が“ハマっている”、ParadeとThe Rainbow Childrenは共通して“一つの原理で全体が貫かれている”
一方で Sign o’ the Times は“原理が複数ある”
だからこう感じる
・深いけど散漫
・面白いけど没入できない
■ Emancipation が響かない理由
Emancipationはさらに顕著で、“自由の宣言”であって“音楽的統一体”ではない
・3枚組(1枚1枚はきっかり収録60分、正直、全部聞くと疲れる...汗)
・ジャンル横断
・当時のR&B文脈への接続
これはつまり“外部(市場・時代)との関係性”が強い作品
■ Parade / Rainbow Children との決定的違い
|
要素 |
Parade / Rainbow Children |
Sign / Emancipation |
|
中心軸 |
音響・構造 |
表現・メッセージ |
|
統一性 |
高い |
低い(意図的に) |
|
聴取体験 |
没入型 |
断片的 |
|
黒さ |
内部化 |
表出(相対的に) |
私はどうやら、左側の美学を好むようです...笑
■ もう一段踏み込むと
私の耳はおそらくこういうタイプです。
「アルバムを“建築物”として聴く」
・音の配置
・時間の流れ
・統一された質感
を重視する
だから
・Sign o’ the Times → 「優れた“作品集”」に聴こえる
・Emancipation → 「広がりすぎた“カタログ”」に聴こえる
■ “ハマるポイントとちょっと冷静になるポイント”
私は“編集された殿下P”を好み、“解放された殿下P”には乗れない
そう考えると、これはかなり一貫していて、
・Parade → 極度に編集された美学
・Rainbow Children → 高度に設計された抽象性
ということになりますね。
では、次にPurpleRainの次作であるAroundTheWorldInADayについてメモってみます。
「Around」は私は、全くお見事だと思っています。
実は、私にはパープル・レインよりもロックぽく感じます。パープル・レインは、もちろんとても好きな作品で、殿下Pの押しも押されもしない最高傑作の一つだと思いますが、基本的にはサントラで架空のストーリーの上に描かれた完璧な楼閣のような印象です。・・・ルキノ・ヴィスコンティの映画作品のような。それに引き換え「Around」は“ROCKミュージシャン=プリンス”の渾身の作品のように思います。良い曲を書けて、その素材をテンションコードを基本的に活用して演奏=アレンジすることにより、ありきたりのロックぽさ、つまり3度の調性と5度の厚みづくりだけにはならないように工夫を凝らした作品という感じです。
私が確信していることを言うと——Around the World in a Dayのほうが“ロック的主体性”は強い!
ここも頑張って言語化を試みてみましょう。
■ 「Around」はなぜロックに聴こえるのか
一般的にはサイケ/ポップ寄りに語られがちな作品ですが、実際に起きているのは“ロックの和声言語を更新している”
・テンションコードの積極使用
・3度/5度中心のロック語法からの逸脱
これはまさに核心です。
■ Purple Rainとの本質的な違い
Purple Rain
・物語ありき(サントラ構造)
・感情の増幅装置としての和声
・クラシカルなロックのカタルシス
「完成された様式美」
Around the World in a Day
・物語に従属しない
・和声そのものが主題
・曲ごとに“音楽的仮説”がある
「ロックという形式への介入」
■ 和声的に何が起きているか
この作品は、テンションを“装飾”ではなく“基礎構造”にしている
普通のロック:
・triad(3和音)+パワーコード
・テンションは色付け
Aroundでは:
・7th / 9th を前提にしたボイシング
・機能和声が弱く、色彩で進む
つまり“コード進行”ではなく“響きの連続”で曲を作っている
■ 具体曲で見てみる
Raspberry Beret
フォーク/ポップに聴こえるが、実際はかなり複雑
・ダイアトニックに収まりきらない動き
・和声より“空気感”で進む
Around the World in a Day(タイトル曲)
完全にモーダル寄り
・機能和声の重力が弱い
・音階的な浮遊感
Condition of the Heart
ここが一番“プリンス的”
・ロマンティックなのに解決しない
・感情より“響きの美しさ”が先行
■ ロック的主体性の核心
「3度の調性と5度の厚みづくりだけにはならないように工夫」
これは言い換えると“ロックの重力(トニック志向)を弱めている”
だから
・感情爆発型ロックではない
・でもロックのフォーマットは保っている
結果的に、“ロックの外側からロックをやっている”
■ なぜこれが「渾身」に聴こえるのか
殿下Pはこの時期、
・Purple Rainで巨大成功
→ 普通ならその延長をやる
でも実際は「売れたロック」を捨てて、「自分のロック」を作りにいった
これが“主体性”として聴こえる理由ではないかと思います。
■ Paradeとのつながり
この次に(こちらも形式的にはサントラなのだが)出るParadeとの繋がり、ここも重要で、
・Around → 和声を拡張
・Parade → 和声を解体
方向は逆だが、目的は同じ(ロックの再定義)
■ パープル・レインからの流れを整理すると
Purple Rain
= 「完成された建築(外部構造)」
Around the World in a Day
= 「思考するロック(内部構造)」
そして私は明らかに後者を評価している...汗
では、Paradeと次に出されるLovesexyは私はどう聴いているのでしょう。
Lovesexyは私はプリンスが初めてミスった作品と感じています。
どういうことかというと、「解釈とアレンジをしたくてたまらないので曲を書いた」唯一の作品ぽく感じます。80年代の特に米国を席巻していたAOR、つまり産業ROCKと同じ落とし穴にハマっている気がします。ただそれは、“失敗”というより「殿下Pがやろうとしたことと、私の美学が噛み合っていない地点」に近いだけなのかもしれません。
■ Lovesexyで起きていることの正体
Lovesexyは一言で言うと「音楽を“曲単位”ではなく“連続体”として設計した作品」
・1トラック構成(実質組曲)
・モチーフの再帰
・セクションごとの質感変化
つまり“アルバム=一つの大きなアレンジ”
■ 私が感じている違和感の核心
「解釈とアレンジをしたくてたまらないので曲を書いた」
これは、言い換えると:“楽曲が自立していない”ように聴こえる
私の好み(これまでの復習)
・Around the World in a Day
・Parade
・The Rainbow Children
「構造が先にあり、楽曲がその中で機能する」
Lovesexy
「構造そのものが主役で、楽曲が素材化している」
■ なぜ“AOR的”に聴こえるのか
ここが面白いところなのですが、
産業ROCKの落とし穴=AOR的になる条件は
・音響の完成度が高すぎる
・グルーヴが“制御されすぎる”
・感情より“処理”が前に出る
Lovesexyには“意図的にコントロールされた過剰さ”がある。
結果として“演奏されている”というより“設計されすぎている”
■ Paradeとの決定的な違い
Parade
・引き算
・不安定さ
・空白が主役
「未完成性がグルーヴを生む」
Lovesexy
・足し算
・連続性
・すべてが接続されている
「完成度がグルーヴを固定する」
■ なぜ殿下Pはここに行ったのか
文脈的にはかなり重要で、
・Sign o' the Times → 多面性の爆発
・Lovesexy → それを統合しようとした
つまり「バラバラだったものを“一つの流れ”にしようとした実験」
■ 違和感を言語化すると
「音楽が“生まれている”感じがしない」
・Around → 発見
・Parade → 解体
・Rainbow Children → 再構築
に対して
・Lovesexy → “設計の連続”
■ 私にとっての位置付け
Lovesexyは「プリンスが“アルバムというメディア”に挑戦しすぎた作品」
であって、“楽曲単位での強度”を犠牲にしている
ただし皮肉なことに、この“やりすぎた統合志向”が後の The Rainbow Children の完成度に繋がるのでは、と思っています。
■ 私の“聴く”美学を一言で言うと
ここまでの一貫性を見ると「構造はあるが、閉じていない音楽」
を私は確かに好んでますね。
・Around → 開いている
・Parade → 崩れている
・Rainbow Children → 流動している
・Lovesexy → 閉じてしまっている
この流れ、稚拙な分析ではあっても、我ながらかなり面白いです。
調子に乗っちゃいますね。
■Dirty Mindは私にはどう聴こえるか?
実はこれ、ここまでの私の“聴く”美学だと「最も評価が割れる可能性がある初期作」ですね。
DirtyMindは実は、私は殿下Pの中では珍しく全くダメなんです。このアルバムは明らかに「構造が先にあり、楽曲がその中で機能する」という私が好む条件のアルバムですが、その構造が陳腐でありチープ、つまり素人臭いと感じるのです。その強烈な匂いが私には耐えられないです。日本人のロックを聴いている感じがします。おそらくこれは“陳腐”というより、“意図的に原始化された構造”でしょう。
ただ、その「原始化の質」が私の“聴く”美学と噛み合っていない。その噛み合わない具合を頑張って言語化してみましょう...笑
■ Dirty Mindの本質
このアルバムDirty Mindはよく「ミニマル・ファンクの革命」と言われますが、
実態はもっと極端で「構造を削りすぎて、骨格だけにした音楽」と思っています。
■ 私が感じている“素人臭さ”の正体
構造が陳腐でチープ
これはかなり正確に言い換えると「抽象化のレベルが低い」
私が好む抽象度
つまりAround the World in a Day/Parade/The Rainbow Children、これらは
高次の抽象化(和声・時間・音響の再設計)が図られている
一方で
Dirty Mindの抽象化は、低次の抽象化(要素の削減)、すなわち
・コード単純
・リズム直線的
・音色も限定的
つまり“複雑さを減らしただけ”に聴こえる
■ なぜ“日本のロックっぽい”と感じるのか
共通点は:
・構造がシンプル
・グルーヴが“設計”されていない
・音の必然性が弱い
「形式をなぞっている感じ」
ただ決定的な違いもある。それは日本ロック(私の言う意味で)構造が浅いまま止まる
Dirty Mindは、“極端化されたミニマリズム”として突き抜けている
■ それでもダメに聴こえる理由
私の耳は一貫して「構造の“質”を聴いている」
そうすると、Dirty Mindは
・シンプルすぎる
・展開の必然性が弱い
・音の配置が粗い
つまり、“設計された感じ”が足りない
一方で
・Parade → 設計が精密
・Around → 設計が拡張的
・Rainbow Children → 設計が流動的
■ まとめてみると
Dirty Mindは「殿下Pが“身体”で作っている音楽」
・直感
・反復
・エロスとリズム
私が好むのは「殿下Pが“頭脳”で作っている音楽」
■ 結論
私の評価を整理すると:
Dirty Mind= 「構造はあるが、設計が粗い」
私の基準= 「構造があり、かつ設計が高度」
そして最も重要なのは、私は“殿下Pの進化後”しか受け付けない耳になっている
ヤバイ!この流れ、かなり綺麗に一本通っている...。
では、世紀の名盤と呼ばれることも多い「1999」を私はどう聴いているのだろう?
Dirty Mindの延長なのか、それともすでに“許容できる設計”に入っているのか。
「1999」は実は私は、殿下Pのアルバムの中では、トップクラスに“曲が弱い”アルバムという印象を持っている。だけど、ここまでの自己分析でいけば、私にとっては、この領域こそ一番“評価が割れる殿下P”となるはずです。つまり私が「1999」を“曲が弱い”と感じるのと、「COME以降」に興味が向くのは完全に同じ理由ではないのか、ということです。
■ 「1999」が弱く聴こえる理由(私の耳の場合)
1999は一般的には
・エレクトロ・ファンクの金字塔
・グルーヴの革新
と評価されますが、私の軸で見ると「グルーヴ設計に対して、楽曲構造が追いついていない」となります。
具体的に何が起きているか
・反復が強い
・展開の必然性が弱い
・和声的な深みが薄い
つまり“トラックは強いが、コンポジションが弱い”
これは私が一貫して嫌っている「構造の質の低さ」そのものです。
■ ここから本題:「COME以降」
Come以降のプリンスは、明確にフェーズが変わります。
「ミュージシャン」から「プロデューサー/編集者」へ
■ COMEで起きた決定的な変化
Comeはかなり重要で「曲を書く」より「トラックを構築する」にシフトしたアルバムです。
残念なことに、アルバム全体としてあまりに単調すぎて、私はいつも途中で飽きてしまいます。
Comeの特徴:
・ループ志向
・グルーヴの持続
・展開を“削る”
Paradeとの違いはこうです。
・Parade → “間”で構造を作る
・Come → “持続”で構造を作る
どちらも非機能和声だが、時間処理が真逆です。
■ 私がCOME以降にも惹かれる理由
私の“聴く”美学からすると「構造が“露出している”音楽」が好きということになります。
COME以降は
・トラックの骨格がむき出し
・編集の痕跡が見える
・音の配置が“設計図的”
“作られ方が聴こえる音楽”に明確になってしまいます。
■ ただし重要な問題(ここが微妙かどうか判断が分かれるポイント)
COME以降は同時に“プロダクション化しすぎる”
つまり
・楽曲の自立性が低い
・感情の流れが弱い
・統一感が逆に“平坦さ”になる
■ ここで再びEmancipationを持ち出すとわかる関係
Emancipation、私がこれを評価しないのは「プロダクション化」と「拡散」が同時に起きていることでした。
つまり
・COME → 凝縮
・Emancipation → 拡散
同じ手法の“失敗例”と“成功例”の関係にも見える
要するに、COME以降の殿下Pは「音楽を“時間のオブジェクト”として扱っている」
・ループ
・レイヤー
・ミックス
これはもはや“作曲家”ではなく“サウンドデザイナー”としての役割という方が正しいかも。
■ 私との相性
私は「構造が見える音楽」+「高度な設計」を求めている
だから:
・1999 → ✕(構造が粗い)
・Emancipation → ✕(構造が散る)
・COME → △〜○(設計は見えるが単調)
面白いですね〜殿下Pのアルバムの分析ではなくて、私の“聴く”美学の分析に終始してますね。確かに、どのアルバムをとっても私にとっては基本的に『神』の作品なので、そのほかの多くのアーティストと比べるとまったく別物という高い評価ですから、殿下Pのディスコグラフィー内でみていった方が面白いのは当たり前ですね。
では、次。TheGoldExperienceにいきましょう。
■ The Gold Experienceは私にはどう聴こえるか?
「GoldEx」は超名盤だと私は思っています。 このアルバムは、ちょっと表現が稚拙ですが、“エセ詐欺師”ぽい隠せない正直者さが現れていると感じます。これまでの分析によれば、私はあまり感情的な音楽が好きではないようですが、確かにそんな点も強くあるのですが、このアルバムにおける感情的な音楽はかなりピッタリ感を感じます。まるで「Punk」ロックのようです。
このアルバムは
・COME路線のプロダクション
・しかし“楽曲性”も強い
という特徴があり、結論から言うと——
The Gold Experienceが私にハマる理由は、「プロダクション化」と「人格の露出」が奇跡的に一致しているからだと思います。
■ Gold Experienceの正体
このアルバムは位置づけとしてはCOME以降の“プロダクション・プリンス”の完成形
なんですが、同時に最も“人間臭い”作品でもあります。
■ 私が感じる「エセ詐欺師っぽさ」の正体
この表現、かなり意味不明に聞こえそうですが、もう少しわかりやすく言語化すると「演じているのに、演じきれていない」ということです。
通常の殿下Pは
・完全にキャラクターを作る
・音楽もそれに従属する
でもこのGold Experienceでは、キャラクターと本音がズレている
・強がっている
・でも隠しきれない
・それがそのまま音に出る
■ なぜ“Punk的”に聴こえるのか
何となくこの感覚はかなり重要な気がするので、しっかり中身を考察して言語化を試みてみます!
Punkロックのよう...これは音楽的特徴ではなく、態度(attitude)の問題かもしれない。
共通点は
・完璧じゃない
・むしろ“歪み”が魅力
・自己矛盾をそのまま出す
つまり「構造の中にノイズ(人間性)が混入している」
■ COMEとの決定的な違い
Comeと比べるとむしろ、容易にその違いが言語化できそうな気がします。つまり
・冷たい
・設計優先
・感情が制御されている
Come= “完成されたプロダクト”
Gold Experience
・熱い
・設計+衝動
・感情が漏れている
TheGoldExperience=“崩れかけているプロダクト”
■ 私の“聴く”美学との一致点
これまでの流れからすると、私は「構造がありつつ、完全には閉じていない音楽」を好む。
Gold Experienceはまさにそれで
・プロダクションは高度
・でも統御しきれていない
・人間のズレが残る
“設計された不完全性”
■ 楽曲レベルでの特徴
例えば:
・Endorphinmachine:構造はかなり整理されているが、エネルギーが暴れている
・Gold:アンセム的なのに、どこか自己懐疑がある
・Dolphin:ポップなのに、思想が滲む
■ 私はなぜこの作品だけ“感情”が許容できるのか
感情が“設計された結果”ではなく、“漏れたもの”として存在している
どうやら私が嫌うのは
・計算された感情
・コントロールされたソウルフルさ
つまり、TheGoldExperienceは“コントロールが破綻しかけている”
こう言い換えるとわかりやすいかもしれない。TheGoldExperienceは「プロデューサーとしてのプリンス」と「表現者としてのプリンス」が衝突している作品。
そしてその衝突がPunk的な“正直さ”に聴こえる
■ 私の評価軸がかなり明確になってしまいました
ここまで整理すると:
・Parade → ◎(設計+余白)
・Around → ◎(設計+拡張)
・RainbowChildren → ◎(設計+流動)
・TheGoldExperience → ◎(設計+破綻)
つまり、「設計があり、かつ完全には制御されていない音楽」にハマる...汗
ここまでの分析では、思っていたよりも、かなり一本筋が通っています。
まとめて言うと——
私は「完成度」ではなく、“完成しきらない緊張”を評価している
しかもそれが高度な設計の上で起きているかを見ている。
その前提で、殿下Pのそのほかの作品も“同じ軸”で整理します。
■ 「瞬間」と「設計」のバランスで見るプリンス後期
① 素材が勝っている系(瞬間芸の極致)
・Chaos and Disorder
「設計をすっ飛ばしても成立する“素材の強度”」
一度聴けば誰でもわかる通り、このアルバムは“瞬間芸”ですが、普通は崩壊するところが成立している→ 作曲力そのものの暴力
・The Vault: Old Friends 4 Sale
「未整理であること自体が美学化された例」
放り投げているのに、“音の選び方”がすでに完成している
→ 編集前の段階で完成している異常さ
② プロダクションと構造が均衡している系
・Planet Earth
「プロダクションと楽曲の“適切な距離感”」
作り込みすぎず、放置もしない
→ 私の言う“適度な構造化”が最もわかりやすい形
・Lotusflow3r
「後期プリンスの完成形(ただし閉じすぎていない)」
・ギター=ロック的外部性
・和声=プリンス的流動性
・プロダクション=過不足なし
→ “設計+身体性+余白”が同時成立
私にとってはこのアルバムが後期の殿下Pの最高傑作です。
■ 私の評価軸(わかりやすくなったので、完全に言語化すると)
NG(私が嫌う)
・構造が粗い(Dirty Mind)
・構造が拡散(Emancipation)
・感情が前面に出すぎ(ソウル的直情)
OK(私がハマる要素)
① 高度な設計がある
② しかし完全には閉じていない
③ 素材(作曲力)が単体でも強い
■ 殿下P全体を私の軸で再配置すると
かなり面白い図になります...笑
・Around → 設計の拡張
・Parade → 設計の解体
・Rainbow Children → 設計の流動化
・Gold Experience → 設計の破綻
・Chaos / Vault → 設計の放棄(でも成立)
・Lotusflow3r → 設計の最適化
全部「設計との距離」の問題として一貫している
Princeという人は普通こう語られます:
- 天才
- 多作
- ジャンル横断
でも私の見方だと本質は別で、「設計と衝動のバランスを一生いじり続けた作曲家」です。
そして私が『神』として崇めているのはそのバランスが“崩れかけている瞬間”の例えようのない美しさのようです!
つまり、私の好みを一言で定義すると「完成品ではなく、“成立してしまっている未完成品”」ということになりますかね...笑
・Parade → 未完成の美
・Gold → 破綻の美
・Chaos → 素材の美
・Lotus → 制御された未完成
この視点、我ながらかなり高度です(笑) 普通はここまで一貫しません。
あえて“世間的評価”に寄せて、私が違和感を自覚できるポイントも一緒に示します。
わかりやすく言うと、一般的に評価が高い殿下Pのアルバムは——
「多様性」「感情の強度」「時代性との接続」が評価軸です。
(=私の軸とはかなりズレます)
■ 一般的評価が極めて高い5作品
① Purple Rain
「ポップ/ロック/ソウルの完全融合=最大公約数の奇跡」
・楽曲の強度が非常に高い
・感情のカタルシスが明確
・ストーリーと音楽が一体化
私が違和感を持つポイント
“完成されすぎている”
感情が“設計通りに爆発する”
② Sign o' the Times
「殿下Pの全側面を網羅した百科全書」
・社会性/セクシュアリティ/ポップ性
・ミニマルからゴスペルまで振れ幅最大
・“天才のカタログ”
私の違和感ポイント
統一原理がない(意図的だが)
“作品”というより“コレクション”
③ 1999
「エレクトロ・ファンクの歴史的転換点」
・ドラムマシン革命
・シンセ主体のファンク確立
・後続への影響が巨大
私の違和感ポイント
“曲”ではなく“トラック”主導
構造の必然性が弱い
④ Dirty Mind
「ミニマル・ファンクの原点」
・極端な削ぎ落とし
・生々しいセクシュアリティ
・DIY的衝動
私の違和感ポイント
抽象度が低い(削っただけ)
“設計”ではなく“素材の直出し”
⑤ Around the World in a Day
「商業的成功後にあえて逸脱した実験作」
・サイケデリック志向
・和声的拡張
・ポップの枠組みの解体
私との関係
ここは例外的に高評価
■ 私の“聴く”美学がかなり「変」という総括:一般評価 vs 私の評価
一般的評価軸
・感情の強さ
・歴史的影響
・多様性
・ポップとしての完成度
私の評価軸
・構造の質
・和声/時間設計
・閉じていない状態
・素材と設計の緊張関係
■ 決定的なズレ
一般評価=「どれだけ“届くか”」
私=「どれだけ“成立しているか”」
■ 面白いけれど、よく考えると残念になる結論
私が違和感を持つ作品ほど、“他人にとってわかりやすい”
逆に私が評価する作品は“内部構造を中心に聴く人にしか開かれていない”
■ ありきたりの一言
殿下Pというアーティストは「全員が違うベストアルバムを持つ」極めて珍しいタイプです。
私の場合は明確に“建築としての音楽”ではなく“構造体としての音楽”を聴いている
ここが殿下Pがそのほかのアーティストと決定的に異なる私にとっての『神』としての性質です。
最後に、ちょっと白状しますね...笑
私が最初に殿下Pを認知したのは当時の、リアルタイムでのMTV、つまりミュージックビデオでたまたま見かけた「WhenDovesCry」ですが、そのときから、殿下Pの外見をかっこ良いとかセクシーとか思ったことは一度もありません。ハンサムなんですけどね。むしろ、脂っこくて汚らしくて洗練されたところが一ヶ所もない“見た目”です。普通に言えば、最も私が忌み嫌う類のファッションと仕草です。
MTVでの動画作品の狙いとは全く違うんだろうと思いますが、きったならしい映像にも関わらず、その恐ろしく高品位なウタと楽曲を聴いて、マジで身体中を電気が走ったような記憶が強く残っています。今でも、まぁ、流石に少しは見慣れた気はしますが、大嫌いなファッションとステージングです。ただし、そのウタと演奏を生で浴びたくて、LIVE嫌いの私にも関わらず、殿下PのLIVEには3度も足を運んでいます。もちろん、そんなアーティストは、私の生涯で殿下Pだけとなることは必定です。
で、私はほぼ殿下Pの音楽を映像付きでは聴かないです。
【2016年の死とその衝撃】
2016年4月、鎮痛薬の事故的過剰摂取で亡くなりました。
音楽業界的にはかなり大きな出来事で、
- David Bowieの死と同年
- 80年代〜90年代の象徴が立て続けに消えた年
という意味でも象徴的でしたね。もし、ピーター・ハミルが存命でなかったら、私はその先の人生を生きる価値をおそらく見出すことができなかったでしょう。
みなさん、そうではないんですかね???
・・・DBと殿下Pですよ・・・
最後は、言わば、殿下Pの生きていた形跡を上べだけサラッとなぞっておきました。
どうでした?
殿下Pは面白そうって思いました?
こんな言語化よりも、聴いた方がいいですね、間違いなく!






















