パンクロックというカテゴリーの誕生をリアタイで体験した身として、記しておきたいことがある。

 

1977年、まだ数が少なかった洋楽をメインに描けるラジオ番組から聴こえてきたそれは、一瞬のうちに私を沸騰させた。まさに、沸騰してしまったのだ。

 

youTubeをはじめ、さまざまなところで論じられているパンクロックのカテゴリーとしての誕生の経緯とその後の影響に関しては、史実としての側面として評論するとしたら、そうだったのだろうと思う。

 

だが、本当にリアタイで“沸騰した”身としてはかなり大きな違和感を感じずにはおれない。確かに、マルコムマクラーレン氏がプロデュースしていたことは当時でも語られていたし、氏がヴィヴィアンウエストウッド嬢のパートナーであることは、スージー・スーがピストルズのグルーピーであったことと同じように、当時の私とその仲間たちにとっては全くどうでもいいことであった。

 

ピストルズ、クラッシュ、ダムド。

この3つのバンドがパンクロックであった。正確に言えば、(あくまでも私の薄い霧に覆われ出した記憶の中でのことで恐縮だが)ピストルズの英国内チャートトップ強奪がパンクロックそのものであった。

バンドのデビューはダムドが一番早かったと思う。音の方は、「ニニニー」と「アガラニュローズ、アガグッ」のヴォーカルの素人臭さが魅力で早いビートでストゥージーズの2番煎じの一言。次いでクラッシュ。だがクラッシュはちょっとロカビリー混じりの音楽をやっていたときにピストルズを聴いて方向転換。ここはその後のストラマーの音楽嗜好を見れば歴然で、要するに真似っこでした。誤解なきよう言っておくが、私はダムドもクラッシュも嫌いではない。むしろそれぞれに40年超の愛聴アルバムもあるリスペクトバンドです。だが、正直なところ、ダムドやクラッシュではパンクロックはその後のロックシーンに大きな影響を与えるものにはなっていなかっただろう。

 

結論を端的に言えば、『パンクロックとは、セックスピストルズの登場で生まれ、ジョニーロットンの脱退で終わった』ということ。

すなわち、リアタイの体験記としてはパンクロック=ピストルズであり、それ以外ではなかった。

 

もちろん、パンクロックが一つのカテゴリーとして、亜種の誕生や変遷、後世への影響を内包する“厚み”を評価することはやぶさかではないが、本当に明らかに、パンクロックというカテゴリーは当時はピストルズ・オンリーだったことは間違い無いのだ。

 

例えば私に与えた影響を辿れば、私はピストルズを聴いて、仲間とやっていたディープパープルとKISSのコピーバンドを分解した。すぐに、そうすぐに。

 

当時の私のヘヴィローテは、ビートルズとストーンズ、デヴィッドボウイ、ツェッペリン、クリムゾン、ピンク・フロイドあたりで、ずっとカセットでかけながら勉学に励むことを強いられている日々でした。こう見ると、根っからブリティッシュ派だったんだな笑

まさにボウイのLOWが出た時で、おそらくビートルズのホワイトアルバムと並んで、最もよくターンテーブルに乗っていた気がするが、そこにAnarkey in the U.K.である。

 

「あ、変わんなきゃ」

 

今日まで続く、パンクロックの誕生の影響として極めて大きな“革命的事件”を羅列してみる。

 

①チャート1位になるのに、演奏力はマストではない

→楽器歴に関係なく、メジャーデビューが可能に

②社会的影響力を文化的に持つ上で、放送禁止(国家権力の)規制はもう効かない

→メディアは国や王や法律を凌駕するパワーに

③スティング(ザ・ポリス)が体育教師を辞め、音楽を本職に

→誰もうまくやれなかったJAZZとPOPのハイブリッド・メソッドが誕生

 

極めて、極私的にすぎるが笑、特に③は革命的だった。

もちろん、ポリスというバンド時代ではなく、スティングがソロになってからのアプローチなのだが、それまでの多くの音楽家ではできないことだった。

クリムゾン?イエス?ザッパ?マイルス?彼らのやり方では、JAZZはどんどん小難しくなっていく一方だった。まさに、スティングに先生業を辞めて音楽に集中するキッカケを与えただけでもパンクロックの誕生は歴史的に意義があった笑

 

パンクロックとはピストルズであった・・・

ではピストルズとはなんだったのか。

 

矮小化するわけでは全く無いのだが、米国のCBGB辺りで演っていたニューヨークドールズやラモーンズやテレビジョンやトーキングヘッズやパティスミスやハートブレイカーズ等も含めて、とにかく数多くのパンクバンドを片っ端から聴いていた私が、5〜6年後の大学生の時ににピストルズを総括したメモによると、「ピストルズとは、グレンマトロックの瞬時にピークを迎えて儚くも消えたソングライティング能力」である笑。

 

なんと浅はかなのだろう・・・と20年後には思ったのだが、ピストルズの再結成ライブ、確か1996年あたりのLIVE映像を見て、観客全員がGod Save The Queenを合唱する様を見て思い直した。ピストルズとは、やっぱり良い曲だったんだと。そしてこの1点が、クラッシュやダムドが、あるいはジャムやストラングラーズがパンクロックではない私的理由なのだ。ちなみに、ポリスはパンクムーブメント、すなわち、ただあの時期にデビューしたバンドの一つだが、登場から全くテクニックが違いすぎた。実際、スティングも20歳そこそこの奴らに混じってみると明らかに貫禄が違う風貌で30歳近かったし。ポリスはムーブメントのおかげでデビューできたのかもしれないが、英国でもパンクバンドと自認している連中は俺たちの仲間とは思っていなかったと確信している。

ちなみに、私が大好きなマガジンとかU2とかはピストルズ=パンンクロックの興奮がロットん脱退で一旦落ち着いた後の、言ってみれば、NewWave期のビッグネームである。

実際は、時期的に同時期なのだが、私が好きなバンドは、どれもピストルズとは似ても似つかないバンドばかりだ。

 

あらためて記しておこう。

 

『パンクロックとは、ピストルズであり、ピストルズとは、ろくに楽器演奏ができないけどチャート1位を取れるくらいいい曲を10曲くらい分だけ作れたグレンマトロックの才能』というのが包括概念。

日本における秋元某氏のような、中身のない流行作りにしか頭を使わないカネの亡者ぶりを誇示するマルコムマクラーレンとか、正直、どうでもいいものだった。

 

でも、こう考えてみると、やはりチャート1位とかカネ儲かります、とかはメチャクチャ強いファクターなんだなぁと死にたくなるな笑