合宿に行ってきた。


最後の晩。

あきらが、手持ちぶさた、という顔をして、

廊下に立っていた。

「ちょっと来なさい。」

私の部屋に引き入れて、

いきなりくすぐり始めた。

すると、騒ぎを聞きつけて、

次々に子ども達が入ってきた。

私の部屋は、たちまち、

「大くすぐり大会」の会場になった。


逃げようと思えば逃げられるのに、逃げないで、

くすぐられるのを楽しんでいる子ども達。

しまいに、私が疲れてしまい、

動けなくなった。

すると、子ども達の手は、容赦なく、

私のくすぐったいところに伸びてくる。

「はい、消灯ーー!」


久しぶりに、子どもと遊んだ。

くすぐったり、くすぐられたりしている時の子どもは、

特に、かわいい。

本当にかわいい。

楽しかった。

これだから、

教師という職業、

サッカーの指導、

やめられないんだよなあ、と思った。



夜、寝ながら考えた。

自分は、

「生きている」んじゃない。

「生かされている」んだ。

そんな話を昔に聞いた。

今さらながら、「実感!」


ムスタングの指導を始めて、良かったなあ。

こんなにたくさんの子ども達が、合宿に来てくれて、良かったなあ。

自分は、この子ども達に、生かされているんだなあ。

そんなことを、心の底から感じた。


私のようなちっぽけな人間でも、

神様は、生かしてくれている。

そんな場を与えてくれている。

自分は、つくづく幸せ者だなあ、と思った。



山梨県甲府市で開催された「YBS大会」に参加してきた。

以前、ムスタングに選手が多かった時代は、

もちろん、ムスタングだけで参加してきた。

選手が少なくなって、参加が危ぶまれた時、

次郎くんが、仲の良かった広田さんに相談した。

「合同チームを作って、参加しましょう。」

ということになり、現在に至る。


6月末から、合同練習をした。

スポーツが好きな子は、性格がさっぱりしている子が多い。

子ども達は、はじめて会った時からうち解けた。

ムスタングの5年生の中には、

東寺方の6年生に、かなり失礼な言い方をする子もいた。

でも、ムッとするようすもなく、仲良く練習をしていた。


なぜ、そうなるのか。


子どもは、誰とでもすぐ仲良くなるから、

という人がいるが、そうではない。

同じサッカーが好きだから、

という人もいるが、そうではない。

同じYBS大会に参加するから、

という人もいるが、そうでもない。


親の愛だ。

子どもは、生まれただけでは、「(立派な)人間」にはなれない。

まわりのおとなに愛されて、

「(立派な)人間」に育ち上がっていく。

親にじっと抱かれた時、

親をじっと見る。

親は、満身の笑顔で見つめ返す。

子どもは、自分が愛されていることを、全身で感じる。

これが、心の安定につながる。

まわりの人間に対して、好意的な感情で接するようになる。

ケラケラッと笑って愛をふりまき、

まわりのおとなは、その愛を受けて、幸せになり、愛を返し、

子どもはその愛を受けて、心が安定する。


ところが、世の中には、

こういう経験を経ないで、大きくなってしまっている子が、

意外とたくさんいる。

心が安定していない。

初めて会った人にはもちろん、

長くつきあっている、例えば級友に対しても、

攻撃的な態度で接してしまう。

「なんで、そういうことを言うの?」ということを言う。

「なんで、そういうことをするの?」ということをする。

とげとげしている。

これは、子どもが悪いのか?


否だ。

明らかに違う。

後天的なことだ。

育てられている中で獲得してきたことだ。

子どもは全く悪くないのだ。


性格が、とげとげしてしまう、では済まない子もいる。

「第4の発達障がい」と言われることだ。

親の対応、指導のまずさから、発達障がいを起こしてしまった子ども達。

反抗挑戦性障がい、反応性愛着障がい、解離、……。


東寺方の子ども達は、かわいい。

もちろん、ムスタングの子ども達も、百草の子ども達も、かわいい。

それは、親に十二分に愛されているからだ。

親から受けた愛を、辺りにまき散らしている、といった感じだ。


「子どもは、親の鏡。」とは、昔の人の言葉だ。

「子どもを見ると、親の育て方が分かる。」というような意味だ。


今回の遠征で、東寺方の子ども達を見ていて、そう思った。

毎年感じていることだが。

もちろん、ムスタングや百草の子ども達にも、同じことを感じた。

遠足の時にも感じたが、つくづく、

私は幸せ者だなあ、と思った。



なぜ、「ムスタング」というなまえをつけたのか。


「ムスタング」という戦闘機がある。

形の良い、高性能の戦闘機だ。

「ムスタング」というスポーツカーがある。

形の良い、高性能のスポーツカーだ。

だが、どちらも、チーム名を「ムスタング」にした理由ではない。


ムスタングとは、アメリカとメキシコの国境辺りに住む、野生の馬のことだ。

かなり荒々しい。


子ども達よ、野性的に育て!

少しぐらい辛いことがあっても、いや、

どんなに辛いことがあっても、

くじけず立ち向かっていける

強い人間に育て!

そんな願いがある。



試合をした。

抜かれても、取りに行かない子どもがいた。

相手がシュートを打とうとしても、止めに行かない子どもがいた。

相手にシュートを打たれても、見ている子どもがいた。

技術、戦術以前の問題だった。


今日の練習で、

シュートを、体で止める「練習」をした。

昔、東京都で3位になったチームの子ども達が、

同じ練習をして、

「こんなの、練習じゃない!」と、

半泣きで言った「練習」だ。


今まで出来なかった。

やったら、やめて行っちゃうんじゃないか、

と思っていた。


で、子ども達はどうなったか?

相手がシュートを打とうとするところに果敢に飛び込む、

ミロ、たつみ、ゆうご、……。

はじめは数人だったのが、どんどん増えていった。

泣く子はもちろん、半泣きの子もいなかった。

顔が引きつりながらも、飛び込んでいった。

こんな「練習」を、楽しんでいた。


途中から、雨が降り出した。

練習中止。

「えー、やめるの?」

「もっとやろうよ。」の声、声、声。

祥平が、

「雨で練習が中止になって、つまらなかった。」

と言った。


抜かれても、取りに行かない。

相手がシュートを打とうとしても、止めに行かない。

相手にシュートを打たれても、見ている。

これは、私の練習が悪かったのだった。


ムスタングの子ども達、

野性的に育ってきている。

子馬だが、ムスタングになりつつある。


反省の光と共に、

子ども達の行方にも、光が差してきた。