「勝ち」にこだわらない。

「負けても良い」と思っている。

そんな雰囲気を、子ども達の中に感じていた。

と同時に、自分の練習のやり方の中に、

子ども達をそうさせているのではないか、

というものを感じていた。


体育館練習で、「大会」をするようにした。

以前は、必ずやっていた。

勝って大喜びをする子の影で、負けて涙を流す子もいた。

文字通り、「一生懸命」やっていた。

それが、グラウンドでやる練習試合にも出ていたように思う。


低学年の練習。

「大会」はやらないで来た。

理由は、「待てない」こと。

子ども達は、待てない。

空き時間に、何をやりだすか分からなかった。

練習時間中、少しの休憩は取るけれども、

ほとんど動きっぱなしの状況。


10月11日の練習から、練習の最後に、

「大会」を入れるようにした。

全員を、4チームに分け、

「優勝」目指して頑張る。

賞品は、横山さん、孫田くん、二宮さんが提供してくれた。


昨日は、2回目。

今まで集中できず、

すぐに遊びだしていたHくん、Iくんなどが、

がんばる、がんばる。

ハッスルプレーが続出する。


私の言葉も、

「すごい!」「うまい!」「ナイス!」と、

褒め言葉の連続になる。

良い循環だ。


子ども達も、

優勝した喜びと、優勝できなかった悔しさ

を感じているようだ。

それが、次の「大会」に向けての意欲に繋がる。



「大会」ができるようになった背景には、

「子ども達が待てるようになった」

ことが挙げられる。

11日も13日も、待っている間、

試合を見ている子が多かった。

もちろん、遊び出す子はいなかったし、

危ないことをする子もいなかった。

成長した。

1年前では、できなかったことだ。


こんなことから、グラウンドでの練習試合では、

今まで以上にがんばる姿が見られるのではないか、

と期待している。

子ども達に、「心の強さ」が育っていくのではないか、

と期待している。


良かった!!

S先生の日記を読んだ。

考えさせられる日記だった。

(以下引用)

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(前略)

たとえば、「ウチの子たち、金賞取ったのよ!」と、喜び騒ぐ親たち。
まるで、「自分の子ども」が金賞を取ったように...。
特に、状況がわかっていない小学校に多いです。

ステージの上にずらりと並んだ子どもたちは、同じように「機能」しているように見えるけれど、苦しむほど努力して、かなりの「戦力」になって演奏している子どももいれば、適当にごまかして演奏している子どもや、時には、あまりに努力不足で、「吹き真似」にさせられている子どももいます。
学校によっては、「良い経験のために」と、何も吹いていないのに、ステージに上げてもらっている初心者も...

それでも、たまたま「金賞」を取ってしまうと、まるで、自分の子どもの力で「金賞」を取ったように、親は勘違いしてしまいます。
たいして努力していない子どもも、まるで自分も「金賞」だと勘違い...

もっと大切なことを忘れてはいませんか?

それは、「先生への感謝」です。
もちろん、「賞」に関係なくです。

先生のご指導がなかったら、「金賞」どころか、ステージにも立たせてもらえなかった「ただの子ども」だったはずです。

「金賞」でも「銀賞」でも「銅賞」でも、「先生、我が子をご指導いただき、ステージに立たせていただき、本当にありがとうございました。」と、心からのお礼を伝えられる保護者がどれだけいらっしゃるでしょうか?

「オギャー!」と生まれたあの時の我が子が、楽器を持って、皆と一緒にステージに上がったのです。
すべて、顧問の先生のおかげです...

(中略)


まして、「金賞」でなかった時に、保護者が先生の批判?

「金賞」だったら、子どもの力
「金賞」じゃなかったら、顧問のせい?

とんでもありません。

(中略)


賞の発表で、喜ぶ時に、負けたチームのことを考えて、バカ騒ぎはしない。
感謝の言葉、益々努力するという言葉が、自然と出てくる。
負けた時、涙を飲んで、先生や後輩たちに「ありがとうございます!」が言える。
コンクール(行事)後、日常生活、日常練習にますます気合が入っている。

それを顧問に言われてではなくて、自分たちで実践する子供たちに成長していれば、

一通りは「結果」を乗り越えたと言える。
しかし、滅多に拝見できることはない。
ひどいバンドになると、他校の悪口を言っているケースも見た事がある。

(後略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ムスタングは、「全敗無得点」だ。

23日(金)の試合は、ヴェルディに0-14だった。


だが、合うお父さん、お母さんに言われる言葉は、

「いつも、ありがとうございます!」

ばかりだ。

中には、

「ご自分の時間を皆使っていただいて、申し訳ありません。」
などとおっしゃる方もいる。


子ども達はどうか、と言えば、

富山遠征の時のように、負けてすぐにへらへら笑っている子はいなかった。

24日(土)の試合も、どこか引き締まっていた。

「コンクール(行事)後、日常生活、日常練習にますます気合が入っている。

それを顧問に言われてではなくて、自分たちで実践する子供たちに成長していれば、

一通りは「結果」を乗り越えたと言える。」
という状態まではいかないが、それでも一歩も二歩も全身している気にはなる。


素晴らしいお母さんやお父さん、

そして、すばらしい子ども達。


これは、うかうかしてはいられない。

今からがんばるぞ!


富山遠征に行った。


1日目、出発する時、

「この遠征は、遠足ではない。

今まで練習してきたことを、試す場だ。

遊び半分の気持ちで行かないように。」

そんな話をした。

ところが、1日目の晩。

消灯時刻を過ぎても、子ども達は、騒いでいた。

「出ろ。正座。」

問答無用だった。



昔から、指導方針は変わっていない。

低学年は、楽しむ。

中学年は、ドリブル。

高学年は、ドリブルにパスも入れる。

変わっているのは、勝敗だ。

中学年までは勝てない。

これは、昔も今も変わらない。

だが、高学年になると、……。

昔は、それまでの「借り」を返した。

今は、返せない。


ボールを奪われても、追いかけない。

相手がシュートを打とうとしていても、当たりに行かない。

大差で負けても、へらへら笑っている。

そんな子ども達を見ていて、

何もかも全部放り出して、

「やーめた!」って言いたくなった。

子ども達を叱ることが多くなった。


遠征前3年間に叱った回数よりも、

遠征中の4日間の方が、

叱った回数が多かった。

これでは、子ども達、楽しくないだろうなあ。


自責の念に駆られる。



最後の晩。

五箇山の民宿に泊まった。

合掌造り。

世界遺産だ。

4部屋ぶち抜いて、みんなで寝た。


子ども達の寝顔を見ながら、

この子達のおかげで、自分は生きていられるのだなあ、

ほっぽり出すなんて、とんでもないなあ、

と思った。


これからは、楽しみながらも勝てる子ども達を育てていこう、

そう思った。