高校2年生の時、どの大学を受けるか考えた。
それは、将来何になるか決める、ということだ。
すぐに思いついたのは、小学校の教師だった。
親も兄弟もいなかったから、寂しかった。
弟がほしかった。
そんな不純な動機だった。
当時は、東京オリンピック、メキシコオリンピックと
代表チームが活躍したこともあり、空前のサッカーブーム。
新聞やテレビで、各地にサッカー教室が開かれたことを報じていた。
今時の小学生は、皆サッカーをやっている、
そんな錯覚を感じさせるような報道ばかりだった。
近所に、ドラえもんに出てくるような空き地があった。
40年以上前とは言え、新宿のど真ん中に、それはあった。
今考えてみても、幸運だったとしか言いようがないほど、恵まれていた。
小学校の教師になるなら、小学生と知り合いにならなければ。
それには、サッカーをするのが一番!
こう単純に思った私は、ボールを持って毎日通った。
必死だった。
やがて、ひとりの男の子と話すようになった。
一人が二人になり、三人に増え、
やがて、小さいながらも、チームを作ることが出来るようになった。
当時は、東京全体でも数えるほどしかチームがなかった。
グラウンドもなかった。
新宿の子ども達だったが、
文京区、杉並区、江戸川区、埼玉県、……。
グラウンドと試合相手を求めて、
ジプシーのように動き回った。
サッカーの情報といったら、
「三菱ダイアモンドサッカー」
しかなかった。
70年のメキシコワールドカップでの
ブラジルは、本当にすごかった!
すばらしかった!!
サッカーの楽しさを、
余すことなく教えてくれた。
当時は、「サッカーは、ボール蹴り」というのが常識だった。
ブラジルは、それとは全く違うサッカーを見せてくれた。
ブラジルをお手本に、サッカーを教えた。
選手に恵まれ、連戦連勝だった。
子どもと、よく遊んだ。
子どもと、食べにもよく行った。
子どもと、プールにもよく行った。
子どもが、泊まりにもよく来た。
楽しかった。
1日24時間、子どものことばかり考えていた。
やりたいことを、やりたいだけやっていた。
ある意味、私にとって一番幸せな時代だった。
そんな楽しい学生時代にも、終わりの日がやってきた。
いよいよ、小学校の先生になったのである。