当時は、町田は、東京の中ではトップだった。
町田SSSというサッカークラブがあり、
専用グラウンドがあり、
全国大会にも行き、
全国優勝もしていた。
2月のある日、電話をした。
「うちは、強いですよ。」と言われた。
試合をする日は、雨になった。
「うちは、かまいません。どっちみち、練習しています。」
雨でも練習するチームだった。
6年生を連れて、試合に行った。
完全なワンサイドゲームだった。
試合中、厳しい指導の言葉が飛ぶ。
「10点取れなかったら、どうなるかわかってんだろうなあ。」
確か、1対11ぐらいで負けた。
試合中、鬼の形相で子ども達を指導していた佐藤先生が、
試合が終わって、ニコニコしながら話しかけてきた。
「いいチームじゃないか。」
試合内容が、蹴って走れ、じゃない、繋ごうとしていたこと、
1点取ったこと、
が、気に入ったようだった。
SSSが1点でも点を取られる、ということは、めったになかったようだ。
多摩市では、ダントツのチームが、
SSSの前では、手も足も出なかった。
それから、「打倒SSS」の目標で、練習や試合をした。
「打倒SSS」は、子ども達には言っていない。
私の胸の内だ。
多摩市では、相手になるチームはなくなった。
7対0、8対0、10対0、という試合が続いた。
3対0だと、点差が少ない方だった。
町田はもちろん、八王子、稲城、調布、……
強いと聞けば、どこにでも試合をしに行った。
なでしこの沢選手が所属していた府ロクにも行った。
勝ったり負けたり、と言うより、勝つ方が多かった。
東京だけでは飽きたらず、地方にも足を伸ばした。
清水、静岡、浜松、大阪、兵庫、岡山、……。
バスに長時間揺られ、着いたら、ろくにアップもせずに試合、
という経験が、子ども達をどんどんたくましくした。
この頃には、日本の少年サッカーのレベルも、
かなり上がってきていた。
清水FCという、全国大会常連の選抜チームがあった。
町田も、FC町田という、選抜チームになっていた。
世はまさに、選抜チーム全盛の時代になっていた。
市全体から、うまい選手ばかりを集め、チームを作る。
当然、そういうチームには、「穴」がない。
地域の単独チームでは、歯が立たない。
京都に、高槻松原というチームがあった。
単独チームだ。
この年の全国大会は、
準決勝で、高槻松原と清水FCがぶつかった。
反対側の準決勝は、実力的に低かった。
トーナメントは、えてして、こういうことが起きる。
高槻松原と清水FCの試合が、事実上の決勝戦だった。
一進一退の好ゲームだったが、清水が勝った。
だが、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。
高槻松原は、単独チームとしては、その年のトップチームだったのだ。
事実、決勝と3位決定戦は、難なく両チームが勝った。
楽勝だった。
この高槻松原と試合がしたい!と思った。
全国大会3位のチーム。
事実上は、2位のチーム。
単独チームでは、1位のチーム。
ムスタングが、どこまでできるのか。
夢は、・・・・・・かなった。