高槻松原が、グラウンドに入ってきた。

「かっこいい~!」

どこからともなく、そういう声が聞こえる。

大阪の子ども達が、羨望の眼差しで見る。

高槻松原は、高い個人技で、

これもまた個人技が売り物の清水を圧倒した。

大阪では、英雄になっていた。


大阪の高槻FCというチームが、5年生大会を開いた。

そこに、ムスタングを呼んでくれた。

5年生チームと6年生チームを連れて、

大阪に乗り込んだ。

当時の6年生チーム(ベストメンバー)は、5年生から2人入っていた。

この2人を抜いて、高槻松原と試合をしなければならない。

事実上の全国2位のチームと、

そして、単独チームでは1位のチームと、

ムスタングは、大きなハンディを負って試合をしなければならない。


試合開始。

高槻松原は、猛烈に攻め込んできた。

もの凄いパス回し、ドリブル。

だが、ムスタングも負けていない。

しっかりくい止める。

ムスタングの攻撃。

何度も、相手ゴールを脅かす。

高槻松原も、全国2位の意地を見せる。

そう簡単には、ゴールは割らせない。

この頃になると、高槻松原も本気になってきた。

はじめのうちは、バカにしていたようだ。

コーチの叱咤激励が飛ぶ。

一進一退。


当時は、町田は、東京の中ではトップだった。

町田SSSというサッカークラブがあり、

専用グラウンドがあり、

全国大会にも行き、

全国優勝もしていた。


2月のある日、電話をした。

「うちは、強いですよ。」と言われた。

試合をする日は、雨になった。

「うちは、かまいません。どっちみち、練習しています。」

雨でも練習するチームだった。

6年生を連れて、試合に行った。

完全なワンサイドゲームだった。

試合中、厳しい指導の言葉が飛ぶ。

「10点取れなかったら、どうなるかわかってんだろうなあ。」


確か、1対11ぐらいで負けた。

試合中、鬼の形相で子ども達を指導していた佐藤先生が、

試合が終わって、ニコニコしながら話しかけてきた。

「いいチームじゃないか。」

試合内容が、蹴って走れ、じゃない、繋ごうとしていたこと、

1点取ったこと、

が、気に入ったようだった。

SSSが1点でも点を取られる、ということは、めったになかったようだ。

多摩市では、ダントツのチームが、

SSSの前では、手も足も出なかった。


それから、「打倒SSS」の目標で、練習や試合をした。

「打倒SSS」は、子ども達には言っていない。

私の胸の内だ。

多摩市では、相手になるチームはなくなった。

7対0、8対0、10対0、という試合が続いた。

3対0だと、点差が少ない方だった。

町田はもちろん、八王子、稲城、調布、……

強いと聞けば、どこにでも試合をしに行った。

なでしこの沢選手が所属していた府ロクにも行った。

勝ったり負けたり、と言うより、勝つ方が多かった。


東京だけでは飽きたらず、地方にも足を伸ばした。

清水、静岡、浜松、大阪、兵庫、岡山、……。

バスに長時間揺られ、着いたら、ろくにアップもせずに試合、

という経験が、子ども達をどんどんたくましくした。

この頃には、日本の少年サッカーのレベルも、

かなり上がってきていた。


清水FCという、全国大会常連の選抜チームがあった。

町田も、FC町田という、選抜チームになっていた。

世はまさに、選抜チーム全盛の時代になっていた。

市全体から、うまい選手ばかりを集め、チームを作る。

当然、そういうチームには、「穴」がない。

地域の単独チームでは、歯が立たない。

京都に、高槻松原というチームがあった。

単独チームだ。


この年の全国大会は、

準決勝で、高槻松原と清水FCがぶつかった。

反対側の準決勝は、実力的に低かった。

トーナメントは、えてして、こういうことが起きる。

高槻松原と清水FCの試合が、事実上の決勝戦だった。

一進一退の好ゲームだったが、清水が勝った。

だが、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。

高槻松原は、単独チームとしては、その年のトップチームだったのだ。

事実、決勝と3位決定戦は、難なく両チームが勝った。

楽勝だった。


この高槻松原と試合がしたい!と思った。

全国大会3位のチーム。

事実上は、2位のチーム。

単独チームでは、1位のチーム。

ムスタングが、どこまでできるのか。


夢は、・・・・・・かなった。

念願の先生になった!

よく「目の中に入れても痛くない」と言うが、

この言葉の意味が、実感として感じられた。

毎日が、本当に楽しかった。

加藤大地くんのお父さんが、

横山礼等くんのおじさんが、

クラスにいた。

4年生だった。


でも、サッカーはあきらめなきゃ駄目だろうなあ、

と思っていた。

プールに行ったり、食べに行ったり、泊まりに来たり、……。

本当に楽しかったけど、

あんな時代はもう来ないのだろうなあ、

そう思っていた。


そんな時、校長先生に言われた。

「サッカーのチームを指導してくれませんか?」

「渡りに船」だった。

即、承知!


なんでも、私が赴任する前の年の秋に、

第1回の多摩市少年サッカー大会が開かれ、

南諏訪小学校は、なんと優勝したのだった。

青少年の健全育成の一貫として、

青少協が、野球とバレーボールを後援することになっていたのだった。


春の大会が迫ってきた。

だが、去年まで指導していた先生は、動かない。

「先生、練習しなくていいんですか?」

「そうだなあ、そろそろ始めるか。」

こんなんじゃ、絶対に優勝なんか出来るわけない!

と思っていた。

が、あれよあれよと勝ち進み、ついには、優勝!

「えーーーっ!!!」というのが、私の本音。

今まで新宿で教えてきたチームとは、

比べようもないぐらい、弱い!

ところが、他のチームは、それに何重にも輪をかけて、弱い!!


蹴って、走って、ドリブルして、シュートを打つと、みんな入っちゃう。

そういうサッカー。

「うむむ……。」

もっとサッカーの楽しさを伝えたい!

心の底から、そう思った。