入院中、考えたこと。

「今年は、合宿に行けるのかな。」

いや、「今年は」じゃない、「これから」だ。


子ども達にサッカーを教えていて、楽しいことはたくさんある。

練習して、子ども達がどんどん上手になっていくのを見ること。

試合で、練習したことが出ること。

自分が運転するバスに子ども達を乗せて、合宿や遠征に行くこと。

・・・・・・


だが、入院中に真っ先に考えたことは、合宿だった。

少し意外だった。

遠征に行く前の晩は、ワクワクする。

練習してきたことが、試合に出せるかな。

何試合勝てるかな。

優勝出来るかな。

合宿も楽しいが、遠征ほどワクワクはしてこなかった。


だが、真っ先に思ったのは、合宿だった。

自分が一番楽しい、と感じていたのは、実は、合宿だったのだ。

「合宿に行けなくなるかも知れない」と思った時、

無性に寂しくなった。

今年は、行けるとしても、生きている間に、あと何回行けるのだろう?

自分がバスを運転して行けるのは、あと何回なんだろう?


遠征は、慌ただしく時間が流れていく。

ゆったり出来る時間が、ほとんどない。

それに対して、合宿は、「滞在」する。

昼寝の時間も、自由時間もある。

ゆったりしている。

子ども達と「共同生活」が出来る。

これが楽しい。


そう言えば、私の若い頃の夢は、「ボーイズタウン」だった。

確か、フラナガン神父だ。

親のいない子や、親にきちんと育ててもらえない子を集めて、

子ども達が自主的に町を運営していく、

そのような町を、フラナガン神父は作った。

私もいつか、そんな町を作りたい、と思っていた。

合宿は、「模擬ボーイズタウン」だ。

だから、楽しかったのだ。


その楽しい合宿に、あと何回行けるのかな。

1回1回を、今まで以上に充実させていこう、そう思った。

1月16日から約3週間、入院のため、練習を休んだ。

つらかった。

小学校の先生になる、と決めてから、

常に、自分のまわりには子どもがいた。

少し大げさに言えば、

1日24時間、1年365日、

子ども達に囲まれていた。


うっとうしい、と思ったことは一度もなかった。

常に、「自分は幸せだなあ。」と感じていた。

入院に際し、一番心配だったのは、

「2週間も子どもから離れて、大丈夫だろうか?」

ということだった。


入院中、我が子の写真を、携帯に送ってくださった岩瀬さん。

祥吾と夏那とお姉さんが写っていた。

とってもかわいかった。

ありがたかった。

何度も何度も、ベッドで見た。

入院期間2週間弱の筈が、伸びた時。

ニコニコ笑っている祥吾と夏那の笑顔で、

「がんばろう!!」と思えた。


「少し家に帰ることは出来ないですかね。」

「良いですよ。」

やった!と思った。


2月3日は、研究会に申し込んであった。

ある小学校をお借りして、

日本全国の、腕に自信のある先生方が、授業をする。

自分も申し込んだが、ダメだった。

自分とその先生と、どれぐらい違うのか、

どうしても見たかった。

結果。……我田引水、自画自賛で、

「まあ、大差ないんじゃない?」ということにしておこう。


そんなことをしていたため、

あんなに楽しみにしていた練習に遅れるハメになってしまった。

「超もったいない!」と思いながら、車を走らせた。

諏訪小学校に着いた時は、6時を回っていた。

体育館からは、

子ども達の元気に走り回る足音や、

ボールを蹴る音が聞こえてきた。

胸が高鳴る。


すると、目ざとい子が私を見つけた。

「おいけんだ!!」

ドアが開き、みんなが飛び出してきた。

うれしかった。

自分も、捨てたモンじゃないな、と思える。

「おいけん、おいけん。」とうれしそうに言う子、

心配そうに、「大丈夫ですか?」と聞いてくる子、

ちょっと離れたところから心配そうに見ている子、

・・・・・・

ちょっと人気者になった気分だ。


翌日、低学年の練習に行った。

準備に手間取り、少し遅れて諏訪小学校に着いた。

校庭では、練習が始まっていた。

「あ、おいけんだ!」

子ども達が、かけよってくる。

まるで、感動的な映画のワンシーンのようだ。

うれしかった。

本当にうれしかった。


昨晩といい、今朝といい、

自分は本当に幸せ者だ、と思った。

と同時に、長いこと練習を休んで、申し訳なかった!と思った。

この子達のために、まだまだ頑張らなくちゃ、と思った。





なぜ衰退したのか。

諏訪小学校の児童数が減ったこともある。

一番多い時には、学年で5クラスもあったのが、

今は、オール単学級だ。

今年の1年生は、男の子が4人!


具体的な手を打たなかったこともある。

市の広報やミニコミ誌に、募集記事を掲載するとか、

幼稚園や保育園に募集のポスターを貼るとか、

いろいろな手は打てたはずだ。


だが、そんなことよりも大きいのは、

私の指導だ。

全員を満足させられるような指導が出来なかった。

全員を試合に出すこと。

全員を上手にすること。

全員に、楽しい、と感じさせること。


今日1月9日も、試合があった。

上手な子とそうでない子の差が、歴然とあった。
単なる技術や戦術理解だけではない。

試合中の姿勢。


サッカーは、常に、積極的にプレーしなければならない。

これが他の多くのスポーツと大きく違うところだ。

ポジションは、一応決まってはいるが、

流動的でなければならない。

常に、ボールをもらおう、ボールをもらおうと思って、

ボールに関わる動きをしていなければならない。

ところが、試合に出ているのに、見ている選手が多かった。

これは、性格的な問題もあるが、

サッカーに関しては、

性格は変えられるし、

変えなければならない。

私が変えられていない、ということだ。


昔は、よく怒鳴った。

走らせた。

ひっぱたいた。


この日、私は、子ども達を走らせた。

試合が終わったあとのことだ。

「ボールと水筒を持って、来なさい。」

ミニサッカーコートで練習をしようと思った。

振り返りもせず、歩き始めた。

気配を感じなかった。

「2,3人しか来ていないのか。行動が遅い。

それでは、うまくならないなあ。」

と思いながら歩いた。


ミニサッカーコートについて、振り返り、驚いた。

一人もついてきていない!

東屋で談笑している!!

怒りを通り越して、あきれた。

こういう時に、真っ先に気がつくのは、たいてい遊瑚だ。

ボールと水筒を持って、走ってきている。

他の子は、というと、

あわててこちらに向かっている子、

あいかわらず談笑している子、……。


全員がそろうのを待ち、

「あのゴールとあのゴールの後ろを回って、走れ。」

反射的だった。

「血」だったのかも知れない。

子ども達が「話を聞いていない」という事実に遭遇したことは、

今までも度々あった。

その都度、話を聞かなければ駄目だ、という話はしてきた。

だが、一向に話を聞くようにならない事実に、

「体で覚えさせなければ駄目だ!」

という判断を、即座にした。


これでは、昔と同じだ。

果たして、こういうやり方に、子ども達はついて来られるのか?

なかなか良くならない現実に、しびれを切らし、

近頃は、怒鳴ることも、出てきた。

「怒鳴る」と「走らせる」は、

昔と比べて、回数はとても少ないが、出てきた。

ただ、「ひっぱたく」だけは、絶対にやるまい、と思っている。


「血」ではなく、「智」でできなければ、ダメだ。

何十年も指導してきて、情けない。

ムスタングの衰退の大きな原因は、

私の指導にある。