前回、

「ケアマネに必要な『知識』と『技術』」

というのを書きましたが、

今回書くのは『資質』です。

『知識』・『技術』と

『資質』がどう違うかというと、


『資質』が土台となって、

『知識』や『技術』を積み上げる

というイメージでしょうか。


勉強して『知識』を蓄積したり

経験を通して『技術』を磨いたり

することはできるけど、

『資質』というのは、

元々持っている素質というか、

感性とか姿勢のようなイメージで

私は思っています。




ケアマネジャーの仕事をしている人は

数年前に大注目されたドラッカーの

著書を読まれたら良いと

思っているのですが、

そのドラッカーの著書、

『マネジメント』のなかで、

マネジャーに必要な資質として

『真摯(しんし)さ』という言葉を

挙げています。

私はこの言葉に非常に共感しました。


もしかして、どんな仕事も

『真摯に』取り組むことは

とっても大切だと思いますが、

とくに「マネジメント」という仕事を

全うするためには

この資質が大切だと思うんですね。


マネジメントというのは、

あまりに掴み所のない仕事だと

常々思っていて、ひいては、それが

「ケアマネの仕事って何?」という疑問を

長く引きずる原因のような気がします。


ケアマネジメントって、真剣にとりくめば、

次から次へやるべきことが出てくるんですが

適当にやってても、

それなりにでき(てるように見え)るもんです。


具体的に言うと、サービス事業所が

併設されているお抱えケアマネが

自施設のサービスだけをじゃんじゃん

計画しても「ケアマネジメント」だし、

利用者の本当に望む生活を

実現させるために

医療機関からサービス事業所から

近隣の住民からボランティアから

いろんなところと調整してやるのも

「ケアマネジメント」なんですよね。


この2つはどちらも「ケアマネジメント」

と言って差し支えないでしょうけど、

ぜんぜん違うものですよね。


何が違うか、っていったら

利用者の人生に対して

『真摯に』向き合っているか、

向き合っていないか、という違いだと

私は思うのです。


「ケアマネジャーに必要な資質」として

『真摯さ』と書きましたが、

ケアマネジャーの仕事に誇りを

持とうとするならば、この『真摯さ』は、

けっして忘れてはいけない

大事な資質だと思っています。

いつの間にか、ケアマネの仕事の話から

高校野球の話になってしまっていたので、

ここいらで元に戻そうと思いますが、

ケアマネジャーに必要な能力について

考えてみましょう。


下に記したのは、

介護支援専門員の定義ですが、



「この法律において「介護支援専門員」とは、要介護者又は要支援者(以下「要介護者等」という。)からの相談に応じ、及び要介護者等がその心身の状況等に応じ適切な居宅サービス、地域密着型サービス、施設サービス、介護予防サービス若しくは地域密着型介護予防サービス又は特定介護予防・日常生活支援総合事業(第百十五条の四十五第一項第一号イに規定する第一号訪問事業、同号ロに規定する第一号通所事業又は同号ハに規定する第一号生活支援事業をいう。以下同じ。)を利用できるよう市町村、居宅サービス事業を行う者、地域密着型サービス事業を行う者、介護保険施設、介護予防サービス事業を行う者、地域密着型介護予防サービス事業を行う者、特定介護予防・日常生活支援総合事業を行う者等との連絡調整等を行う者であって、要介護者等が自立した日常生活を営むのに必要な援助に関する専門的知識及び技術を有するものとして第六十九条の七第一項の介護支援専門員証の交付を受けたものをいう。」

(法第7条第5項)



「ケアマネは、必要な援助に関する

専門的知識及び技術を有する」

書かれています。


しかし、その「専門的知識及び技術」

というものがどんなものか、というのは

どこにも書いてありません。


どんなものか、考えていきましょう。




ケアマネジャーになるには、

「介護支援専門員実務研修受講試験」

という試験に合格しなければいけません。


この試験に合格すれば、

「介護支援専門員実務研修」

という研修を受けることができ、

晴れてケアマネジャーの資格を

持つことができるのです。


ということで、

ケアマネジャーに必要な知識とは、

この試験に出題される内容というわけ

ですね、分かりやすい~。



ちなみに、どんな内容の問題が

出るかというと、私も十数年前の

試験合格者なので、

最近の問題集を眺めてみると、

・高齢者を取り巻く社会情勢

・社会保険(介護保険含む)

・その他の社会保障

・成年後見制度

・国や自治体の役割


から、


・医療、リハビリ、看護

・認知症

・介護技術


とか、


・介護サービス

・面接技術

・倫理


まで、

非常に多岐にわたる内容

だと思いました。


ここまでが知識だとすると、

つぎは技術ですが、

これこそ実態が掴みづらい

ものですが、あえて言えば


このような知識を武器に

これを活用・駆使する力

であろうと思います。


つまり、試験は知識のある・なしを

見極めるもので、

技術はケアマネをやっている間に

磨いていくもの、と考えるのは

どうでしょう。


分かりにくいかもしれないので、

例を挙げて言うと、

ケアマネジメントのプロセスの中で

アセスメントの段階で考えると、

相手が心を開いて自分のことを

話しやすくする環境作りや聴き方だとか、

生活上のニーズがどこにあるのか、

という見立てだったりとか

サービス担当者会議においては、

会議の進め方や専門職からの意見の

引き出し方だったりとか、まとめ方だったりとか、

そういうのが必要な技術だろうと思います。




さて、次回はケアマネジャーに必要な資質

について、ひと言書いておこうと思います。

先日、

長男の高校野球最後の試合を

見届けました。


今日はそれに関連して

私の老いていく様子を

予言したお話です。




長男は小学2年生から野球部に入り、

先日まで11年間野球漬けの生活でした。


私も野球経験者のはしくれですので

技術指導から身体作りから

メンタル的なことまで

いろいろアドバイスをしてきました。


「10年ひと昔」と言いますが、

10年間そんなことを続けてきました。

長男はもちろんそうですが、

私自身も長男の野球が生活の一部に

なっていました。


この負けに対して、長男は

(仲間とできるだけ長く野球をしたかった)

という気持ちがあるいっぽう、

(野球のない自由な生活が送れる)

という喜びもあるようで、

負けてもそれはそれで良い、

という気持ちのようです。

私も高校球児だった頃は

同じようなことを思っていたと

思います。


ところが、

親としてはちょっと違う思いを持つ、

ということを発見しました。




まず、野球に縛られていない

生活であるがゆえに

自分の自由な時間に

好きなことを長男に言える。

長男にとっては迷惑だったかもしれませんが、

私にとっては幸福な時間だったです。


もっともっと、できるだけ長く

こんな生活が続けばよいな、と。

できれば永遠に…(笑)




そして今日からは、グラウンドで

躍動する長男の姿を見ることは

叶わなくなりました。


毎週末、野球の試合を見続けていました。

しかし、さっそく昨日・今日の予定が

もう立たない(苦笑)


一抹の寂しさ…というより

大きな喪失感です。

下手をすると、現役時代よりも

この喪失感は大きいかもしれない。


これは、仮に

甲子園出場が叶ったとしても、

優勝して全国一になったとしても、

ぬぐえない喪失感です。


どっちにせよ、長男は

野球を引退するわけですから。


長男がずっとグラウンドに立ち続け、

好きなときに好きなことが言える立場が

保証されない限り、この喪失感を

感じざるを得ないでしょう。


簡単に言えば、

これは野球をする長男に

思いっきり寄りかかってる「依存」です。

これを乗り越えるためには

ほかに寄りかかるものを探す他

ありません。

自分自身にできることを含めて。



話はすっ飛びますが、



やがて、長男は社会人になり、

家庭を持ち、子供を授かり、

私はジジイになる。


アドバイスする側だった私は、

いつの日か長男のアドバイスを

受ける側になる。


「父さん、立っておしっこすると、

トイレを汚すから、座ってしなよ」

とか、

「家でゴロゴロしていると、

足腰、弱るよ。デイ、行きなよ」とか

(苦笑)


果たして、この立場の変わり様を

私は受け止められるのか?


これが「老いることの辛さ」

なんでしょうね。



ケアマネの仕事をしていると、

そういう人たちを山ほど見ているので

自分がどうなっていくのか、

想像できちゃいます。



だから、私は今から訓練をして

老いても、その老いを受け止められるように

ソフトランディングできるように

今から練習しています。









長男の最後の大会に合わせて

坊主になったのも、そのひとつ。


表向きは長男の高校勝利のための

願掛け、ということになっていますが、

その本心は後退していく頭髪の生え際を

あえて大衆にさらすことから

老いの受け止め準備を始めて

いこうと思っているのです。



(もっと若々しく、高校球児のように

なると想像してたのに、よりジジイ感が

増してしまいました。これも老い(笑))




「老いることの辛さ」は

いずれもう少し詳しく

書いてみたいと思います。