先日、
長男の高校野球最後の試合を
見届けました。
今日はそれに関連して
私の老いていく様子を
予言したお話です。
長男は小学2年生から野球部に入り、
先日まで11年間野球漬けの生活でした。
私も野球経験者のはしくれですので
技術指導から身体作りから
メンタル的なことまで
いろいろアドバイスをしてきました。
「10年ひと昔」と言いますが、
10年間そんなことを続けてきました。
長男はもちろんそうですが、
私自身も長男の野球が生活の一部に
なっていました。
この負けに対して、長男は
(仲間とできるだけ長く野球をしたかった)
という気持ちがあるいっぽう、
(野球のない自由な生活が送れる)
という喜びもあるようで、
負けてもそれはそれで良い、
という気持ちのようです。
私も高校球児だった頃は
同じようなことを思っていたと
思います。
ところが、
親としてはちょっと違う思いを持つ、
ということを発見しました。
まず、野球に縛られていない
生活であるがゆえに
自分の自由な時間に
好きなことを長男に言える。
長男にとっては迷惑だったかもしれませんが、
私にとっては幸福な時間だったです。
もっともっと、できるだけ長く
こんな生活が続けばよいな、と。
できれば永遠に…(笑)
そして今日からは、グラウンドで
躍動する長男の姿を見ることは
叶わなくなりました。
毎週末、野球の試合を見続けていました。
しかし、さっそく昨日・今日の予定が
もう立たない(苦笑)
一抹の寂しさ…というより
大きな喪失感です。
下手をすると、現役時代よりも
この喪失感は大きいかもしれない。
これは、仮に
甲子園出場が叶ったとしても、
優勝して全国一になったとしても、
ぬぐえない喪失感です。
どっちにせよ、長男は
野球を引退するわけですから。
長男がずっとグラウンドに立ち続け、
好きなときに好きなことが言える立場が
保証されない限り、この喪失感を
感じざるを得ないでしょう。
簡単に言えば、
これは野球をする長男に
思いっきり寄りかかってる「依存」です。
これを乗り越えるためには
ほかに寄りかかるものを探す他
ありません。
自分自身にできることを含めて。
話はすっ飛びますが、
やがて、長男は社会人になり、
家庭を持ち、子供を授かり、
私はジジイになる。
アドバイスする側だった私は、
いつの日か長男のアドバイスを
受ける側になる。
「父さん、立っておしっこすると、
トイレを汚すから、座ってしなよ」
とか、
「家でゴロゴロしていると、
足腰、弱るよ。デイ、行きなよ」とか
(苦笑)
果たして、この立場の変わり様を
私は受け止められるのか?
これが「老いることの辛さ」
なんでしょうね。
ケアマネの仕事をしていると、
そういう人たちを山ほど見ているので
自分がどうなっていくのか、
想像できちゃいます。
だから、私は今から訓練をして
老いても、その老いを受け止められるように
ソフトランディングできるように
今から練習しています。
長男の最後の大会に合わせて
坊主になったのも、そのひとつ。
表向きは長男の高校勝利のための
願掛け、ということになっていますが、
その本心は後退していく頭髪の生え際を
あえて大衆にさらすことから
老いの受け止め準備を始めて
いこうと思っているのです。
(もっと若々しく、高校球児のように
なると想像してたのに、よりジジイ感が
増してしまいました。これも老い(笑))
「老いることの辛さ」は
いずれもう少し詳しく
書いてみたいと思います。