今日、私にとって思い出深い人が亡くなりました。

私がケアマネを始めた当時に新規で担当した人でした。

8年間のお付き合いをさせていただきました。



もともとのきっかけは、胆石を取る手術のために入院され、

その間に認知症症状が出始めたときからです。

「痛みもなかったし、無理に手術することなかった…」と、

当時の娘さんは悔やまれていました。



一番大変だったのが夜の徘徊。

「自分の家に帰る」といって、家族を寝させませんでした。

5年前に自宅でつまづいて骨折し、

「歩かせないように」と医師から言われて、途方に暮れました。



この間、この方の奥さんが肺炎で寝たきりになり先に旅立たれました。

でも、この頃にはすでに意思疎通もままならなくなっていたこの方も、

奥さんの葬儀が分かったらしくて、最期のお別れで手を合わせて

お見送りされたそうです。





それから2年。






年明けから食事が少しずつ食べられなくなり、

歩くこともままならなくなって、車イスに生活になっていきました。



4月からは全く食事をしなくなり、経管栄養にするかどうか迷われ、

「このままでは餓死させるようで忍びない」と鼻から管を入れました。



しかし、しばらくして栄養が逆流するようになり、

「体が受け付けなくなっているんだろう」と、

何もせずにその日を待つことになりました。



その後一進一退が続き、いよいよ…というところから再び息を吹き返し、

一時は「連れて帰れるかどうか」というところまで持ち直しました。



自宅で看取る覚悟を決めた家族でしたが、今朝になって

「やっぱり最期はここで」と病院を選択されました。



そのことをこの方が知るはずもないのですが、昼前に急変し、

外来を担当していた主治医の午前中の診療が終わった頃、

家族とその主治医に看取られて息を引き取りました。



処置の場にいさせていただきましたが、かっぷくの良かった姿は、

面影もなく、脂肪が燃えて骨と皮だけの体になっていました。

でも、働き者だった手の指の太さだけは

変わらず以前のこの方のままでした。




ほんとうに90年間、よく頑張ってこられました。




あの世で奥さんと再会されたでしょうか。

仲良くお過ごしください。

               合掌


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「近居(きんきょ)」という言葉を聞いたことがありますか?

最近、増えているそうですよ。



知らない人は遅れてるかも!?



「近居」とは、新しい家族・住まいのトレンド、なのかな?



これは、親と子の住まいが、ごく近くにあることを指すんだそうです。

何かあったときに、すぐに駆けつけられる距離に住んでいる、という。



一緒に住むことを「同居」って、いいますよね。

でも、同じ屋根の下に住んでいると世代間の違いで揉めることもよくあります。

そうやって気を遣う関係はイヤだけど、近くにいることの恩恵にもあずかりたい。



例えば子供にとっては、経済的な支援が得られる。

夕食をごちそうになったり、買い物に行って支払いをしてもらったり。



例えば親にとっては、介護が必要になったときに助けてくれる。

すぐ近くにいると、孫の顔も見れる。


な~んだ、お互いが依存したいだけのことじゃん!


って、最初は思いました。

でも、よく考えてみると、同居している家族だってそういう面が見られる。

日本人にとっての伝統でもある世代間同士が助け合って暮らす「家族」の形態を

少し居心地良くバージョンアップした、と考えれば、こんな住まい方もアリなのかな。



さらに若者離れが進む自治体にとっては、「近居」を推進したいと助成金を

支援してくれるそうです。



まあ、住居を2つ持てる、という経済的に恵まれた家族だけが

許される形なのですが、ね。


「近居」のこと、私は昨日知りましたf^_^;

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昨日の記事 で「非言語コミュニケーション」って何なんだろう、

という方がおられるかもしれないと思いまして、

ここで説明を加えたいと思います。


まずコミュニケーションの語源ですが、sommunicateという動詞はラテン語から来ていて、

「共有する」という意味だそうですねラテン系のsolさん ^^v


そもそも、コミュニケーションってなんだろう、と思い調べてみると、

「あるものから発信されたアクションが他のものに受け止められること」が

コミュニケーションである、という感じです。(感じ、って^^


つまり、ぶつぶつ独り言を言っているのはコミュニケーションではない、

聞いてくれる相手がいてこそ、コミュニケーションと言えるようです。




ということは、発信した方、受け止める方、少なくとも二者が必要なわけです。





そして、発信されるアクションとは、いろいろなものがあって、

言葉によるメッセージもあれば、そうでないものがある。

言葉によるメッセージは「言語コミュニケーション」といいます。

そうでないものが「非言語コミュニケーション」です。

例えば、どんなものを「非言語コミュニケーション」というのか、

ということですが、言葉以外の要素。

話す言葉の中でも、その言葉自体が意味するものと、

話し方が意味をなすものがあります。

同じ言葉でも声質の高低や、抑揚がついたり、間が空いたりすると、

受ける印象は変わってきます。


「昨日の夜、どこに行ってたのよ!」と妻に詰め寄られ、

「急に上司が飲みに行こうっていったんだよ。」という言葉を

スラスラ答えるのか、言葉に詰まりながら言うのか、

で妻は受ける印象が違います。詰まってしまうと

「うん!?怪しい…」となるわけです。



その他、身振りや手振り、顔の表情、視線、服装、姿勢など、

受け止める側はいろいろな情報を得ています。


ここで、目線が泳ぐと「ますます怪しい…。」となるわけです^^;

その昔、ホリエさんというIT寵児だった人がいましたが、

業界のお偉いさんによく思われていなかったのは、

どんな公式の場でもノーネクタイのTシャツ姿だったから、

という要因もあるんじゃないかな、と思います。

「あいつ、信用できない」みたいな。



本当に信用できない人だったわけですが…^^



「非言語コミュニケーション」は、受けとる側からみて、

その人の情報の100%のうち、

実に93%が非言語コミュニケーションである、という研究もあります。


「人は見た目が9割」という本もベストセラーになりましたね。

あれはまことにそのことを言いあらわしているタイトルなんでしょうね。





それでは最後に、日本のコミュニケーションの特長をよく表した文章を

紹介して終わりにしましょう。




━─━─━─━─━─

《その国で、言葉の問題はどんふうにして切り抜けたのですか》。

これは実用的な質問のように見えるが、

じつは次のようなイデオロギーに係わった断言に他ならない。

すなわち、《言葉によるコミュニケーションはない》。


ところが、この国(日本)にあっては、

表徴作用を行うものの帝国がたいへん広大で、

言葉の領域をひどく越えているために、

表徴の交換(やりとり)は、言語が不透明であるにもかかわらず、

時としてその不透明そのもののおかげで、

なおまだ人を魅惑する豊穣さと活発さと精妙さを失わないでいる。

(『表徴の帝国』ロラン・バルト)

                 ━─━─━─━─━─



最後の言葉は、

ここ をみて引いてきました。

よかったら見てくださいv(^-^)v
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