昨日の記事 で「非言語コミュニケーション」って何なんだろう、
という方がおられるかもしれないと思いまして、
ここで説明を加えたいと思います。
まずコミュニケーションの語源ですが、sommunicateという動詞はラテン語から来ていて、
「共有する」という意味だそうですね、ラテン系のsolさん ^^v
そもそも、コミュニケーションってなんだろう、と思い調べてみると、
「あるものから発信されたアクションが他のものに受け止められること」が
コミュニケーションである、という感じです。(感じ、って^^)
つまり、ぶつぶつ独り言を言っているのはコミュニケーションではない、
聞いてくれる相手がいてこそ、コミュニケーションと言えるようです。
ということは、発信した方、受け止める方、少なくとも二者が必要なわけです。
そして、発信されるアクションとは、いろいろなものがあって、
言葉によるメッセージもあれば、そうでないものがある。
言葉によるメッセージは「言語コミュニケーション」といいます。
そうでないものが「非言語コミュニケーション」です。
例えば、どんなものを「非言語コミュニケーション」というのか、
ということですが、言葉以外の要素。
話す言葉の中でも、その言葉自体が意味するものと、
話し方が意味をなすものがあります。
同じ言葉でも声質の高低や、抑揚がついたり、間が空いたりすると、
受ける印象は変わってきます。
「昨日の夜、どこに行ってたのよ!」と妻に詰め寄られ、
「急に上司が飲みに行こうっていったんだよ。」という言葉を
スラスラ答えるのか、言葉に詰まりながら言うのか、
で妻は受ける印象が違います。詰まってしまうと
「うん!?怪しい…」となるわけです。
その他、身振りや手振り、顔の表情、視線、服装、姿勢など、
受け止める側はいろいろな情報を得ています。
ここで、目線が泳ぐと「ますます怪しい…。」となるわけです^^;
その昔、ホリエさんというIT寵児だった人がいましたが、
業界のお偉いさんによく思われていなかったのは、
どんな公式の場でもノーネクタイのTシャツ姿だったから、
という要因もあるんじゃないかな、と思います。
「あいつ、信用できない」みたいな。
本当に信用できない人だったわけですが…^^
「非言語コミュニケーション」は、受けとる側からみて、
その人の情報の100%のうち、
実に93%が非言語コミュニケーションである、という研究もあります。
「人は見た目が9割」という本もベストセラーになりましたね。
あれはまことにそのことを言いあらわしているタイトルなんでしょうね。
それでは最後に、日本のコミュニケーションの特長をよく表した文章を
紹介して終わりにしましょう。
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《その国で、言葉の問題はどんふうにして切り抜けたのですか》。
これは実用的な質問のように見えるが、
じつは次のようなイデオロギーに係わった断言に他ならない。
すなわち、《言葉によるコミュニケーションはない》。
ところが、この国(日本)にあっては、
表徴作用を行うものの帝国がたいへん広大で、
言葉の領域をひどく越えているために、
表徴の交換(やりとり)は、言語が不透明であるにもかかわらず、
時としてその不透明そのもののおかげで、
なおまだ人を魅惑する豊穣さと活発さと精妙さを失わないでいる。
(『表徴の帝国』ロラン・バルト)
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最後の言葉は、
ここ をみて引いてきました。