皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今日は幾分涼しい朝です。

台風の影響でしょうか。



私は今日からお盆の休みをいただいています。





さて、今日の夕方の記事で「日本ホスピス・在宅ケア研究会 」を

締めくくりたいと思います。



最後は、詩人の谷川俊太郎さん。

「死を包む言葉」のシンポジストの一人でした。


今朝は谷川さんが詠まれた詩で、

印象に残ったものを書き留めましたので紹介します。





帰郷


私が生れた時

私の重さだけ地が鳴いた

私は少量の天と地でつくられた

別に息をふきかけないでもよかった

天も地も生きていたから



私が生れた時

庭の栗の木が一寸ふり向いた

私は一瞬泣き止んだ

別に天使が木をゆすぶった訳でもない

私と木とは兄弟だったのだから



私が生れた時

世界(コスモス)は忙しい中を微笑んだ

私は直ちに幸せを知った

別に人に愛されたからでもない

私は只世界(コスモス)の中に生きるすばらしさに気づいたのだ



やがて死が私を古い秩序にくり入れる

それが帰ることなのだ……




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(前回はこちら 。)



「人は死ぬとどうなってしまうのか?」このことについても説明してくださいました。



万葉集などの短歌には「枕詞(まくらことば)」というものがありますが、「命(いのち)」の枕詞は「たまきはる」という言葉だそうです。「命(いのち)」という言葉の前には必ず「たまきはる」という言葉が置かれる、ということです。


この「たまきはる」という言葉の意味ですが、インターネットで調べると諸説あるようですが、玄侑氏は「たま(魂)き(来る)はる(張る)」と説明されました。

つまり、命とは体の中に「たま(魂)」が入って「き(来る)」て、「はる(張る)」状態である、と。

そして、魂には「親玉」がいて、魂がこの世にやってくるときに親玉から分かれて来る、ということです。そしてあの世に行くときには親玉へ戻っていく、ということなんだそうです。



つまり、ご先祖様はこの世にいたときの一人一人の状態ではなく、親玉の形でまとまって存在しているという感覚だったのでしょう。



ちなみに、ビックリしたときに使う言葉、「たまげる」という言葉は「魂が抜ける」ということから来ているらしいです。



このことは何を意味するか、ということなんですけど、臨終の際の痛み、というのは「私の感覚として痛い」のであるが、実際は魂が抜けて親玉へ戻っていくのだから、その時点で「私」は薄れていく。だから痛みというものも感じにくい状態なのではないか、と玄侑氏は言いました。

こう考えると、臨終の不安も軽くなるでしょうか?



それと、もうひとつ言われたことは、生まれるときは親玉から分かれて、死ぬときは親玉に帰る。つまり、自分は過去に「あの世」にいた経験がある、ということです。

「あの世」の「あの」は物などを指さしたりするときの「あれ、あれ」の「あの」ですよね。つまり、「あの世」を知っている状態である、ということなんです。






死ぬということは、前にいた場所に帰る。

そう思えば、亡くなることも恐くはない!?





古くから先人達が“人が死ぬ”ということを、いろいろと智恵を巡らせ、理解しようと試みてたんだな、と感慨深く思いました。

一方、現代は死への対処方法を医学という科学で解き明かそうとしています。


今も昔も死ぬことを克服したいと思っているんでしょうね。


でも、科学による対処方法が万策尽きたときに、私たちは先人達が造り上げた物語に頼ろうとする。それが宗教なのかな?



今日で、玄侑宗久氏のお話は終わりです。



重いテーマに

最後までお付き合いいただいて

ありがとうございますm(_ _ )m

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(前回はこちら 。)




我々は、分からないことがあると不安な気持ちを持ちます。

例えば「人は死ぬとどうなってしまうのか?」。



この問いも「死ぬことが不安」と思ってしまう原因のひとつだろうと思います。




この答えに近づくために、人々は古来からいろいろな物語を紡いでいきました。それが宗教という形になって伝えられてきました。




この間の研修会で玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏は、「死の物語を整理して」説明してくださいました。

「死の物語を整理して」というのは、日本では死の物語がごちゃ混ぜになって伝えられているからだそうです。




そのお話しをご紹介します。




お盆になると、キュウリとナスを使って人形を作って飾ります。



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これは、ご先祖達があの世から戻ってくるときにキュウリの馬で速く戻ってきて、あの世へ帰るときにナスの牛でゆっくり帰ってもらうように、と願ったものです。

お盆はご先祖様がこの世へ戻ってくる大切な行事なんですね。




ところで、ご先祖様があの世から戻ってくる、というときに「あの世とはどこのことか?」という疑問がわきます。

仏教では「極楽浄土」ということにしているんですが、この世から極楽浄土までは10万億土という距離がある、ということだそうです。

これがどれくらいな距離かというと、光の速さで49日。亡くなったときに49日の法要をしますが、ちょうど光の速さで49日ぐらいかかるということだそうです。


これはすごい偶然ですね?


でもまあ、とてつもなく遠いところであることは間違いないようです、実際にそうであることを証明した人はいませんが。




ところが、ここで矛盾が生じます。馬や牛で極楽浄土からこの世に戻ってこようと思っても戻れない、ということです。



ここに仏教と神道の混乱があります。キュウリやナスの人形の風習は、「亡くなったら極楽浄土へ」と言った仏教の風習ではなく、仏教のさらに昔からあった神道の風習であろう、ということです。



では、神道ではご先祖様はどこにいるとされるのか?玄侑氏は「せいぜい月までだろう」と言われました。

象徴的なのが、かぐや姫でおなじみの「竹取物語」です。かぐや姫が月に帰るのは、亡くなったあとのあの世のイメージではないか、ということです。絵本とかでも、牛に乗って月に行きますよね、あれです。




民俗学者の柳田国男氏は「仏教は、なぜ死者を遠ざける?」といった言葉を残しているそうですが、日本では、亡くなった人は、亡くなったあとも身近なところにいる、と考えていたようですね。




こんな経験があります。

我が娘がまだ小さい頃、2歳頃までだったでしょうか、仏壇のほうに向かう廊下に向かって、誰もいないのに話をしていたことが何度か目撃しました。その様子を見て「ああ、あの辺に居るなあ…」と思ったのですが。



いずれにしても、玄侑宗久氏のお話しでは、亡くなってもこの世に戻って来られるようなところにご先祖様達はいる、これが日本古来の感覚なんだとおっしゃいました。私はそのお話しにとても共感したんですが、一緒に研修を受けた同僚は「意味が分からん」と言っていました。みなさんはいかがですか?


(続く。)



「シンジルモノハ、スクワレマスゥ!」

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