(前回はこちら 。)
「人は死ぬとどうなってしまうのか?」このことについても説明してくださいました。
万葉集などの短歌には「枕詞(まくらことば)」というものがありますが、「命(いのち)」の枕詞は「たまきはる」という言葉だそうです。「命(いのち)」という言葉の前には必ず「たまきはる」という言葉が置かれる、ということです。
この「たまきはる」という言葉の意味ですが、インターネットで調べると諸説あるようですが、玄侑氏は「たま(魂)き(来る)はる(張る)」と説明されました。
つまり、命とは体の中に「たま(魂)」が入って「き(来る)」て、「はる(張る)」状態である、と。
そして、魂には「親玉」がいて、魂がこの世にやってくるときに親玉から分かれて来る、ということです。そしてあの世に行くときには親玉へ戻っていく、ということなんだそうです。
つまり、ご先祖様はこの世にいたときの一人一人の状態ではなく、親玉の形でまとまって存在しているという感覚だったのでしょう。
ちなみに、ビックリしたときに使う言葉、「たまげる」という言葉は「魂が抜ける」ということから来ているらしいです。
このことは何を意味するか、ということなんですけど、臨終の際の痛み、というのは「私の感覚として痛い」のであるが、実際は魂が抜けて親玉へ戻っていくのだから、その時点で「私」は薄れていく。だから痛みというものも感じにくい状態なのではないか、と玄侑氏は言いました。
こう考えると、臨終の不安も軽くなるでしょうか?
それと、もうひとつ言われたことは、生まれるときは親玉から分かれて、死ぬときは親玉に帰る。つまり、自分は過去に「あの世」にいた経験がある、ということです。
「あの世」の「あの」は物などを指さしたりするときの「あれ、あれ」の「あの」ですよね。つまり、「あの世」を知っている状態である、ということなんです。
死ぬということは、前にいた場所に帰る。
そう思えば、亡くなることも恐くはない!?
古くから先人達が“人が死ぬ”ということを、いろいろと智恵を巡らせ、理解しようと試みてたんだな、と感慨深く思いました。
一方、現代は死への対処方法を医学という科学で解き明かそうとしています。
今も昔も死ぬことを克服したいと思っているんでしょうね。
でも、科学による対処方法が万策尽きたときに、私たちは先人達が造り上げた物語に頼ろうとする。それが宗教なのかな?
今日で、玄侑宗久氏のお話は終わりです。
重いテーマに
最後までお付き合いいただいて
ありがとうございますm(_ _ )m