(前回はこちら 。)
我々は、分からないことがあると不安な気持ちを持ちます。
例えば「人は死ぬとどうなってしまうのか?」。
この問いも「死ぬことが不安」と思ってしまう原因のひとつだろうと思います。
この答えに近づくために、人々は古来からいろいろな物語を紡いでいきました。それが宗教という形になって伝えられてきました。
この間の研修会で玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏は、「死の物語を整理して」説明してくださいました。
「死の物語を整理して」というのは、日本では死の物語がごちゃ混ぜになって伝えられているからだそうです。
そのお話しをご紹介します。
お盆になると、キュウリとナスを使って人形を作って飾ります。
これは、ご先祖達があの世から戻ってくるときにキュウリの馬で速く戻ってきて、あの世へ帰るときにナスの牛でゆっくり帰ってもらうように、と願ったものです。
お盆はご先祖様がこの世へ戻ってくる大切な行事なんですね。
ところで、ご先祖様があの世から戻ってくる、というときに「あの世とはどこのことか?」という疑問がわきます。
仏教では「極楽浄土」ということにしているんですが、この世から極楽浄土までは10万億土という距離がある、ということだそうです。
これがどれくらいな距離かというと、光の速さで49日。亡くなったときに49日の法要をしますが、ちょうど光の速さで49日ぐらいかかるということだそうです。
これはすごい偶然ですね?
でもまあ、とてつもなく遠いところであることは間違いないようです、実際にそうであることを証明した人はいませんが。
ところが、ここで矛盾が生じます。馬や牛で極楽浄土からこの世に戻ってこようと思っても戻れない、ということです。
ここに仏教と神道の混乱があります。キュウリやナスの人形の風習は、「亡くなったら極楽浄土へ」と言った仏教の風習ではなく、仏教のさらに昔からあった神道の風習であろう、ということです。
では、神道ではご先祖様はどこにいるとされるのか?玄侑氏は「せいぜい月までだろう」と言われました。
象徴的なのが、かぐや姫でおなじみの「竹取物語」です。かぐや姫が月に帰るのは、亡くなったあとのあの世のイメージではないか、ということです。絵本とかでも、牛に乗って月に行きますよね、あれです。
民俗学者の柳田国男氏は「仏教は、なぜ死者を遠ざける?」といった言葉を残しているそうですが、日本では、亡くなった人は、亡くなったあとも身近なところにいる、と考えていたようですね。
こんな経験があります。
我が娘がまだ小さい頃、2歳頃までだったでしょうか、仏壇のほうに向かう廊下に向かって、誰もいないのに話をしていたことが何度か目撃しました。その様子を見て「ああ、あの辺に居るなあ…」と思ったのですが。
いずれにしても、玄侑宗久氏のお話しでは、亡くなってもこの世に戻って来られるようなところにご先祖様達はいる、これが日本古来の感覚なんだとおっしゃいました。私はそのお話しにとても共感したんですが、一緒に研修を受けた同僚は「意味が分からん」と言っていました。みなさんはいかがですか?
(続く。)
「シンジルモノハ、スクワレマスゥ!」
