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私は20代半ばの頃、特養の介護現場を離れて事務員をしていたことがあります。そして、ちょうど同年に社会福祉士の通信教育を受けていました。



忘れもしないその年の12月。社会福祉士のスクーリングで、1週間休みをもらうようにしていました。もちろん、そのことは前もって上司に話してはいました。日程は12月1日~12月7日まで。


当時は、月始めに“措置費”という施設の運営費を市町村に請求するのが通常業務になっていました。ですから、毎月1~5日頃までは忙しかったのです。また、入退所や入退院があったりすると請求額が違ってきますから、月が変わってからじゃないと準備できない業務でした。



近づく12月。ある日、上司から「12月はスクーリングだろう。請求の準備、どこまでできた?」と言われました。私は顔に冷水をぶっかけられた気分でした。

12月の請求をどうするつもりだったか、というと「話はしているのだから上司がやってくれるだろう」。そう思っていました。普段から私の仕事を知っているんだから、上司も当然できるだろう、と。



“え~っ、俺がやらなきゃいかんの?”って、半分ブーたれながら、急いで準備をしました。まずは、12月に入ってから行う業務、今現在の請求すべき金額と明細書を作りました。そして、変更があった場合のために申し送り書類を作り、上司に説明しました。



12月から始める請求の準備を11月中に終わるのはしんどいことでした。それでも、できるだけのことは済ませて、スクーリング会場へ向かったのは前日の午後9時過ぎ。到着したのは夜中の2時頃だったでしょうか。



“考えが甘かった”と思ったのは、それからしばらくしてからのことでしたね。

今でも皆さんに聞いてもらうには、あまりにも恥ずかしい話です。



私の青さを誰かのせいにする訳じゃないですが、その甘い考えは数年働いていた介護現場で培われた中にもあったんじゃないかと思います。自分が少しぐらい手を抜いても、他の誰かがフォローしてくれる。1日ぐらい休んでも現場は回る。例えば、明日自分が辞めても…。



介護現場には、どうもそんな空気が流れているような気がしてならんのです。少なくとも、私が経験した現場はそうでした。もちろん、そうじゃないところもたくさんあると思いますけどね。


「自分がいないと現場が回らない」と意識させる何かを作っておくのは大切だと思うのですが。そうすれば仕事のやり甲斐にもつながっていくと思いますし。



上に立つ立場の人は、部下一人ひとりに役割を与えられているでしょうか?それとも何から何まで、自分でやっちゃっていますか?

役割を与えられていない部下の人は、楽ちんですか?それとも、もっとやり甲斐を持って仕事をしたいですか?


(終わり。)


思い込み記事…かな?

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この仕事は、よく「チームケア」と言います。チームを組んで、利用者さんのケアにあたる、ということです。


ケアのチーム、というと、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、介護士、歯科衛生士、管理栄養士、福祉用具相談員etc.etc…いろいろな職種がチームを組んでケアにあたる、というものがあります。ちなみに、それらの職種の連携がスムーズに行くためにケアマネジャーは存在しています。


一方、こんなチームもあります。


デイサービスでは複数名の介護職員によるチーム。数十人規模のデイサービスで1人の介護職員が何から何までできませんから、連携を図りながら業務を行っています。

また、病棟の看護師さんなども24時間体制ですから、日勤→夜勤→日勤と連携して看護にあたっていますね。もちろん、夜勤のある老人ホームの介護職員さん達にも同じことが言えます。

また日勤中でも数人の介護職員さん、看護師さん達が連携して看護にあたっていますし、ヘルパーさんも今日訪問したヘルパーさんから明日訪問する予定のヘルパーさんに申し送りしたりしていますよね。


さて、今日は後者のほうのチームについて書こうと思うんですが、私は昔からこのことに引っかかっているんです。



どんなことに引っかかっているか、というと、やっていることはとても責任のかかる大事なことなのに、その責任の所在があいまいではないか、ということです。

チームという大勢の中に個人が埋もれる、というか、チームにすることで、職員一人ひとりの責任ある仕事というものがあいまいになってないだろうか、と。

もしかしたら、そのためにいい加減な仕事をしてしまっている人たちもいるんじゃないか、と。役割分担をして責任を持たしたら、もっと良い仕事をしてくれる人たちもいるんじゃないか、と。


役割分担して、「この仕事はあの人が責任者」ということになれば、もちろん負荷もかかりますが、その分、やり甲斐が生まれて、仕事に向かう姿勢も変わってくると思うんですけどね。だって、「自分がいなければ…」っていうことになったら、嫌でも頑張れるじゃないですか?



認知症のケアでも元気な高齢者の生きがい対策をするのでも同じことが言えると思います。

家庭内で役割を失って呆けてしまう人が、グループホームで他の人の面倒をみることになって活き活きしてきた、なんてこと、経験ありませんか?

人間の存在意義は“誰か(社会)に必要とされること”。これは認知症のお年寄りでも、私たち職業人でも同じことが言えるのではないでしょうか?

ともかく、この業界はチームで連携してやってくことが必要なんだと思いますけど、その中でも一人ひとりの責任がはっきりしていることって、とても大切だと思うんですよね。



どうして、そう思うようになったかというと、昔にこんなことがあったんです。


(例の如く、続く。)



最近、”続く”が多くてごめんなさい。

   m(_ _ )m

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会場の男性がもうひとつ異議を申し立てたのは、パネリストである医師が、「専門性が深まらないのは、専門職が専門性の移譲を嫌うからだ」という内容を話したことに対するものでした。


その医師が何と言ったかというと、「看護職に医師の業務をゆずる、介護職に看護師の業務をゆずる。そうすれば介護職の専門性も高まるのに、“それぞれの職域が侵される”ということで反対する勢力が後を絶たない」というのです。

反対する勢力というのは、医師や看護師などを束ねる団体のことだと思います。



会場の男性は、そのことに対して苛立っていたのでしょうね、「医師よりも看護師、看護師よりも介護士が低い立場である、と言っているようなものだ。」と反論しましました。



その医師は、「そうすれば医師や看護師は他の仕事ができるから」というようなことまで言いましたから…。



医師はまだ30代後半ぐらいの若い医師でした。「私がこの法人に籍を置いたときは、理事長から“介護現場も勉強しなさい”と言われて、3ヶ月介護現場にいました。」なんて、さも、自分は介護職の理解者である、というような感じでいましたから。



かわいそうに、ちょっと慌てていました。



しかし残念なことに、その医師が男性の意見に応えようとコーディネーターのほうをチラチラと見ていましたが、コーディネーターは「時間がきましたので、これで。」と一方的にシンポジウムを打ち切ってしまいました(笑)



さて、「介護の専門性」って、答えが見えてきましたか?



研修会でのお話はここまで。



ちょうど良いタイミングで、シルバー新報にこんな記事が載っていました。

「厚労省、上乗せ資格創設の議論スタート」。



これは、介護福祉士資格を取得している人が、さらに高い知識や技術をもって仕事に当たれるように、「専門介護福祉士制度(仮称)」という資格を創設しようという動きがあるというものです。専門介護福祉士はその名の通り、介護の専門性をより高める資格である、ということです。



しかし、残念なことに「介護の専門性は何か」ということがはっきりしていません。

どおりでシンポジウムがうまくいかないわけです(苦笑)



意見は2つに分かれているようです。



認定看護師のように、特定の分野に特化した「深さ」を追求するか、多様な障害を持つ利用者に幅広く対応できる「広さ」を追求していくか、と意見が分かれています。



新聞記事には、このようなことも書いてありました。

「そもそも、介護福祉士をとる前の教育体系さえ混沌としたまま。気が早すぎるとも言える」。まさにこのことは、私が以前に介護福祉士資格について書いた内容 に類似していますね。(ですよね?^^



しかし、介護の仕事がより専門的になって社会的な認知を広めるためにも、介護の専門性を議論する流れは良いことだと思いますね。




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