気づけば参議院銀選挙は明日です。

あと2回で結論まで書いてしまいましょう。

 

国会議員の声の大きい人たちが信奉してきた

「日本の皇室は古来から男系の男子で継いできた」と

いう論理は完全に破綻しています。

 

女性天皇は8名(10代)いますし、

初代:神武天皇から10代:崇神天皇の間は

「欠史八代」といい、実在したかどうか不明

(性別も分からない)です。

 

ちなみに江戸時代に即位された2名の女性天皇以外は

大宝律令が策定された701年頃までに即位されています。

(最後は称徳天皇 764年~770年)

 

やはりこの頃から大陸の男子優先の考え方が少しずつ

浸透してきた、と考えるのがふつうだと思います。

 

だから日本はもともと男女の区別をつけない「双系社会」であり、

現代でいう「男女平等」の理念を先取りしていた国だったのです。

 

ということで、皇統が潰える「男系男子の継承」は

今すぐ変更しなければいけません。

もちろん今上陛下のほか、皇室の人たちもその危機は

十分感じておられるでしょうし、

愛子様、佳子様の結婚には非常に慎重になられる

のではないかと思います。

 

結婚は本人の意思が尊重されるべきですが、

そうはできない女性皇族の気持ちを汲める

国会議員をたくさん当選させなければいけません。

 

 

古代日本はなぜ「母系社会」だったのでしょうか。

 

ここからは私の推考になります。

「狩猟民族」と「農耕民族」の違いが

大きかったのではないでしょうか。

 

男女のちがいの大きなもののひとつは

「力の差」いわゆる「腕っぷし」というもの

だろうと思います。

 

筋肉の量は男女差がないものの、

力の強さは女は男に勝てません。

 

男が優位に立てる「腕っぷしの強さ」は

「狩猟民族」と言われる集団には非常に優位な

要素だったと思います。

 

狩猟民族は男の腕っぷしの強さで獲物を狩り、

それを食料にして生きていた。

男の狩猟能力次第で生きるか死ぬかが決まってしまう。

そういう場所では男優位の社会になるのも

無理はありません。

 

また、大陸では民族同士の衝突が繰り返された

歴史があります。今の中国大陸の歴史においても

覇権の移り変わりが激しいものです。

もちろん、そこには武力がありました。

「力の強い者」が支配する世の中でした。

 

一方、日本は狩猟を中心にしていた時代ももちろんあったでしょうが、

ながらく「農耕」を中心として暮らしていました。

農耕を通じてムラをつくり、定住して生活を営んでいた。

そこには男女の区別はそう大きくなく、今風に言えば

男女平等の社会だったのではないでしょうか。

 

そして島国である日本は、他から侵略を受けた歴史が

ほとんどなかったことも「母系社会」が長らく続いた

理由であろうかと思います。

 

さらに言えば、女性の大きな特長のひとつとして

「子供を産むことができる」というものがあります。

 

女性は新しい命をお腹の中で育み、この世に誕生させる。

この崇高な出来事に古代人は神秘さを感じていたのではないか。

 

女性には霊力が備わっていると考えられ、宗教儀式や祭祀の中心的存在

でもあったことは古代日本が「母系社会」であったことの

理由にも十分なるはずだと思います。

大宝律令は唐(今の中国)の律令制度に習い、

日本で初めて法律を整え、体系化した法典です。

 

大宝律令は大陸の思想に影響を受けながらも

古代から伝わる日本社会の思想を織り込み、

つくり上げたものです。

 

例えば「家父長制(最年長の男性を家長とし、

家で絶対的な権力を持つ考えかた)」は大陸の

古代からの思想で「父系社会(父から息子へ財産や

地位を継承する)」と密接した関係です。

 

大宝律令も家父長制の考え方に影響を受けて

家族の運営から国家の体制まで男子優先と

読める条文がありますが、大陸のようにそれを

徹底したものではなく、日本の思想に合うよう、

柔軟になっています。

 

例えば前回紹介した継嗣令第一条には、

 

凡そ皇(天皇)の兄弟(姉妹を含む)、皇子(皇女を含む)をば、

皆親王(内親王を含む)と為す。(女帝の子も亦同じ。)

(※内親王は女子の親王のこと。)

 

必ず男子絶対ではなく、女子も男子と同じ立場であることを

示しています。これは大陸では到底受け入れられない思想です。

 

ここで分かることは、大宝律令が作られる前は

「父系社会」ではなく「母系社会」だった、

ということでしょう。

なぜなら、古代日本が「父系社会」であれば大陸の思想を

そのまま受け継げばよいだけなのに、「母系社会」だからこそ、

大陸の思想との折り合いをつける工夫、ととれるからです。