古代日本はなぜ「母系社会」だったのでしょうか。

 

ここからは私の推考になります。

「狩猟民族」と「農耕民族」の違いが

大きかったのではないでしょうか。

 

男女のちがいの大きなもののひとつは

「力の差」いわゆる「腕っぷし」というもの

だろうと思います。

 

筋肉の量は男女差がないものの、

力の強さは女は男に勝てません。

 

男が優位に立てる「腕っぷしの強さ」は

「狩猟民族」と言われる集団には非常に優位な

要素だったと思います。

 

狩猟民族は男の腕っぷしの強さで獲物を狩り、

それを食料にして生きていた。

男の狩猟能力次第で生きるか死ぬかが決まってしまう。

そういう場所では男優位の社会になるのも

無理はありません。

 

また、大陸では民族同士の衝突が繰り返された

歴史があります。今の中国大陸の歴史においても

覇権の移り変わりが激しいものです。

もちろん、そこには武力がありました。

「力の強い者」が支配する世の中でした。

 

一方、日本は狩猟を中心にしていた時代ももちろんあったでしょうが、

ながらく「農耕」を中心として暮らしていました。

農耕を通じてムラをつくり、定住して生活を営んでいた。

そこには男女の区別はそう大きくなく、今風に言えば

男女平等の社会だったのではないでしょうか。

 

そして島国である日本は、他から侵略を受けた歴史が

ほとんどなかったことも「母系社会」が長らく続いた

理由であろうかと思います。

 

さらに言えば、女性の大きな特長のひとつとして

「子供を産むことができる」というものがあります。

 

女性は新しい命をお腹の中で育み、この世に誕生させる。

この崇高な出来事に古代人は神秘さを感じていたのではないか。

 

女性には霊力が備わっていると考えられ、宗教儀式や祭祀の中心的存在

でもあったことは古代日本が「母系社会」であったことの

理由にも十分なるはずだと思います。