こんな事実を知ってしまった。

本当は知るべきではなかった。

男親の悲哀。




とある夕食のときのこと。

風呂で身体を洗う話になった。


妻がニヤニヤしながら言う。

「なんで?あんなにがつく?」




私はプッシュ式のボディーソープが

すぐに無くなってしまうのがイヤで、

いつからか、「牛乳石けん」

身体を洗っている。


身体の水分を拭き取るタオルだと

固形石けんは泡立ちが悪いのだが、

身体をこすり洗う用のナイロンタオルだと

そのストレスはまったくない。


ボディーソープは

無くなったのに出くわした人が

補充するルールのわが家だが、

大半は私か妻がするので

めんどうくさいのだ。


だから、私は「牛乳石けん」

使い、家族にもそれを推奨している。


ところが私以外の妻と子供は

ボディーソープばかり使う。




「あんなにのついた石けんは

使いたくないよね~、くすくす

妻は子供たちを自分の味方に

つけようとしている。


何度も言うように

「牛乳石けん」

私しか使わない。


私しか使わないから

私の体毛だけが石けんに

何本もひっついているのだ。


はたから見れば汚いとは

思うが、家族ぢゃないか!




「だいたい、どうやって

あの石けんを使っとる?」

と長男が言う。


お前、

固形石けんの使い方まで

教えにゃならんのか?




「それはだな。

ナイロンタオルがあるだろうが。

それをシャワーで濡らして、

石けんを包むだろ。

それで、ごしごしすると、

タオルについた

石けんに付くだがな…」






ここで、(あっ)と思った。

これは聞かずにはおれない。





「おい、『青』と『白』。

どっちを使う?」





わが家にナイロンタオルは

「青」と「白」がある。

「青」のほうが目が荒く、

強くこすると痛いが気持ちよい。

「ザ・男のナイロンタオル」だ。




妻は私の質問をすぐに理解し、

「わたしは『白』」と即答。

口角とほほ骨が上がり、

笑いモードになった。

そのくせ、口は真一文字にして

笑いをかみ殺している。


続いて長女、二女も

「白」「私も」と答える。

三女は「私は使わん」。

これはどうでもよい。


妻はこらえきれなくなって

大笑いを始めた。

子供たちもなんとなく

話の中身を理解した顔をした。





「ちょっと待て!なんで、

お父さんといっしょのを

使わんだ?」





わずかな望みは長男だ。

せめてお前ぐらい、

お父さんの「青のタオル」を

使うだろ?








「おれも白」





(あ然とする私)





「ちょっと痛いもんな」

長男はフォローするが

もう遅いわい。


そんなにお父さんと

同じナイロンタオルを使うのが

嫌かい!





…だろうな、だろうな。

俺も子供だったら

おやじの毛のついた

タオルで洗うのは嫌だもんな。








「おし、

今日からお父さんも

『白』を使うけな」




「絶対それはやめて」

長女が冷静なトーンで

私にダメ出しした。



あ~あ、やれやれです。

これは私自身の心の声です^^




長々とやってきましたお話は

前回で終わりました。

このテーマのお話は

2014年3月からやっていましたので

もう1年8ヶ月にもなります。


読んでいただいた皆様は

どんなテーマだったかさえも

覚えてない方も多いことでしょう。


そもそもの始まりは

国が平成25年1月に示した

「ケアマネのあり方検討会」の

まとめからでした。


「ケアマネの質が悪い」とけなされて、

「だから、みっちりと研修やっちゃうよ」と、

法定研修がかなり変わって、

時間数も多くなって

「これで質が上がらなかったら

ケアマネ制度やめちゃうよ」的な

ところまで来ているのかな、

うがった見方を今はしています。


しか~し。


ケアマネの質が悪い(と思われている)のは、

ケアマネが目指すべきところを

そもそも示してないからじゃないの?

たとえば、「自立支援」って言葉を

どう捉えたらいいの?ということさえも

検討委員の中でもあいまいなままじゃないの?

というところから始まった話でした。






覚えてないでしょ(笑)





そもそも「自立支援」というところを目指すにも

目指せない事例っていっぱいあるよ、

ということも書きました。

じゃあ、そういう人にはどこを目標に

していけばよいのか、というところで

私の仮説をみなさんに紹介したのが

今回1年8ヶ月もかかって書いたお話の

あらすじです。




本当に長々と

私のお話につきあってくださり

ありがとうございます。


次回から新シリーズを

お送りしたいと思います。


…が。


そうそう、壮大なネタもないので

ほそぼそとやっていきます。


毎週日曜日発信でしたが、

不定期になるかもしれません。


ま、書きたいときに書いていこうと思います。

できるだけ毎週更新は目指したいと思います。

ですから、どうぞこれからもよろしくね^^v






…いやあ、読んでくれた人、

おつかれ、おつかれ。

こういう役割のあり方を

「存在する役割」といいます。

居ることがすなわち”役割”を

果たすことになるのです。


たとえば
デイサービスのたくさんいる人の中で

ひとりひとりに役割をつけるのって

できないんじゃないか、ってことを
考えたりしますよね?

何もしないAさん、何もできないBさんが

どうしても出てきちゃう。


でも、存在役割のことを考えれば、

AさんとBさんが友達になってしまえば

良いのです。

「あんたぁ、家でこんなことがあってな…」

「あら~、うちもだよ~」って、

なにげない時間だけど

そういうふうに過ごせることが

とっても大切なんですよね。


さらに言うと、

何も言わないCさんでも

心をかよわせてくれる、

寄りそってくれる人が

そばにいればその人は

充実した生を続けることが

できる。




たまたま先週、

近所で葬儀がありました。

亡くなったのは

一人暮らしの男性でした。

その約2ヶ月ほど前には

奥さんが亡くなったばかりでした。

奥さんは病気を患っておられ、

最期は施設で亡くなられましたが

男性はとてもショックだったそうです。

男性も持病を持っておられたそうですが、

まさかこんなに早く亡くなるとは、

と、身内の方が言っておられたそうです。


やっぱりこんなことってあるんですね。

役割は人と人とをつなげ、

役割関係がなくなったとき、

人は生きる目的を見失う。


そう思いませんか?