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ライフコーチングで世界が変わる

本当のあなたは、過去の記憶から自分だと思っているものとは異なります。
一つ高い次元の視点に立つことで、世界が変わります。

世界の背景にある仕組みが明らかになると、自分の可能性を確信できます。

コーチングを通じて、あなたの世界を変えるお手伝いをします。

今日は、友人がやっている古武道の教室に参加してきました。

ちなみにこちら↓の方です。
http://www.reservestock.jp/page/event_series/7575

古武道の先生というと、

なんとなく厳格そうなイメージがあると思うんですが、

全然そうじゃないのです。

とても面白い人なので、興味のある方はぜひ参加してみてください。

初心者向けですし、驚くべきことに女性の参加者の方が多いです!


さて、

「古武道ってなに?」

という方は、ぜひGoogle先生に訊いてみてください(笑)。

簡単に言うと、日本の伝統的な武道のことみたいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%AD%A6%E9%81%93


ちなみにこんな効果があるらしいです。

※ウエストが細くなった。
※基礎代謝が上がった。
※柔軟な体になった。
※体力が上がった。
※インナーマッスルが鍛えられた。
※自分が考えた通りに体が動いた。
※細マッチョになった。




今日は初歩的な型だけだったのですが、

これだけでも結構難しかったです。


師匠のお手本通りにやろうとしても、

思っているように体が動かず苦戦しました。


師匠のお手本を見ていると、

型の動きは最小限の動きで成り立っていて、

無駄な力も動きもしていないということがわかります。

無駄な動きをしていないということだけはわかるんですが、

どうにもマネができません。(^^;


やはり、相当鍛錬が必要ということはわかりました...。

日々是精進ということですね...。

(日々是決戦というのは代ゼミでしたっけ?)

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前回、

私たちの意識が、

どこからやってくるのか?について

考えてみると面白いことがわかりそう、

というお話をしました。


この意識の出所について考えてみると、

なかなか面白いことがわかってきます。


この意識について、一般的には↓のように考えられていると思います。

・意識は脳という機械から生ずるもの

・人間の意識や心が物理法則に影響を与えることはない


でも、前回の話で、

「意識」が「脳」から機械的に発生するならば、

「私の意識」は、

この世界にとっては特に必要ないもの、

ということになる、

ということでした。


そして、もし「意識」が

機能的に必要だから存在しているとしたら

どうなるんだろうか?

という話でした。


「意識」が機能的に必要だとすれば、

それは逆に「意識」の方が

脳に影響を与えているんじゃないか?

とも考えられます。


こういう↓方向性になりますね。

[意識] → [脳]


一方で、意思決定を意識する0.35秒前に

脳にはすでに電気的変化があるという話↓もあります。

「私たちに自由意志はあるのか?」



この実験結果からすると、

[脳] → [意識]

という方向性にも思われて、

なんとなく矛盾しているように感じます。


これを完璧に説明することは、

申し訳ありませんが私にはできません。(^^;;


ただこの脳の電気的変化を起こす元を

仮に「イシキ」と呼ぶならば、

それは「意識」とは、

また違ったものかもしれません。


こういうことは、

世界の一流の哲学者が研究しているので、

お任せするとしましょう(笑)。


ただ一つ言えるのは、

そんなに単純に言い切れる問題ではない、

ということですね。(^^;


形而上学的に考えてみると、

「イシキ」は、量子力学で言うところの

「観測者」に相当するものかもしれません。

この世界を観測によって確定させる元となるものです。


たまにはこんなことを考えてみるのも

面白いのではないかと思います。

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私たちの意識って、

どこからやってくるのでしょうか?

この意識の出所について考えてみると、

なかなか面白いことがわかってきます。


一般的な常識では↓のような感じだと思います。

・意識は脳という機械から生ずるもの

・人間の意識や心が物理法則に影響を与えることはない

でも、これは本当なのでしょうか?


今日は、実際はそうでもないんじゃないか?

ということを試しに考えてみようと思います。



さて、仮に「意識」「脳」から発生する現象だとしましょう。

↓のような方向性がありますよね。


[脳] → [意識]


もしこのような流れだとすると、

「意識」「脳」に影響を与えることはないはずですよね。

「意識」「脳」から発生したものですから。


「意識」「脳」に影響を与えないとすると、

「脳」にとっては「意識」などはあってもなくても

どっちでもいいということになりませんか?


つまり、「意識」が無くても

問題ナッシングということです(笑)。


余談ですが、意識不明と聞くと

重体という言葉が連想されます。(^^;


それはさておき、

意識不明というのは、

外側から見て意識が無いように見える状態です。


ここで言っている意識が無いというのは、

外側から見れば意識があるように見えても

内側は違うかもしれない、

という状態のことです。

いわゆる「哲学的ゾンビ」と呼ばれるやつです。



(ここまで書いていて、
この話はなんか面倒くさいのでやめようかなと
思い始めました。(^^;)


気を取り直して書いてみますと、

「意識」「脳」の作り出す現象だとすると、

「私の意識」は、この世界にとっては特に必要ないもの、

ということになりそうです。


意識があっても無くても、

他人から見たら同じで

機能的には何の問題も無いからです。


でも、私にとっては

「意識」は明らかに存在していますよね。


「いや、俺は哲学的ゾンビだ!」


と主張する人はいないと思われます(笑)。


じゃあ、仮に「意識」

機能的に必要だから存在しているとしたら、

どういうことになるんでしょう?


(続く)
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