哲学者のなかで、一般的に良く知られているのは誰か?
きっとニーチェでしょう。
本屋に行けば、ニーチェを扱った書籍がいくつもあり
哲学書のコーナーには、初心者でも分かりやすい漫画があったり。
ニーチェは実存主義の哲学者です。
そんなニーチェの考え方のなかでも
特に取り上げたいのは
ルサンチマン
これは「弱者の逆恨み」のことです。
わかりやすく言うと、「妬み」「嫉妬」
もっとわかりやすく言うと、「スネている」状態。
自分の望み通りにいかなくて、
敵わない相手が妬ましくて、
スネちゃう。
スネると次はどうするかっていうと
「事実を捻じ曲げる」のです。
事実を捻じ曲げるって、どういうことかっていうと
たとえば、
「お金が全てじゃない」
って、お金稼げてないのに言っちゃう。
お金は私たちが生きるこの資本主義社会では
いちばん力のあるもの。
お金がないと何もできません。
食べるものも買えない。
着るものも買えない。
暑さ、寒さをしのぐ家も持てない。
綺麗に身体も洗えない。
愛があっても、お金がないと、どうしようもありません。
お金がないと、愛を育むこともできなくないですか?
好きな人がいて、相思相愛になりたくても
明日食べるものに困ってたらそんな余裕なくないですかね
生きるために十分なお金があって
それで満足できたとしても
お金が足りなければ、
経験できないこと、
知ることができないこと、
ありますよね。
全て知ったうえで、お金がすべてじゃない、と言い切れるんじゃないかなって
私は思うんです。
「お金が全てじゃない」
と、言って、
思うように収入が得られず、満足できていない自分
けれど、自分よりもはるかに収入があって、満たされている他人
自分は手に入らない、入っていないモノを
お金のある他人は持っているわけです。
そうすると、その「現実」を真正面から受け止めることをやめ、
正当化して逃げてしまうのがルサンチマンなのです。
お金が全てじゃないもん!
もっと大事なものがあるんだもん!
だからこのままでいいんだもん!!
ここで、人っていうのは
理屈の折り合いをつけるために「善悪」を決めます。
自分(の主張)は「善」
自分が敵わない相手は「悪」
そう決めるのです。
そして、なぜか
「たくさんお金を稼いでるなんて、裏で何か悪いことやってんじゃないの??」
みたいなことまで言い始めてしまう。
これが「事実の捻じ曲げ」。
拗ねちゃっているわけだから、
当然、現実は何ひとつも変わらないわけです。
子供がお母さんに怒られて拗ねていても
「ほんとにもう、」とか言いながら、お母さんが最後に助けてくれるかもしれません。
しかし、残念ながら
現実社会には、誰も助けてくれる人がいない!
いないどころか、
ルサンチマンがルサンチマンを呼び
集団による、事実の捻じ曲げを起こし、
なんとそれが常識になってしまうのです。。!
集団の力ですよ。
このルサンチマン、
なにかを成し遂げたい時には
確実に邪魔になる、激重い足かせ。
自分はルサンチマンに陥っていないか??
ルサンチマン的思考で考えてしまっていないか??
時々、振り返ってみるのって大切です。