山本 真弓です。
今日は少し、私自身の話を綴ってみたいと思います。
なぜ私が
「勇気づけ」や「心の震え」を大切にしているのか…
その原点は、ずっと昔の私の中にありました。
私は小さいころから周りの空気をよく読む子で
「怒られないように」
「迷惑をかけないように」
と、いつもどこか親や大人の顔色をうかがっていて、
「いい子」でいようとするのが無意識の癖になっていた気がします。
理不尽に怒られたり、
命令されたりすることも多く、
「なんで心ってこんなに傷つくんだろう」
「どうしたら傷つかずに過ごせるんだろう」
という風に、ずっと「心」のことを考えていたような気がします。
今日はそんな私の幼少期からを振り返ってみますね。
1976年、石川県生まれ
3人姉弟の長女で、よく小さい子の面倒を見て育つ。
3歳から15歳までピアノを習っていて、
ピアノを弾くのも発表会も大好きだった。
勉強も好きで、進研ゼミを頑張ってた。
特に国語が得意で、読書感想文は毎年入選してた。
(のちに国語教師となる伏線?)
今も、表現すること、文章を書くことが大好き。
1980年代~ 保育園、小学生時代
保育園時代から繊細さんで、敏感で、大の人見知りを発動。
すでに友だちの間の「派閥」を感じていた。
繊細過ぎて困ることはたくさんあって、
救急車や消防車のサイレンが怖くて
毛布にくるまっていて、家族を心配させていた。
非常ベルの音が怖くて、避難訓練をずる休みしたこともある。
小学生時代
好き嫌いが多くて給食に苦労する。
よく昼休みも教室の後ろに残されて
食べるまで解放してもらえなかった…
(この時間めっちゃ嫌だったなぁ…)
「なんで、手って勝手に動くんだろう?」
「パラレルワールドってのがあるらしいよ」
と親友と話しながら下校するような不思議な子だった。
「パラレルワールド」が本当にあるのかを
親友と通学路で検証してみたり(笑)
アイドルが大好きで、
聖子ちゃん、明菜ちゃん、ナンノ、光GENJIなどを
歌いながら下校していた小学生時代。
クラスのリーダー格の子より先に
リコーダーテストで上の級に合格しないように
気を使って、嫌われないようにしていた
気ぃ使いのワタシ…(涙)
当時は昭和の終わりごろで、「バリバリの昭和教育」で育つ。
体罰、強い指導、指示、命令が当たり前の時代。
大人に理不尽に怒られることも多くて、
「私は絶対、子どもを傷つけるような大人にはならない!」
と水面下でよく思ってた。
(大学時代の卒論も「子どもの心の傷」をテーマにした)
小6の担任が、長年あったいじめ問題を解決してくれて、
「私もこんな先生になりたい!」と初めて夢ができた。
(最初は小学校の教師になろうと思っていた)
通知表には毎年
「人一倍感受性が豊か」
と書かれていた小学生時代だった。
1990年代
中学、高校と吹奏楽部で音楽に没頭した
私にとっての青春時代。
フルートに熱中し、
パートリーダーや副部長を兼任。
コンクールで全国大会に行くことに全力をかけていた。
でも毎年県大会金賞止まりで
「もっと努力しなければ!」
と頑張り屋さん根性を発揮する。
中学の顧問が厳しくて、
「妥協するな!」とよく怒られていた。
真面目ないい子ちゃんだったため
「苦労しないとうまくいかない」と
潜在意識にインプットされ、
それ以来、苦労続きの人生に。
(潜在意識を学んで気づいたときにはめっちゃ納得
)
中3のとき、生徒会の新聞委員長になり、
学校新聞を手書きで毎週発行すると
全校生徒に大ヒット(笑)
「新聞が配られると教室が一気に静まり返る」
という謎現象を引き起こす(笑)
物を書くこと、表現することが好きで
これが私の才能だったのだと大人になってから気づく。
こんな感じで
何かと「リーダー業」を引き受けることが多かった子ども時代。
「しっかり者」
「優等生」
というイメージがついていたが
仲のいい人や家族からは
「おっちょこちょい」
「短気」
「よく落ち込む」
とも言われていた。
高校はガリ勉の成果で地元の進学校に合格。
部活が楽しすぎて、青春を謳歌するも
勉強にだんだんついていけなくなる。
センター試験に惨敗して
行きたくない大学に妥協して入学し、
人生で初めての挫折を味わう。
ここからしばらく、私にとっての暗黒時代に突入する。
1995年~大学時代
大学でも筋金入りの人見知りが発動して
新しい友だちがなかなかできず、
2年ほどぼっちで過ごす。
図書館で仏教の本を読んで癒されて、
「仏門に入りたい」と言い出すくらいしんどさMAX。
だんだん大学に行けない日も増え
プチ不登校状態で単位も危なくなるが
今の夫と出会い、励まされながら何とか持ち直す。
当時は「金八先生」ブームで、
かなり影響を受ける。
「教師になる」という夢実現のためだけに
奮起して、教育実習にも行き、
なんとか卒業する。
1999年~講師時代
中学校の臨任講師に採用され、2学期まで勤務する。
「子どもを理解できる教師になる」
「子どもを傷つけない教師になる」
そう思って教師になったものの、
現場では理想と現実のはざまで
たくさん悩み、迷い、涙する日も…

その頃の私。顔が怖い…w
やんちゃな中学生との関わりで心が折れ、
すっかり自信をなくし、
次の1年を無職で勉強に費やす。
その後の講師時代は3つの高校で国語を教える。
結婚もして、教員採用試験を7回受験。

高校教師時代
吹奏楽部の副顧問を務めた高校では
生徒と一緒に演奏するのが楽しくて
「いつか正規の教員になって
生徒を全国大会に連れて行く!」と思ってた。
(けど、採用が支援学校で部活がなく、その夢が消える…)
2005年
ようやく7回目の教員採用試験で合格。
当時は氷河期で、石川県の教員も倍率10倍以上の狭き門。
頑張っても頑張っても
なかなか報われなくてつらかった。
そんな時期を乗り越え
正規の教諭として採用され
特別支援学校高等部に配属される。
初めて接する
障害のある生徒たちの支援の仕方に戸惑う。
今までやってきたことが通用しなくて
早々に自信を失う。
うまくコミュニケーションがとれなくて
厳しい上司にも怒られて
自信を失って
よく車の中で泣きながら帰ってた
当時は「こんなはずじゃなかった!」ってすごく思ってたな~
まさか自分も障害児の親になって
今みたいな活動をしてるなんて
1㎜たりとも思ってなかった時代(笑)
こうなるためにあの時代があったのか…
と後からつながるけど
当時はわからないことだらけで、しんどかった。
2年目に長男が生まれ、
その後、長女も生まれ、
だんだん支援学校にも慣れて
楽しくなってきた7年目に
肢体不自由児の支援学校に異動になる。

その頃の私
ここでも、何もかも初めてで
初めての「医療的ケア児」の生徒さんたちに
どう対応したらいいかわからず、自信をなくす。
2012年
ここで私の人生に大きな転機が訪れる。
異動した年の年末、
次女を妊娠中に早期胎盤剥離が起こり、超緊急帝王切開を受ける。
次女を「重症仮死状態」で出産。
NICUに長期入院することに。
私自身も生死の境をさまよい
「生存率10%」と宣告を受けたが、
奇跡的に後遺症もなく数日で復活。
このときに死生観が変わり、
「勇気づけを学ばずに死ねない!」と
強く感じたことで
「一度死んだのだから、
神様にもらった残りの人生はやりたいことをやろう!」
と固く決意する。
次女は脳性麻痺となり、
人工呼吸器と経管栄養が必要な
肢体不自由児となる。
「なんでうちだけこんな目に遭わなきゃいけないの?」
初めて障害児の親になり、
絶望のドン底に叩き落される。
他のママへの嫉妬がすごくて、
ベビーカーや小さな子どもを見るだけで動悸がするようになる。
(オムツのCMも見られなかった…
)
次女のことを話した相手からは
「育てられる親を選んで生まれてくるんだよ」
「真弓さんは選ばれたんだよ」
「神様は乗り越えられる試練しか与えないよ」
と悪気なく励まされたけど、
その言葉に傷つき、人間不信に。
「どうせ誰にもわかってもらえないんだ」
「あんたたちは選ばれなかったんだから、そんなこと言えるんだ!」
と、世間に対して失望し、孤独を選ぶ。
「つらいよね。しんどいよね。」
「そりゃ、つらいの当たり前だよ」
って共感してほしかったけど
そんな風に言ってくれる人はいなくて、
「障害児ママにこそ心のサポートが必要なのに、
なんでぴったりのものがないん??」
「障害児を生んだ母全員に、もれなく専属のカウンセラーをつけてくれ!」
とよく思っていた。
昔から「心のこと」に興味があったので、
「なんで障害児ママって辛くなるんだろう」
「どうやったらこの辛さがなくなるか、仕組みを教えてほしい」
とも思っていた。
心理カウンセラーさんのブログを読み漁って
手帳にいい言葉を書き写したりしていた。
けど、「障害児ママだからこその心の揺れ」に
ピンポイントで答えてくれる人がいなくて、
「いつか私がそういう人になりたい」
と思っていた。
重症心身障害児の親の会の大会に参加し、
「私の人生、なにか意味があったんですか?」
と年配の親御さんが発言するのを聞いて衝撃を受ける。
「障害児ママにこんなこと言わせちゃいけない!」
と強い想いが湧いてきて、
これをきっかけに
「障害児ママが幸せに生きる方法」を模索し始める。
2014年
当時、長男の子育てでつまづいていたこともあって、
ずっと気になっていた
「勇気づけの子育て」を学びに
石川から東京まで4回通う。
「アドラー心理学」の子育て講座に参加して
「私が求めていたものはこれーー
」
と興奮する

なつかしい…当時響いた言葉
アドラーに出会ったことで
ものの見方が変わり、
次女の障害をだんだん受容できるようになる。
アドラーと潜在意識を学び、
「私もこんな風にママに講座をしてみたい!」
「私もいつか、石川で勇気づけを伝える人になりたい!」
という新たな夢を見つける。

この時の東京行きが人生を変えることに
2015年
次女が2歳で天国に旅立つ。
次女を見送った直後に別の支援学校に異動する。
「次女と同じ肢体不自由児をみるのが辛い」
と思って知的障害児メインの学校を希望するも、
また肢体不自由児の担任に。
「学校って、全然、個人の事情なんて考慮してくれないんだ…」
と落胆し、数か月後に育休に入る。
クラスの子どもたちはかわいくて、癒される。
でもこのころはもう心がボロボロで、
とある生徒との関わりがうまくいかず、心が折れる。
支援学校での教師経験からも、
子どもの支援以上に
親の心のケアが大事だと痛感。
子どもの支援じゃなくて、
「お母さんの支援」がしたいという
気持ちが強くなる。
教師を続けるかどうかの選択に悩み始める。
2016年
ダウン症で重度知的障害の三女を出産。
次女でさんざん「障害児の親」という課題を
クリアしたと思っていたので、
「また!?」という気持ちになる。
(ダウン症の衝撃よりも「また??」の方が大きかった
)
再びドン底に落ちたものの、
今度はアドラーの学びが役立ち、
なんと、障害の告知からたった二日間で受容できてしまう。
それ以来、三女の障害に何も悩まなくなる。
夏頃、エイブラハムの存在を知り、
宇宙の法則や引き寄せに興味を持ち始める。
10月、親友の勧めでブログを始める。
次女と三女の障害児育て経験を綴りつつ
アドラー、潜在意識、宇宙理論を交えて
「子どもの障害をどう乗り越えたか」
について持論を発信し始める。
私がNICUママだったときに欲しかった情報を
自分で書いてあげる感覚で
ほぼ毎日ブログを書き続けるのが楽しかった
(まだ顔も名前も出さずにやってた)
2017年
育休中に「勇気づけ講師」の資格を取ろうと
三女を連れて埼玉に通う。

抱っこ紐で講座を受ける私
ここでイラストの才能が開花して
当時の勇気づけ界隈でちょっとした有名人になる。
晴れて講師となり、ママ友に声をかけて
モニター講座を提供したら大好評。

講座をするのが楽しくて、
「ずっとこれをやって生きていきたい!」
という想いが強くなる。
教師に復帰するかどうか悩んだが
「絶対、こうやって講座をしていたい!」
「お母さんたちを勇気づけたい」
という気持ちに嘘がつけなくなり、
めちゃくちゃ怖かったけど退職を決断。
2018年3月31日に教師を退職し、
4月1日から講師として独立。
同日からブログで顔と名前を出し
プロとして活動スタート。
ずっとブログを読んでくれていた方が
「待ってました!」と言って
最初のお客さんになってくれて、
金沢で3人で「勇気づけ講座」を始動する。

初期メンバーさんと私。まだ固いw
勇気づけの師匠の真似をして
いろいろイベントを企画してみたり
講座を募集してみたりするが、
最初はなかなかお客様が集まらなくて苦戦する。
それでも
「石川で勇気づけを広めるんだ!」
という想いで発信を続け、
たった一人でも、
その時来てくれた方に真剣に向き合うと決める。
「潜在意識×勇気づけ」の講師資格を取り、
潜在意識の子育て講座もスタート。
自作グッズも作って楽しくてたまらない。
その頃お世話になっていたコンサルさんに相談すると、
「障害児ママ向けの講座、そんなに熱い想いがあるならすぐやりましょう!」
と言われ、初めてオリジナルの
「障害児ママのための勇気づけ講座」を作成する。
最初のモニターさんは一人。
アメリカ在住のママで、初めてzoomを導入して
オンライン講座を始めることになる。
「まゆさんの言葉に救われました」と感謝され、
「やってよかった♡」と自信になる。
改良を重ねながら開催し続け、
たくさんの障害児ママから喜んでいただけるようになる。
2018年11月
初めて「障害児ママ」に講演会を開催する。
医療的ケア児の親の会主催で、
過去の自分のようなママたちに
「勇気づけ」を伝えることができたときは
涙が出るほど嬉しかった

参加者さんからも
「癒やされた」「元気が出た」と大好評で
「これこれ、これがやりたかったの~!!」
と、魂が満たされる感覚になる。
リアル障害児ママさんたちに「勇気づけ」を伝える
とある講座に参加して
「傷つきやすかったおかげで、心理学に興味を持つようになった」
「子どもを亡くした経験があるからこそ、同じようなママに伝えられる」
と言われ、ずっと生きづらいと思っていた
「繊細さ」が実は私の強みだったのだと自覚。
たくさんのママたちと講座で出会い、
ママが楽になると子どもが変わることを
何度も目の当たりにする。
特に、
子どもの障害を受け入れられなくて泣いていたママが
「子どもが可愛くて仕方ない」
と言って卒業していくたびに嬉しくて、
「障害児ママにはやっぱり勇気づけが必要」と実感する。
対面やオンラインで講座をしながら
地元の幼稚園や福祉施設で講演会を開催。
「勇気づけ」を地元に広める活動を続ける。
2022年
受講生さんからのリクエストもあり
「障害児ママを勇気づけるリーダー」を育成する
養成講座を立ち上げる。
一時期は「勇気づけ」を封印して
別の事業に挑戦するも、
次第に自分の中で強い違和感を感じ始める。
「私の魂がやりたいことではない」と気づき、
「やっぱり私は勇気づけを伝えたい!」と
自分の「ど真ん中」のこと(講師業)に戻る。
2024年~現在
このころから、大好きな
勇気づけと宇宙理論という原点に立ち返り、
「私がどう在りたいか」
「私の魂が震えることは何か」
をとことん突き詰めるようになる。
人のやり方や一般の成功法則じゃなくて
「私は私の道を進む」と腹をくくり、
「心の震え」をアンテナにして進み始める。
最近は、もっぱら
一人カラオケ
一人日帰り温泉
一人カフェ
カードリーディング
イラスト
講座づくり
note連載
など、「震え」で生きることを実践中

幼少期から今に繋がってるキーワード
「意識」「心」「エネルギー」「宇宙」
アドラーとか宇宙の法則を
日常に落とし込むために
幼いころから繊細さんで生きてきたのかなと思うと
全部合点がいくかも

ちなみに私のMBTIはINFP

(繊細さん)
大勢より一人でいるのが好き
飲み会や騒がしい場所は苦手
そもそも大声やうるさい場所が嫌
気の合う少数の人といるのが心地いい
「大人しい」と言われがちだが、言われたくないw
自分の意見を持っている
好き嫌いが激しい
リーダー気質
みんなでやるより自分で回したい
人の意向を伺う仕事に向いてない
単純作業は苦痛でしかない
自分のペースを乱されるのが嫌
自分の世界観を崩されるのが嫌
心を許した人には手厚い
指示、命令、強制が嫌い
人のエネルギーを感じやすい
クリエイティビティが大事
自由が好き
好きなことには過集中
頑張り屋さん気質
神秘的なことが好き
ざっと思いつく特性書いてみたら長くなった!w
そんなわけで、今回は
私の半生を振り返ってみました。
こうやって書いてみると、
前半はかなり生きづらい人生だったなぁ…
と思いますが
そんな私でもなんとかここまで
やってくることができました。
あのとき、もっとこうしてたら…とか
後悔や反省もいろいろあるのだけど、
それを経ての「今」なのだと信頼しています。
これからも、そんな
ありのままの私を通して
光を分かち合っていけたら嬉しいです

これからもよろしくお願いいたします
