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ハローミャンマー

ミャンマーヤンゴン在住、正田信子がヤンゴンから発信します。

ある日、カイカイとおしゃべりをしてた時のこと。

「私、とっても怖いことがあるの。」とカイカイ。
「なにがそんなに怖いの?」私。
「自分が誰だか分からないこと。 自分を知っている人が誰もいないこと。」

ごく幼い頃に、家族とは生き別れになったカイカイ。 幼い頃の記憶はあるものの、その後血縁との関係は一切なく過ごしてきたカイカイ。
自分の周りに一人も血縁関係のある人はなく、また接触方法も全く途絶えてしまっていることが、とても怖いと言っているのです。

私自身は両親の元で兄弟とともに育ち、親戚も多く、そのような恐怖を全く感じることなく生活してきました。 親には反発し、むしろ親戚付き合いは煩わしいとさえ思っていた時期もありました。 全く身寄りのないことがどれほどの恐怖なのか、想像を絶するものがあります。

そんなカイカイに言葉に、
「私は、カイカイのお父さん、お母さんに感謝してるのよ。 こうしてカイカイと会うことができたから。」 と言ったものの、彼女には的を得た答えにはなっていなかったようです。

反発する親がいたこと、所謂身内と言われる肉親の顔が分かることが、どれほど感謝しなければならないことか。 パンチを受けたような衝撃でした。

彼女のことを理解することは出来なくても、少しでもカイカイが安心して、ハッピーに過ごすことが出来ればと思った日でした。


2008年5月、ミャンマーを襲ったサイクロン「ナルギス」。
新学年の開始を目前にユワティジ村は大きな被害を受けました。 
そしてユワティジ村の就学な困難な子供達に対してのMESOの支援がスタートしました。

その年の6月から、ユワティジ村から支援した第一期生のひとり、スーウェイライン。 将来は先生になりたいとの夢を持った女の子でした。

2008年当時のスーウェイライン、まだまだ幼い女の子。


2010年、無事に高校を卒業。 国家試験も見事に合格。

この年からMESOでは国家試験を優秀な成績で合格した子供達に対し、引き続き大学就学の支援を開始し、彼女はMESOの支援で教育大学に進学しました。


このスーウェイラインが今年6月から故郷ユワティジ村の先生になり、故郷の村に戻り子供達の指導に当たっています。 村の学校で先生として働きながら、通信大学でさらに勉強を続けています。


すっかり大きくなって、素敵な女性になったスーウェイライン。


MESOの支援の成果が、具体的な形で実を結ぶことができ大変嬉しく思います。これからは、先生として村のため、子供達のために活躍してくれることでしょう。


頑張ったスーウェイラインに感謝の気持ちで一杯です。
どうもありがとう!!!



私、カイカイ、チョートゥーそれに犬達という生活も段々と慣れてきたと思った矢先、カイカイから苦情。

「私は、毎日、家の仕事をして、お給料をもらって、自分のものを買っているのに、
チョートゥーは学校に行かせてもらって、さらにプライベートレッスンも受けて、何でも買ってもらって、平等じゃない。 私だって、お父さんはもう亡くなって、お母さんとも小さい時に別れたままずっと働いてきたんです。」

当時カイカイ、19歳。 知り合いの紹介で、住み込みメイドとして雇ったものの、地方出身ということぐらいしか、全く彼女の生い立ちについては知りませんでした。

話を聞いてみると、ごく幼い時に父親はなくなり、どうもその後、女手ひとつでの生活が困難になり、母親は再婚。 その際にカイカイより小さい弟は一緒に連れて行ったものの、彼女はヤンゴンに奉公に出され、それ以来ずっと住み込みで働いてきた子だということが分かりました。

学校に行く機会はなく、奉公先では、同年代の雇い主の子供達が制服を着て学校に行くときに、彼女が後ろから、彼らの荷物を持って学校まで送って行っていたそうです。

そして縁あって私のところで働いていたら、突然に孤児の少年が現れ、張切って面倒をみている私に対して、とても悲しい思いをしていたカイカイの涙ながらの訴えでした。

一緒に暮らしていて、一番身近にいた彼女のそんな生い立ちも知らず、カイカイにチョートゥーの世話をさせたり本当に無神経なことをしてしまったものです。

これからは、カイカイ、チョートゥーそして犬達、家の中で悲しい思いをする人が誰も居ないように、みんなで助け合って、楽しい家族にしましょう。

娘と息子二人のシングルマザー、ミャンマーで新しい家族が出来ました。


11名の大学生、ヤンゴン市内の身寄りのない子供達の生活施設、乳児院を訪問です。

子供達と一緒に作った、素敵なひまわりの花。


普段なかなか、スキンシップの機会が少ない子供達。 お姉さん達の膝に座って大満足。


一緒にボール遊びをしてり、すっかり仲良しになりました。


ミャンマーでの体験、子供達のこと忘れないで下さいね。

直接、見て、感じて、考えたことを大切にして欲しいと思います。


日本の大学生11名が、日本から折り紙をたくさん持って、MESOが支援しているユワティジ村へ。

小学校4年生の子供達30名と楽しい交流を行いました。
折り紙をはじめて手にする子供達も、大学生のみなさんの指導のもと、上手に折れるようになりました。


途中、ミャンマーの伝統的なタナカを子供達がお兄さん、お姉さん達全員に付けてあげて、すっかりミャンマーっ子になった、大学生のみなさん。


最後に、みんなで折った折り紙をハートの形に大きな紙に貼り付けて、素敵な作品が出来上がり、校長先生にプレゼント。


ユワティジ村の学校に飾られます。

子供達、日本からの大学生のみなさん、先生方、みんな一緒に楽しい時を過ごしました。



ミャンマーでは学校に通う子供達、仕事に通勤する人達、ほとんどがお昼のお弁当を持っていきます。 スチールのとてもかわいいお弁当箱。 二段の物もありますが、三段重ねの物がポピュラーです。 


毎朝、カイカイがお弁当を作り、チョートゥーも三段重ねのお弁当箱を持って登校。


そんなある日、
「もっとたくさんご飯やおかずを入れてほしい」との要請。
もともと、小柄であまり食べないチョートゥーには、充分な量を入れて持たせているのに。
「そんなに一人で食べられないでしょ」と聞くと
「お弁当を持ってこられない、友達にあげるから」とのこと。

お昼も食べずに、水を飲んだり、お菓子を食べたりして空腹を紛らわして、学校に通っている育ち盛りの高校生の男の子がいるなんて、考えてもみないことでした。

その友達は地方の出身で、ヤンゴンの僧院に住み込み、朝から僧院の手伝いをしながら、学校に通っていました。

翌日から、一杯に詰めた、お弁当箱を持って、チョートゥーは登校するようになりました。


チョートゥーが学校に通いだし、一安心と思ったところ、ミャンマー人の知人ウーさんから学校だけでなく、各教科のプライベートレッスンとするのがヤンゴンでは一般的との助言。

それも、学校で習っている先生にプライベートでお願いすると良い成績がとれるとのこと。 
「何それ??? 学校の先生が自分の生徒に、放課後に教えてそれでお金を取る訳???」
「そうです。 学校で習っている先生のお願いするのが一番良いです。」

信じられないことでしたが、良く話しを聞いてみると、ミャンマーでは基本的の公立学校しかなく、先生は全員、公務員。 公務員のお給料は少なく、とてもヤンゴンで生活することは出来ません。
そこで先生方はそれぞれ、自分の生徒達にプライベートで教えて副収入を得ているという訳です。

なんともすんなりと納得できる話しではありませんが、ウーさんに事情を聞きに先生のところに行ってもらいました。

得意顔で戻ってきたウーさん、
「チョートゥーのクラス担任の先生と、もう一人の先生に、毎日交代で来て頂くようにお願いしてきました。」
「毎日、放課後に先生が交代で家にいらっしゃるの???」
「そうです。」

訳がわからないまま話はどんどん決まってしまい、かと言ってミャンマーの学校のことは全く分からず、ミャンマー語は出来ない私にはどうしていいのか分からず・・・。

そして、チョートゥーは毎日学校から戻って、着替えをし、しばらくすると先生がいらっしゃり、夕食までプライベートレッスンを受けることになりました。


新学年から私の元から学校へ通うことになったチョートゥー。 新しい生活が始まったのも束の間、外国人の元に子供を預けることは出来ないとの施設の方針で、一旦は施設に・・・色々とありましたが、新学年を迎える前に戻ってくることが出来、予定通り学校に行くことになりました。

まず9年生(高校)への入学手続きをしなくてはなりません。
ミャンマーの高校は、理数系、理数と文系のミックス、文系の3コースあり、それぞれのコースを選びます。 数学、物理、化学など、理数系の学科の教科書は全て英語。

英語が得意でないチョートゥーは文系コースに進学するのが良いだろうとの助言のもと、文系コースのある高校を探したところ、ラッキーにも徒歩で通学できる高校に文系コースがあったので、早速入学手続きをしました。

文系コースは
*英語
*ミャンマー語
*数学
*地理
*歴史
*経済 の6教科です。

制服、教科書、ノート、文房具用品を買いそろえて準備万端。
緑色のロンジーに白いシャツ、ミャンマー全国統一の制服に、それぞれの学校のワッペンを胸に縫い付けます。

6月、新学年スタート。 我が家から新高校生が誕生しました。
新しい先生や友達に恵まれ、一生懸命勉強して、彼の希望である大学に行かれるように。
そんな希望をこめて、チョートゥーを学校に送り出しました。


私の意志とは関係なく、ちょっとした経緯でチョートゥーと一緒に暮らすようになったのは学年末が終わり学校がお休みに入った3月。 
ミャンマーでは6月が新学年のスタートなので、それまでは長期のお休みです。

幼い時から施設で常に大勢の集団生活しかしたことのなかった彼は、周りに友達もいないし、新しい始めての環境。 学校はまだ始まらないし、何をしたら良いのか困った様子。

家といっても、自宅兼オフィス。 9時にはスタッフ達が出勤してきて仕事開始です。 
私も含め、みんなそれぞれに仕事があるので彼をかまっている訳にもいきません。

どうしたものかと思っていたところ、
ほんの数週間前に、これも全く私の意志とは関係なく、我が家に来た仔犬のパール。 新参者のチョートゥーとパール、すっかり仲良しになって一安心でした。

まだ階段の上り下りが出来ないパールに、一段上っては、待って、また一段。 
チョートゥーの指導のもと、パールは階段の上り下りが出来るようになりました。

他の犬達ともすっかり仲良くなったチョートゥー。 この犬達との関係が彼のその後の生活にも大きく影響を与えることになります。



カイカイのお仕事のひとつは、市場での買い物。

渡したお金の中から、肉、野菜などの食品を買いに行きます。
ミャンマーの市場はレシートはないので、帰ってきて、ノートに買ったものの値段を書き残金を戻すことに決めました。

市場から帰ってくると、一生懸命ノートに書いているカイカイ。 渡されたノートを見ると、残金があっていません。 注意して電卓を渡してみたものの、残高が多かったり、少なかったり。

真剣にノートとにらめっこして、指を折りながら数えている姿見て、
「もしかして、この子、計算のしかたが分からないのかも」と思い当たりました。

それから毎晩、カイカイと私の算数教室が始まりました。

カイカイは幼い頃から働きながら逞しく生きてきた子。 
「1,000チャットで300チャットのマンゴがいくつ買える?」と尋ねると、すぐに「3個」と答えます。
「じゃあ300チャットのマンゴは3個だといくら?」と尋ねると、とたんに分からなくなってしまいます。

教育を受ける機会に恵まれなかったカイカイにとって、それまでの生活で計算が必要になるのは買い物の時。 1,000チャットで300チャットのマンゴを1個買ったら、700チャット。もう1個買ったら400チャット、というように、引き算の考え方にはとても優れているのですが、足し算の考え方が苦手でした。 確かに実生活では足し算より、引き算の方が使うことが多いかもしれませんね。

果物や鉛筆の絵を描きながらの、足し算、引き算の算数教室。 二人で楽しみながら、でも真剣にカイカイ頑張りました。 そのうちに電卓を使って、大きい数の計算もちゃんと出来るようになりました。