私たちが、幸せを得るために
どうしても欠かせないものが、二つだけあります。
それは、
〝決断〟と〝判断〟
なぜ、幸せになるために
決断と判断が、必要になるのかというと
シアワセというのは、その人 個人の感覚だからです。
何をしている時、幸せを感じるのか?
何をしてもらっている時、幸せを感じるのか?
その感覚は
一人ひとり違うはずです。
〝わたし〟が幸せだと感じることと
〝あなた〟が幸せだと感じることは
同じではない訳です。
ということは、
〝わたし〟が幸せを得るためには
他の誰でもない
〝わたし〟が〝わたし〟の幸せとは何か? を知っていて
ある程度、決断していないといけない訳です。
私の幸せは、これよ!
というふうに。
この、決断が甘いと
余計なものを引き寄せてしまうコトになります。
たとえば〝わたし〟のことを、好きと言ってくれる彼がいるとします。
彼は〝わたし〟のことを好きと言ってくれるし、必要とも思ってくれている。
だけど…
〝わたし〟はなんだか物足りない。
彼の好意は分かるんだけど、
彼のしてくれることに、心からの喜びを感じていない…。
こういう場合は、
〝わたし〟が〝わたし〟の幸せとは何か?
私自身がよく分かっていないのです。
決断できていないのです。
それから、こういうのはどうでしょうか?
プレゼントを沢山もらえる女性がいるとします。
彼女は、美人で気立てが良く
色んな人からプレゼントをもらいます。
プレゼントをもらえることが、素晴らしいことだと信じているから
喜んだり、嬉しそうに振る舞ったりします。
そうして気がつけば、毎月
沢山のプレゼントを色んな人から貰っているのに
心は、そんなに嬉しくありません。
これは、どうしてでしょうか…?
これも、
自分が自分の幸せとは何か? を
よく分かっていないからです。
〝わたし〟が〝わたし〟のことを
何が好きなのか、
何をしている時幸せを感じるのか、
ある程度〝決断〟できていると
自分にとってのシアワセが何なのか
分かるようになってきます。
それは、ぼんやりと…分かるものだったり
ハッキリ、これが私の幸せだ! と言い切れないものだったり、するかも知れないけれど
何となく方向性として
自分の幸せがどういうものか、分かってくる。
そして、本当に好きなものを手に入れる為に、
幸せの方向へと進むために、
何が必要で
何が不必要なのか
考えるようになっていきます。
そうして磨かれるのが〝判断〟する力です。
自分のシアワセとは何なのか、
きちんと(ぼんやりとでも)理解していて
自分の思うシアワセを得るために
何をすることが必要で、
何をすることが不必要か、
自分で判断する力がある。
決断と判断。
これが出来る人は、間違いなく
シアワセになれる人です。
あるいは、すぐに幸せなれなくても
いずれ幸せを掴む人なのだと思います。
だけどなかには、
自分の好きなことが分からない…
自分のシアワセが何か分からない…
という人も、いるかも知れません。
そーいう人は
嫌だった経験、嫌な思いをした経験が、ヒントになるよ。
「行き止まりになったら、逆側に行け」
という言葉があるんだけど、
これは
〝嫌い〟や〝苦手〟にぶち当たって、行き詰ってしまった人は
その逆側にこそ、
自分の〝好き〟なものがある可能性が高いということ。
だから嫌いや、苦手をたくさん経験した人ほど、強みがある訳で
嫌いや、苦手を経験している人は
その分
自分の〝好き〟がハッキリしているんだ。
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