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艱難期の始まり 第3部A パート49
V.二人の証人と144,000人の働き。(ヨハネの黙示録11:1-14) ロバート・Ⅾ・ルギンビル博士著より
<「予型論」については、「来たる艱難期 黙示録の歴史」第一部を参照下さい>
3.回復のミニストリー:
艱難期には、モーセとエリヤと14万4千人の宣教が効果的に行われるために、
二つの主要な回復の分野に取り組む必要があります:
1)神殿とその儀式が、ユダヤ人の新しい礼拝の焦点として回復される必要があります。
2)多くの同胞の心を、彼らの主であり私たちの主である唯一のメシア、
イエス・キリストに取り戻す必要があります。
その原初の幕屋とそのおきてと儀式を創設し、建設し、制定するための神の道具として、
モーセほど権威のある人物はいないでしょう。
また、イスラエルの歴史上、最も劇的な霊的復興、
それも悪魔崇拝と国家統治を結びつけた異教政府(反キリストとその偽預言者を連想させる)
からの最も厳しい反対にもかかわらず用いられた神の道具として、
エリヤほど優れた人物はいないでしょう。
さらに、この二人の偉大な神の使徒が将来艱難期の前半に
イスラエルの残りの者たちを回復し増やすために働くことは、
聖書にしっかりと記されています。
あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、
わたしのようなひとりの預言者(すなわち、モーセが予型とする主イエス・キリスト)
をあなたのために起されるであろう。
あなたがたは彼に聞き従わなければならない。
これはあなたが集会の日にホレブ(=シナイ)であなたの神、主に求めたことである。
すなわちあなたは『わたしが死ぬことのないようにわたしの神、
主の声を二度とわたしに聞かせないでください。
またこの大いなる火を二度と見させないでください』と言った。
主はわたしに言われた、
『彼らが言ったことは正しい。 わたしは彼らの同胞のうちから、
おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、
わたしの言葉をその口に授けよう。
彼はわたしが命じることを、ことごとく彼らに告げるであろう。
彼がわたしの名によって、わたしの言葉を語るのに、
もしこれに聞き従わない者があるならば、わたしはそれを罰するであろう。
(すなわち、その従わない人はその責任を負わせられる)
(申命記 18章15-19節)
旧約聖書の預言では、私たちの主の対型が予型よりも強調されるため、
(すなわち、モーセではなくメシアが)
エリヤの将来の帰還はより一般的に受け入れられ理解されていますが、
しかし主の先駆者の場合、対型よりも予型の方が
(すなわち、バプテスマのヨハネではなくエリヤが)預言の先頭にあります。[1]
従って、上記の箇所は、神の真の預言者全員に対する一般的な適用を持ちますが、
(続く20-22節参照)
一人の預言者を強調していることから明らかなように、
ここでは、モーセの働きだけが比較に値するほど卓越した方法で、
御言葉を宣べ伝える一人の人物の将来の到来に関係しています。
(ルカ9章8節; ヨハネ1章21節,1章25節,1章45節,6章14節,7章19節;ヘブル3章1-6節を参照)
ですから、これらの聖句の至高の成就は、私たちの救い主の初臨にあります。
(使徒行伝3章22-26節; 7章37節参照)
しかし、この事実はこの節がモーセの帰還に最終的に適用されることを
排除するものではありません。
なぜなら、イスラエルの救いは主の初降臨によって達成されましたが、
現況と預言的背景からすると、真の神への礼拝を復活させるために、
そのような卓越した預言者を依然として必要としているからです。
そして、艱難期の終結を待って再臨しなければならない私たちの主以外には、
モーセ自身以上に「モーセのような」人はいません。
ヨハネ1章25節では、
メシアの先駆者でありエリヤの型であるバプテスマのヨハネに対して、
パリサイ人の弟子たちが
「あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、
なぜバプテスマを授けるのですか」と問いかけて、
予型と対型が結び付いていることがわかります。
この一対の型がイエスの再臨に先行する(すなわちエリヤ)と一般に考えられています。
聖書の中でこの二人が一貫して関連されていることを考えると、
モーセほど二人目の証人にふさわしい候補者はいないでしょう。
あなたがたは、わがしもべモーセの律法、
すなわちわたしがホレブで、イスラエル全体のために、
彼に命じた定めとおきて[の二つ]とを覚えよ。
見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、
わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
そうすれば、父は子らとともに[神に対して]心を入れかえ、
子らは父とともに心を入れかえられるからです。
これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
(英文直訳 口語訳マラキ4章4-6節)
上記の箇所でまず注目すべきは、通常、解釈の上で見落とされがちな事実ですが、
この預言にはモーセもしっかりと登場していることです。
モーセが「定めとおきて」をすべて「覚えておく」ことに関連して
具体的に言及されていることは、再建された神殿で神殿儀式が復活することを予見しています。
実際、「律法を思い出す」ことが先にあって、
その後にエリヤが仲介すると言われている心の回復が続くのです。
これは、神殿の再建と犠牲の復活が、霊的復興(エリヤの専門分野)と
144,000人の宣教に不可欠であり、基本であることを示しています。
ところで、上に引用した二つの箇所では、
シナイ半島は「ホレブ」という別称で呼ばれていますが、
これはヘブル語で「荒廃」を意味します。
この呼び名は、二人の証人が宣教を開始するときに得られるイスラエルの荒涼とした
霊性を思い起こさせ、それに伴って、霊的反応だけでなく、
律法の主な具体的特徴(モーセの専門分野である神殿再建とその儀式の再構築;
出エジプト32-34章も参照)を完全に回復する必要があることを意味しています。
だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、
悔い改めて本心に[神に]立ちかえりなさい。
それは、主のみ前から復興<リバイバル>の時がきて、
あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリスト(メシア)なるイエスを、
神がつかわして下さるためである。
このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、
昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。
モーセは言った、
『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、
ひとりの預言者をお立てになるであろう。
(英文直訳 口語使徒行伝3章19-22節)
上記の文脈で、ペテロが来たるべき預言者に言及したのは、
イエスがモーセの預言を最も直接的に成就したその預言者であることを
同時代の人々に説明するためであったと考えられます。
しかし、このように主の再臨に先立つ将来のリバイバルの文脈において、
(つまり、「リバイバルの時が来るように」、「回復の時まで天に留まるべきイエス」)
モーセが言及されていることは重要であり、
イスラエルの将来のリバイバルと回復の問題が出てくるたびに、
再び私たちの主の対型と切り離せない予型となっているのです。
また上記の箇所には、二人の証人の働きとして、
リバイバル(エリヤに代表される霊的側面)と回復(モーセに代表される目に見える側面)
という二重の焦点があることも示されています。
イエスの再臨の準備の両側面がこのように言及されることは驚くべきことではありません。
なぜなら、神がご自分の民をイエスの再臨のために準備されるのは、
この二人の証人の両方を通してだからです。
すべての預言者と律法とが預言したのは、[バプテスマの]ヨハネの時までである。
そして、もしあなたがたが[これを]受けいれることを望めば、
この人こそ(すなわち、ヨハネ)は、
[将来]きたるべきエリヤ[の予型]なのである。
(マタイ11章13-14節)
答えて言われた、
「確かに、エリヤが[将来]きて、[そのとき]万事を元どおりに改めるであろう。
しかし、あなたがたに言っておく。
エリヤは[また]すでに[真の予型として]きたのだ。
しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼を[ひどく]あしらった。
人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
(マタイ17章11-12節) (マルコ9章12-13節参照)
上記の二つの節で、主は同時代の人々に、
実際のエリヤの到来がまだ先であることを確認しています。
しかし、モーセの真の対型が(すなわち、モーセが語った預言者である主ご自身が)
彼らの間に立っていたように、
真の予型(すなわち、洗礼者ヨハネ)はすでに来ていました。
ヨハネの予型であるエリヤの帰還は、
キリストの予型であるモーセの帰還と伴うことになります。
この点を説明するために、この二重の予型と対型の間のいくつかの類似点について、
ここで少し述べておきましょう。[2]
・二人の証人は、ヨハネと私たちの主イエス・キリストのように、
・ヨハネは「エリヤの霊と力で」(ルカ1章17節)奉仕し、
キリストはモーセのご自分についての証しについて語り
(ヨハネ5章45-46節;ルカ24章44節参照)、
ご自分への<モーセのしたことの>予型性を語りました。(ヨハネ3章14節)
・エリヤの荒野での広範囲な流浪(列王記上17章1-9節)は
ヨハネの荒野での働き(イザヤ40章3-5節)の予型であり、
モーセのシナイ山での40日間(出エジプト24章15-18節)は
イエスの荒野での40日間の試練と神との交わりの予型です。(マタイ4章1-11節)
・エリヤのイゼベルとアハブによる迫害(列王記上19章)は、
ヨハネのヘロデによる迫害とヘロデヤの求めによる処刑(マタイ14章1-12節)
の予型であり、モーセの反抗的な信徒に対する消息不明と再出現は、(出エジプト32章1節)
疑う弟子たちに対するキリストの死と復活の出現の予型です。(ヨハネ20章9節, 20章25節)
・ヨハネもイエスも、二人の証人のように、殉教しました。
(この言葉は、世の罪のために御自身を犠牲にされた私たちの主の
特別な犠牲を表現するのにふさわしくありませんが)
・イエスとモーセは、それぞれ新約と旧約の仲介者であり、人は神を、神は人を表します。
(ガラテヤ3章19-20節; 第一テモテ2章5節; ヘブル8章6節,9章15節,12章24節)
ヨハネとエリヤは、同胞に悔い改めてこれらの契約を守るように呼びかけました。
・モーセだけが主と顔と顔を合わせて話し、(出エジプト33章11節)
キリストだけが父を見ましたが、(ヨハネ1章18節)
ヨハネもエリヤも信仰に迷った時に主ご自身から特別なお言葉を受けました。
[1]簡単に言えば、「予型論」とは、本体や模範(「対型」)を表したり、
説明したり、象徴したりするために、類似の代用品(「予型」)を用いることであり、
例えば、真鍮の祭壇は十字架の予型(十字架を予表し、その意味を説明している)です。
IV.1.d節「旧約聖書の預言における予型論と連続性(シーケンス)」<←「予型論と連続性」に関しては、pg96を参照下さい。
改訂された訳文が掲載されています。
「来たる艱難期 黙示録の歴史」 第一部を本でお持ちの方は
同じくpg.96の「類型論」→「予型論」,「順序」→「連続性」に訂正してください>。
[2] この点に関する詳細は、「来たる艱難期」をご覧ください:
第二部B:「艱難期への天の前奏曲」V「144,000人の宣教の経過」の「144,000人の封印」。
[3] 「悪魔の反乱」 第5部「裁き、回復、置き換え」、II.9.a.2「キリストの十字架刑」参照。
--パート50に続く
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昨日は最高に暑くなったようですね
友人が心配して下さり、メールが送られてきました
わが家は、室温は32度、外は36度になっていたようです
日の当たる窓は雨戸を半分閉めて、直射日光の熱を遮断します
一階も二階も網戸にして窓を開けて
家の中全体に風が回るようにして、扇風機をつけていると
エアコンなしでも大丈夫です
クールネックはかなり効果的で、気持ちが良いですね
長女さんはアイスノンも足元に置いて
シャワー(ほぼ水)の後に体温を下げていました
あちこちのお店では、冷蔵庫の故障とかで
棚に何も商品が入っていなかったりと、ご苦労されているようでした
暑くなると電気器具も故障し易くなるようで
私たちの体調管理も十分気を付けないといけないですね
どうぞ工夫して、この暑さを乗り越えられますように
お祈りしています
夕暮れの向日葵
薄暗くなっても、黄色いお花は道を明るくしてくれるね
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柴犬ちゃん、今日も暑かったね
また来るね
はい、暑かったわん
今日もありがとう~