sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

からの続きです

 

来たる艱難期黙示録の歴史  第3部B: パート35

 

反キリストとその王国   ロバート・D・ルギンビル博士著より

 

V.第一次南方作戦 

 

[復活したローマを征服した後、反キリストは]不意にその州の最も肥えた所に攻め入り、

その父も、その父の父もしなかった事をおこない、

その奪った物、かすめた物および財宝を、人々の中に散らすでしょう。

彼はまた計略をめぐらして、堅固な城(すなわち、南の同盟の三つの下位連合)を攻めるが、

ただし、それは時の至るまでです。

(ダニエル11章24節)   

 

反キリストが復活したローマの七つの王国に権力を確立する

正確な時間軸は与えられていません。

しかし艱難期の前半という時間的枠から、が南の同盟に対して

最初の進攻を行う可能性が高い時期について、十分な判断を下すことができます。

(先の図1参照)

がバビロンで台頭して権力を強化するのに約1年、

復活したローマを確保するのにさらに1年かかるとすると、

それは2028年の秋になります。

中東での軍事作戦で、このように大規模で広範囲な侵略は、

真夏の暑さと嵐が始まる前に主要な戦闘活動を終了しておくことが賢明です。

したがって、この時点から始まり、2029年の夏ごろに終わる6カ月間が、

この最初の作戦に必要な軍の集結、戦場への移動、戦闘行為、成果の整理、

部隊の帰還のための最も可能性の高いシナリオです。

 

のすべての侵攻が、まさにこのような類まれな迅速さによって

特徴づけられていることを考えると、この期間がさほど非現実的短さではありません。

黙示録13章2節の翼を持つヒョウを参照)

この時間枠に、同じ長さの第二次戦闘期間の始まりが翌年と想定すると、

(すなわち、2029年の秋に始まる)

その終了点(すなわち、2030年の夏)が、聖書が預言しているように、

大艱難期の開始と完全に一致します。(特にダニエル11章29〜31節を参照) 

 

 その[四つの]角の一つから、一つの小さい角(すなわち,反キリスト)が出て、

 南に向かい、東に向かい、麗しい地(すなわち,イスラエル)に向かって、

 はなはだしく大きくなり、

 (ダニエル8章9節)   

 

ダニエル8章9節は、

シリアを勢力圏とするセレウコス王国の支配者アンティオコス・エピファネスの台頭を

直接の対象として預言されています。

しかし、これまで見てきたように、旧約聖書の預言の多くは、

近い将来の出来事と遠い将来の出来事の両方に適用されており、

艱難はその主要な適用対象です。

(近い将来の艱難期の比較対象を与えると同時に、

 究極の艱難期についての詳細を提供するためのものです)[1] 

 

また、アンティオコス・エピファネスは、イスラエルに侵入し、

自らを神であると宣言し、(それゆえ「エピファネス<(神の)権化>」と呼ばれる)

神殿を冒涜し、反キリストの将来の行動を予見させるような、

反キリストの特に重要な代表的予型であることを先に見てきました。

 

したがって、上記の聖句には、の軍備拡張の一般的なパターンと

その背景にある動機の両方が読み取れるのです。

反キリストはすでに北方(西方ではバビロン)を支配しているので、

この時点では南方東方イスラエルだけが完全に支配されていないのです。

(彼はイスラエルの世俗的支配者を自分の陣営に入れていますが、

 モーセとエリヤの働きもまだ続いており、絶頂期を迎えているでしょう)

 

ここで言及されている南への拡大は、

ダニエル書第11章の二回に及ぶ侵攻による南方同盟の征服を意味し、

東への拡大は、まだの直接統治下にない世界の残りの四分の一を

徐々に占領し支配することを意味しています。

ハルマゲドンの時には、東方も反キリストの支配下に置かれています。

黙示録16章12-14節; 鉢の審判によって一時的に支配が中断されたことを参照。

 ダニエル11章44節

 

ダニエル8章9節のパターンには、世界支配の戦略だけでなく、

真の神への礼拝を悪魔とその息子である反キリストへの礼拝に置き換え、

それに伴って神の聖なる民であるイスラエルを滅ぼすという、

その主目的も見て取れます。 

 

したがって、南方同盟は、反キリストの世界支配を阻む最後の主要な軍事的障壁となります。

バビロン、復活したローマ、そしての足元にドミノのように倒れる

世界の国々の連合がもたらす経済力、政治力、軍事力の組み合わせは、

艱難期の半ばまでに他のすべての主要な抵抗を取り除くことになります。

 

特に、南方に対する二つの作戦は、その規模、迅速さ、成功によって、

に反対するのではなく、に加わるという時流に乗る気勢が生じ、

不信心な世界全体が一致して

「だれが、この獣に匹敵し得ようか。

 だれが、これと戦うことができようか」と叫ぶようになります。

 (黙示録13章4節) 

 

(3)またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、

 「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。

 あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」

(4)そこでイエスは答えて言われた、

 「人に惑わされないように気をつけなさい。

(5)多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、

 多くの人を惑わすであろう。

(6)また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。

 注意していなさい、あわててはいけない。

 それは起らねばならないが、まだ終りではない。

(7) [その終わりの前に]民は民に、

(すなわち、一般論として、セム系汎国民に対するヤペテ系汎国民)

 国は国に敵対して立ち上がるであろう。

(すなわち、バビロンと復活したローマに対する南方同盟;

 ダニエル11章25-30節11章40節参照)

 またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。

(8)しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。(すなわち、艱難期の前半)

(マタイ24章3-8節) 

 

上記の主の言葉には、艱難期前半の事件の多くは南北の対立についてで、

その深刻さが見て取れます。

(ここで平行して起こる「ききんと地震」は、これまで見てきたように、

 この時代を特徴づける神の警告である「裁きのラッパ」の略称です)

 

この時期に世俗世界の注目を集める「戦争と差し迫った戦争」は、

主が特別に言及するほど重要です。

したがって、この発言の組み合わせから、の連合とマハディの同盟という、

地球上で最も重要な二つの「国」「王国」の間の戦いの規模が巨大になることを

読み取ることができます。 

 

 (=北の王、反キリストはその勢力と勇気とを奮い起し、

 大軍を率いて南の王を攻めます。

 南の王もまたみずから奮い、

 はなはだ大いなる強力な軍勢をもって戦います。

(ダニエル11章25節前半

 

戦争の歴史の中で、二つの連合が特定の対決のために、

これほど例外的で比較にならないほど強力な軍隊を動員することは稀です。

1914年8月<に勃発した第一次世界大戦>

この預言とおおまかに類似しているかもしれませんが、

動員された人数、距離、利用可能な火力、紛争の動機となるイデオロギー的熱狂、

そして全体的規模(すなわち、世界のほぼ二つの象限がこの巨大な闘いに従事していること)

から見て、この戦闘は、後に続く戦闘

(すなわち、ダニエル11章29-30節11章40-43節の第二作戦とハルマゲドン作戦)

以外に凌ぐものはないと予想されます。 

 

これらの戦闘に関連する他のすべての問題に加えて、

両陣営は、これまで見てきたように、

艱難期前半<3年半>の後半全期間中に行われるラッパの裁きと遭遇することになります。

政治的な面では、反キリストが偽メシアとして、

これらの裁きのラッパを、世界がイスラエルを支持しなかったことに対する神の不興として

(もちろん、彼自身もイスラエルの最終的な破壊を念頭に置いていますが)

不信者に「演出」し、彼の「聖戦」に人々の感情を揺さぶり、

正当性を与えることは少なくとも予想可能です。

 

自分の神を知る人々は、この間違った解釈に惑わされることはなく、

モーセとエリヤが144,000人と共に、真実を受け止めようとするすべての人々のために、

真実を明らかにすることを確信することができます。

実際面では、ラッパの審判の出来事は明らかに日常生活全般を混乱させ、

軍事作戦はなおさらでしょう。 

 

以下の図は、二つの戦闘と神の裁きの警告のタイムラインを比較したもので、

裁きのラッパの第三と第四が最初の戦闘と、

裁きのラッパの第六が二回目の戦闘と一致することを示しています。 

<図表:裁きのラッパと南方同盟との二度の戦闘> 

 

--パート36に続く 

 


[1] このシリーズのパート1、IV.1.b.「「主の日」パラダイム」を参照 

 

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お米が高くなってきたなぁ・・・とお財布と相談していた時に

何だか、祈りの答えの宅配便が連日届いて・・・

昨日、兄からお米と一緒に、畑で採れたオクラとナスとピーマンとさつま芋が入っていました

姉からもお米とお野菜とお菓子がいろいろ届きました

秋の恵みに、兄姉の心遣いに

感謝しますハート

 

今年はカボチャもイトウリもピーナッツカボチャをまだ食べていなかったので

嬉しいです

薄緑のサシミウリは生で食べられるそうですが、初めてなのでどんな味か楽しみ音符

ありがとう~飛び出すハート

                               4種のかぼちゃ

 

 

リンゴりんごも、クッキー焼き菓子も美味しかったよピンク音符

 

しおりに素敵なメッセージが書いてあったので紹介しますね

 

風が渡る丘に立っている

りんごの樹

遠く浅間山の姿を見つめながら

いつかあの山の向こうへ行ってみたいと思っています

 

りんごの樹は春も夏も秋も冬も

丘の上に立っています

春になると動物たちがやってきて

長い冬の間に考えた事や

秋に旅したことを話してくれます

 

りんごの樹はそのお話のお礼に

枝に揺れる真っ赤な実をみんなにごちそうするのです

楽しい森のおやつの時間は

こうして始まります

 

あなたもウサギやリスやクマたちの仲間になって

長野の森のお茶会にいらっしゃいませ

 

リンゴ*:..。o○☆゚・:,。*o○☆:..。o○☆*リンゴ

 

 

 

 

 

涼しくなったので、久しぶりに昼間のウォーキングに音符

子供たちは運動会の練習しているのかな・・・元気いっぱいだね音譜

 

 

秋は運動するのに気持ちがいいね音符

 

 

 

 

夜は少し肌寒くなっているから、

風邪ひかないように気を付けようねウインク

今日もありがとう~ラブラブ

3年前の記事です

(抜粋)

~友人からのメール~

 

今日は、ひとしずくの何年も前の過去のものから分け合います。

私達が地上のことを考える時、主の思いを取り入れ、主に祝福される決断ができますように。

地上のことに関しても主の思いを常に思うのを主が助けて下さいますように。

 

「地を継ぐ者たち」

 あるお金持ちが亡くなりましたが、その人には後継ぎがいませんでした。

 そこで、遺された財産がオークション(競売)に出されたのでした。

 その中に、幼くして亡くなったお金持ちの息子の肖像画がありました。

 その肖像画は、彼がとても大切にしていたものでしたが、

 オークションに集まった人々は、その絵には何の関心も示しませんでした。

 しかし、たった一人、そのお金持ちの息子の肖像画に値をつけた人がいました。

  それは、みすぼらしい服を着た老婦人でした。

 彼女は、昔、その男の子の乳母で、その子をとても愛していた人だったのです。

 彼女はそれを買い、大切に持って帰りました。

 そして、その絵を眺めていて、ふと額の後ろの台紙の所にふくらみがあるのに気づきました。

 そこで切り込み を入れてみると、中から封筒が出てきました。

 それは亡くなったお金持ちの書いた遺書でした。

 そしてそこには、愛する息子のことを、今なお心に覚え、

 懐かしむ者に自分の財産を譲りたい、

 ということがはっきりと書かれていたのでした。


領土を巡る争い、また遺産を巡る争いなどが、この地上では絶えません。

神様は、そうした状態をご覧になって、どう思っておられるかと思った時、

この話を思い出しました。

そしてもう一つ、次の聖書の箇所が思い浮かびました。

 さて、ふたりの遊女が王のところにきて、王の前に立った。
 ひとりの女は言った、

 「ああ、わが主よ、この女とわたしとはひとつの家に住んでいますが、

 わたしはこの女と一緒に家にいる時、子を産みました。

 ところがわたしの産んだ後、三日目にこの女もまた子を産みました。

 そしてわたしたちは一緒にいましたが、

 家にはほかにだれもわたしたちと共にいた者はなく、

 ただわたしたちふたりだけでした。

 ところがこの女は自分の子の上に伏したので、夜のうちにその子は死にました。

 彼女は夜中に起きて、はしための眠っている間に、

 わたしの子をわたしのかたわらから取って、

 自分のふところに寝かせ、自分の死んだ子をわたしのふところに寝かせました。

 わたしは朝、子に乳を飲ませようとして起きて見ると死んでいました。

 しかし朝になってよく見ると、それは わたしが産んだ子ではありませんでした」。

 

 ほかの女は言った、

 「いいえ、生きているのがわたしの子です。死んだのはあなたの子です」。

 初めの女は言った、

 「いいえ、死んだのがあなたの子です。生きているのはわたしの子です」。

 彼らはこのように王の前に言い合った。

 

 この時、王は言った、

 「ひとりは『この生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子だ』

 と言い、

 またひとりは『いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのはわたしの子だ』と言う」

 

 そこで王は「刀を持ってきなさい」と言ったので、刀を王の前に持ってきた。
 王は言った、

 「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」

 すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、

 王に言った、

 「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。

  決してそれを殺さないでください」。

 しかしほかのひとりは言った、

 「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。

 すると王は答えて言った、

 「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。

  彼女はその母なのだ」。

(列王記上3:16-27)

 

 

人は、自分の権利を主張します。

そして、時には権力と暴力を振るってまでも、自分の欲しいものを手に入れようとするのです。

しかし、神様はそれを誰に与えたいと思っておられるのでしょう?

それは、自分の利益のために権利を主張して譲らない人にではなく、

柔和で真に愛をもっている人に、

神様はその多くを任せたいと思っておられるのではないかと思います

 

考えてみると、私たちには、それら全ての造り主であり、

持ち主である神様の御前で、当然、自分のものだと主張できるものが、

何か一つでもあるでしょうか?

土地や物に限らず、自分の妻や夫、子供さえも、自分のものではなく、主のものです。

そしてさらには、この自分さえもが主のものなのです。

それがわかっていないから、自分の権利の主張をし、

果ては相争うことにまで発展してしまうのではないでしょうか?


 「あなたがたは、むさぼるが得られない。

 そこで人殺しをする。

 熱望するが手に入れることができない。

 そこで争い戦う。

 あなたがたは、求めないから得られないのだ。

 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。

 不貞のやからよ。

 世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。

 おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。

 それとも、『神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる』

 聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。

 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。

 であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」

(ヤコブ4:2-6)

 

イエス様は、私たちがどうあるべきであるか、

また地を受け継ぐ者とはどのような者であるかを教えられました。

 

 

 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、

 『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、

 また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。

 

   あなたがたの間ではそうであってはならない。

 かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、

   仕える人となり、

 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、

   僕(しもべ)とならねばならない。

 

 それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、

 仕えるためであり、

 また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、

 ちょうど同じである』。

(マタイ20:25-28)


 「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」

(マタイ5:5)

しかし、これが完全に実現するのは、すぐに来るべき次の世界においてです。

モーセはあらゆる人にまさって、柔和な人でしたが、

彼は、約束の地に入ることはできませんでした。

つまりこの世の地を受け継ぐことはできなかったのです。

しかし、彼の報酬は天国に蓄えられていました。

モーセはこの地を受け継ぐことより、

さらに素晴らしい天のふるさとを望んでいたのです。

 

私たちの受け継ぐ地も、この地上にはありません。

したがって、この地上での一時の利益のために、

受け継ぐ地でないものに執着したり、奪い合い、戦争をするのは愚かなことだと思います。

どうか、主が憐れな私たちを、助け導いてくださいますように。

 


 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。

(民数記12:3) 

 

 そして主は彼に言われた、

 「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、

 これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。

 わたしはこれをあなたの目に見せるが、

  あなたはそこへ渡って行くことはできない」。

 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。

(申命記34:4-5)

 

                         (ひとしずく948より)

(抜粋おわり)

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この世に失望してもきりがない

新しい日々があるよ

神様が約束していることを信じるのは

逃避じゃないよ

それこそ現実だ

 

「彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。

 だから神は、彼らの神と呼ばれても、

それを恥とはされなかった。

 事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」

(ヘブル11:16)

 

 

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

            コスモス*:..。o○☆゚・:,。**:..。o○☆゚・:,。*コスモス

 

 

 

足元の地面に近いところから

ムクゲの花が顔を覗かせて空を仰いでいたよ乙女のトキメキ

 

 

ヒルガオも生垣の間から顔を覗かせていたよ乙女のトキメキ

 

 

ハナニガナも足元で可愛く咲いているよキラキラ

*:..。o○☆゚・:,。*

 

今日は新潟の兄からと長野の姉から新米が届きましたおにぎり

ありがとう~飛び出すハート

 

栗と新米で、美味しく栗ご飯が炊けました割り箸

美味しかったです音符

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

とらちゃんのお目目も、くりくりして可愛いねハート

また来るねバイバイ

今日もありがとう~ラブラブ

4年前の記事です

(抜粋)

右差しパート②からの続き

~友人からのメール~

 

休むことの益 パート3

 

しばらく休むが良い

 

昨日、脚の腱を切って手術をした息子(長男)のお見舞いに行ってきました。

ちょうど体のあちこちに取り付けられていた管が外されたところで、

彼は車椅子で廊下を移動中でした。

手術後の二日間は体を固定するため、ベルトで締め付けられていたそうです。

私たちは談話室に行き、そこでゆっくり話をすることができました。

そこで息子はこんなことを分け合ってくれました。

 

 「これは僕にとって良いことだったんだ。

 人は皆、時々現場から離れて静まる時が必要だから」

 

 彼は四人の子供を抱え、仕事は学校で英語の教師をしています。
家庭でも仕事でも、いつも子供たちに囲まれた生活をしているので、

恐らく彼の生活には、こんなふうに怪我をしたり病気になったりしない限り、

一人で静まり休まる時間もあまり取れないのではないかと思います。

 

私は今ちょうど、「パーソナル・リトリート」という主題についての資料を

読んでいたところで、その中から思い出した次の箇所を、息子に分け合いました。

 

リトリート(現状から退くの意)を勧めているある教師が、

そのために必要な三つの事をするよう、言っています。

 

 * よく休息すること

 

  よく聴くこと

 

   何もしようとしないこと

 

私たちは忙しくしている事に、あまりにも慣れすぎているところがあると思います。

神様はこんな自分をどう見ておられるかなど、気にしたり考えたりすることもなく、

また神に導きを求めることさえせずに、慌しい日常に流されているのです。

この現代社会の中で、今、目の前にある林の一本一本の木から少し離れて、

森全体を眺めるという余裕はなかなか持てないのが現状でしょう。

 

神様はこのような私たちに同情し、私たちが日常生活からしばし離れ、

静かに神との対話をできるような時間を与えたいと思われているのだと思います。

そして私たちが自分の背負っている重荷を下ろし、神様に委ね、

もっと神様の視点から物事を見るよう教えようとしておられるのではないでしょうか。

 

少し痛い経験ですが、神様は確かに息子を愛していてくださり、

今、御自分の胸に抱き寄せて、優しく語りかけてくださっているのだと思います。

感謝です。

 

息子が生活のことを心配せず、今は、

「しばらく休むがよい」と言っておられる主の御腕の内に、

ゆっくり安らぐ事ができるよう祈りたいと思います。

 

 

 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、

 たましいの父は、わたしたちの益のため、

 そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

 

 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、

 むしろ悲しいものと思われる。

 しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、

 平安な義の実を結ばせるようになる。

(ヘブル12章10、11節)

 

 

 するとイエスは彼らに言われた、

 「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」

 それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

(マルコ6章31節)

 

(「静けさのうちに」より)

 

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夕べは寒くて毛布を出して寝ました

今朝も20度なので長袖を着ています

急に寒くなりましたね

 

昨日は兄から山で採った栗を送ってもらいました(生前父が植えた栗の木)

ありがとう~飛び出すハート

あまりにも立派なので「わざわざ買ってくれたの?」と聞くと

「猪と競争してやっとの思いで採ってきたんだぞ!」

山の生き物も冬に入る前にたくさん食べて脂肪を蓄えていかないと

寒さを乗り越えることが出来ないから、必死ですよね

味わって頂きます

 

毎年栗の皮むきは大変な思いをするので、長女さんが簡単に剥ける方法を調べてくれました

栗を一時間~半日ほど水に浸けてから、一晩冷凍して、それから熱湯に5分ほど浸けてから

取り出し栗の尖っていない頭の方に切れ目を入れると、手で皮を剥ける

薄皮のついた栗を又湯につけて順々に薄皮を剥いて行くと

今までの三分の一の時間で薄皮も剥けましたOK

まずは栗ご飯にして、

残りはマロングラッセのように甘く煮こんでおやつにしましょうチョコカップケーキ

シュークリームの中に詰めて食べるとモンブランのような美味しさ(^^♪

お裾分けに大家さんにもっていきました

秋の恵みに

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*

 

(2016年ももちゃん)

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ホトトギス、4年前も綺麗に咲いてくれていたけど、

今年もたくさん咲いてくれますよ~

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

ヤブラン

 

 

 

トレニア

 

 

 

ハツユキソウ(初雪草)

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

シロちゃん、門の前で

飼い主さんが帰って来るのを、お出迎えかなはてなマーク

また来るねバイバイ

今日もありがとう~ラブラブ