(ひとしずく・㊽V.艱難期の始まり 第3部A)‐二本の柱‐ | sarah‐mercy

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艱難期の始まり 第3部A パート48

 

V.二人の証人と144,000人の働き。(ヨハネの黙示録11:1-14)                                                                               ロバート・Ⅾ・ルギンビル博士著より

 

2.二本の柱:

 最初の神殿の玄関ポーチに、ソロモンは北側と南側に、

二本の巨大な青銅の柱を据えました。

これらの柱は、神殿の敷居を囲む二本の巨大な守護者のようで、

ゼカリヤのオリーブの木と燭台の幻の預言を聞いた人は間違いなく、

特に破壊される前の最初の神殿を見たことがある人であれば、

それが心に刻まれていたことでしょう。

エズラ3章12節ハガイ2章3節ゼカリヤ4章10節を参照)

いずれにしても、柱はもともと建築的に木を表現したもので、燭台も同じでした。

(すなわち、「花のような杯、つぼみ、花、枝」;出エジプト記25章31-32節を参照)

 

さらに、聖なる場所にあった燭台がこの二つの柱から遠く離れていなかったこと

(そして、燭台も木を象徴するように設計されていたこと:

出エジプト記25章31-40節,37章17-24節を考えると、

一方では柱と、他方ではゼカリヤの幻における燭台とその二本のオリーブの木との関連性は、

無視できないものであることがわかります。

ゼカリヤ4章14節黙示録11章4節で使われている「地の主の前に立っている者」

いうユニークで比類のない言葉の言い回しは、

まさに柱のように恒久的で安定した位置を示唆していることを、

この図式に加えてもよいでしょう。 

 

神殿の他のすべてのものは象徴的で預言的な意味を持ち、

(2B「天の神殿の型としての地上の幕屋と神殿」参照)

燭台そのものは、私たちが見たように、主イエス・キリストの型です。[1]

 

したがって、ソロモンがこの二つの柱を名付けたことは、

預言的であると十分に考えられます。

さらに、黙示録3章12節は、神殿の柱を個々の信者に結びつけるための

密接な類似性を提供しています。

「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。

 彼は決して二度と外へ出ることはない」。

 

私たち信者は、この二本の柱が永遠に「主の前に立つ」ように、復活の時には、

キリストのからだに不可欠な、取り外すことのできない部分となるのです。

このような預言的、象徴的な目的がなければ、

ソロモンがこの二つの無生物の青銅の柱に名前を付けたことは、

少なくとも不可解なことであったでしょう。

この二本の柱を、先に述べた他の二組の柱と結びつければ、

(これらの柱はすべて同じ二人の個人を指していることはすでに指摘しました)

ソロモンの神殿の入り口にある柱の名前も重要であることがわかります。 

 

ヘブル語で柱を意味する「アムド」(עמוד、すなわち「立っているもの」は、

ゼカリヤ4章14節「主のそばに立っている」油を注ぐオリーブの木に使われている動詞と

ほとんど区別がつかないので、これらの柱と二人の証人のつながりは

より確かなものになります。

二人の証人、油注ぎの者、二つの燭台、二本のオリーブの木が、

すべて「地の主のそばに/前に(柱のようにしっかりと)立つ」ように、

この二つの柱は、第一神殿の(燭台があった)入り口の両側にしっかりと立っていました。

 

北側にあるものはボアズと名付けられ、南側にあるものはヤキンと名付けられました。

列王記上7章21節

ヤキンとは「彼(=主)が確立する」と訳され、

ボアズとは「彼における強さ」を意味します。

この二つの名前は、二人の証人モーセとエリヤの経歴をそれぞれ要約したものです。

ヤキンが先に、ボアズが後に建てられ、

(ちょうどモーセの最初の地上での働きがエリヤのそれに先行したように)

ヤキンは南に第一位の名誉を受け、

(すなわち、神殿が東を向き、箱や戦車の玉座がその方向を向いていたので「右手」)

ボアズは北に、第二位の名誉に立つのです。

 

同様に、エリヤの働きはあらゆる点で優れていましたが、

モーセの働きはより優れていました。

(パウロはモーセの働きをヘブル3章における私たちの主の働きのそれと

 最もよく似たものとして用いている)

この二人の働きは、結局のところ、やや異なる目的をもっていました。

モーセは律法の仲介を通して、イスラエルの霊的基盤を効果的に「確立」するための

主の道具であり「確立する」

一方エリヤは霊的復興「彼における新たな力」のための

主からの重要な備えを司りました。[2]

 

神の視点から見れば、歴史は常に、真理の最初の確立と真理への回復という

これらの二つの柱によって支えられ、両柱は常に真実である方、

「全世界の主」となった我々の主、救い主イエスキリストを見ているのです。

 

この二人の証人は、主の右手と左手に、青銅の柱のように堅固に立っているのです。

主の側で直接仕えることは、明らかに卓越した名誉です。

ヤコブとヨハネの母親が、息子たちのためにこの特権を求めたとき、

主はこう答えられました。

「これらの場所は、備えられた者のものである」

マルコ10章40節ルカ14章8-11節を参照)

 

なぜなら、私たちの主の十二使徒は確かにユニークな地位を占めますが、

「イスラエルの十二部族をさばく」、すなわち、神の家族の十二部族の長になること:

マタイ19章28節ルカ22章30節たちの主の十二使徒は、

そのような地位にはありません。

この最も名誉ある栄誉は、モーセエリヤに与えられます。

親愛なる主の近くに永遠にいられることは、実に特別で崇高な報酬であり、

この二人の場合は、一度だけでなく二度にわたって地上での優れた奉仕によって

獲得されるのです。 

 

 しかし、わたしは神の家にある緑のオリブの木のようだ。

 わたしは世々かぎりなく神のいつくしみを頼む。

(詩篇 52篇8節) 

 


[1] 「来たる艱難期」 第2部B:「苦難への天の前奏曲」、第I.2.b「金の燭台」、および「サタンの反乱」第1部「サタンの反逆と堕落」II.5.b「幕屋の図解」参照。 

[2] ゼカリヤ4章14節で使われているヘブル語の前置詞'al(עළ)は、

「全地の主のために立つ者」、つまり、キリストの代理者、証人、先駆者、

前触れとして表現することもできます。

つまり、モーセとエリヤはそれぞれ、キリストの王権ミカ6章4節参照)と

大祭司職ヤコブ5章17-18節を象徴的に表していると理解することができます。 

 

--パート49に続く下差し

 

 

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長女さんが作ってくれた笹寿司

 

 

(2020年7月7日ももちゃん)     ももちゃんより大きなスイカだったねスイカ

 

 

 

夕暮れから夜にかけてのウォーキングに切り替えると

空の様子も変化があるね

毎年七夕の頃になると、ヒグラシの鳴き声も聴こえています

庭では、今年初のミョウガも二つだけ収穫!

 

昨日は夏の夕立のように、雷と雨が短時間の内に降ってきて

洗濯物が濡れたお宅もあったみたい

三男さんも丁度帰宅途中でずぶ濡れにアセアセ

大変でしたね

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あらはてなマーク 何だか、わんちゃんの横顔に見えてきたよわんわん

雲って面白いね音譜音譜

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買物途中で・・・

あれはてなマーク  カシワバアジサイの下に何かいるよ・・・

 

 

 

 

シロちゃんだったのねビックリマーク

ステキな隠れ場を見つけたのね音譜  また来るねバイバイ

今日もありがとう~ラブラブ