からの続きです
艱難期の始まり 第3部A パート37
Ⅲ.裁きのラッパ:(ヨハネの黙示録8章6節-9章21節 )
[4b. 三つの災い(8章13節)]
黙示録8章13節
また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空を飛び、
大きな声でこう言うのを聞いた、
「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。
なお[残りの]三人の御使が[それぞれの]ラッパを吹き鳴らそうとしている」。
(黙示録 8章13節)
ここで述べられた厳粛な警告は、それが予告している悲惨な結果とともに、
次の三つの裁きを、それ以前の四つの裁きと区別し、強調する役割を果たしています。
鷲は猛禽類であると同時に腐肉を食べる鳥でもあるので、
差し迫った攻撃と敗北による致命的な結果を示す自然なシンボルです。
ですから、上空から大声で呼びかける鷲は、
まず神の怒りと裁きの一般的な前触れであることが、
ホセアの次の箇所からはっきりわかります。
(参照:エレミヤ48章40節; エゼキエル17章1-24節; ハバクク1章8節)
(警告の印として)角笛を[吹くために]口に当てよ。
鷲のように敵は(迫り来る裁きのしるしとして)【主】の宮を襲う。
彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。
彼らは、わたしに向かって、
「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、
イスラエルは善を拒んだ。
敵は、彼らに追い迫っている。
(新改訳Ⅲ ホセア書8章1-3節)
第二に、鷲の顔をしたケルブの(黙示録4章7節; エゼキエル1章10節, 10章14節)
研究で見たように、鷲はまた、間もなく来られるメシアの具体的な象徴で、
メシアがすべての敵に裁きを下し、再臨の時に御国を得るために来られるとき、
同様に中天に現れ、誰の目にも見えるようになります。
(黙示録1章7節; 詩篇110篇参照; マタイ24章28節; ルカ17章37節)
荘厳で畏怖の念を抱かせるようなイメージであり、
(申命記28章49節; エレミヤ48章40節, 49章22節; エゼキエル17章3節, 17章7節;
鷲は、キリストの壮大で畏敬の念を抱かせる二重の勝利の象徴です。
最初は十字架で(それに伴う復活、昇天、父の右の座に着かれ)、
そして最終的にはここで言及されている再臨です。(マタイ24章28節;ルカ17章37節)
「災い」という言葉の繰り返しによる複数の災いの知らせの告知は、
聖書の中で前例がありません。
(上記のII.2.a節でマタイ23章13-39節のイエスの七つの災いを扱った時に見たように;
イザヤ5章8-30節, 10章1-19節; ゼカリヤ11章17節 も参照してください)
これらの聖句に共通しているのは、「災い」という言葉が、(信者の場合)神を捨てたり、
(不信者の場合)神に逆らったりすることによって起こる神罰を予見しているということです。つまり、聖書における「災い」の霊感的使用は、
一般的に神の怒りの対象への差し迫った裁きの宣言のために取っておかれています。
(そしてそれは、「災い」が繰り返される場合、常にそうです)
ですから、これらの恐ろしい裁きについて
信者が最初に心に留めておかなければならないことは、これらの悲惨な結果は、
イエスに忠実であり続けている人ではなく、
不信仰者と背教者に向けられたものであるということです。
最後の三つのラッパのさばきの影響は、
これまでの四つのさばきよりもさらに悲惨なものとなりますが、
私たちの神の明白な助言と予知がなければ、
イエス・キリストを信じる者の頭の毛一本も地に落ちることはありません。
(ルカ21章18節)
特に、第五と第六のラッパの裁きは悪魔によって行われ、
未信者にしか影響を及ぼしません。
大艱難と同義である第七のラッパの裁きの間にも、(黙示録12章12節参照)
信者は神の世界に対する裁きから完全に保護され続けます。
(最も顕著なのは、キリストの勝利の帰還を含む七つの鉢の裁きです)。
これは彼らの言葉と行いとが主にそむき、その栄光の目をおかしたので、
エルサレムはつまずき、ユダは倒れたからである。
彼らの不公平は彼らにむかって不利なあかしをし、
ソドムのようにその罪をあらわして隠さない。
わざわいなるかな、彼らはみずから悪の報いをうけた。
正しい人に言え、彼らはさいわいであると。
彼らはその行いの実を食べるからである。
悪しき者はわざわいだ、彼は災をうける。
その手のなした事が彼に報いられるからである。
(イザヤ書 3章8-11節)
これは、すでに強調したように、このような理由で、
信者が艱難の間、楽な時を過ごすことができると言っているのではありません
--そうではありません。
艱難期には、人間の生活や社会があらゆる面で大きく変化するため、
神に選ばれた民には大きなプレッシャーがかかります。
本シリーズの第一部で見てきたように、「艱難期」という名の背景には、
実にこのような意味があるのです。
さらに、大艱難期の間、イエス・キリストの真の教会に対する世界的な迫害は、
世界の歴史の中で一度も起こったことがなく、その後も起こることはないでしょう。
しかし、たとえ私たちが疎外、軽蔑、迫害、投獄、さらには殉教に遭うとしても、
(その時に生きている多くの人は間違いなくそうなるでしょう)
これらのことはどれも神から私たちに敵対するものではないという事実を慰めとするために、
前もって自分自身を訓練しなければなりません。
むしろ、神の栄光のために私たちを用い、神の名によって召された者たち、
すなわち、たとえ命を失うことになっても、
神のために証しをするために自分の命を小羊に捧げる者たちの信仰と誠実さを、
人や天使たちなど世のすべての者に示すよう、神のために用いるのです。
ここに、[しかし、獣の刻印を受けて拝む者たちとは対照的に]神の戒めを守り、
(刻印を受けたり獣を拝んだりすることを拒否して)
イエスを信じる信仰を(たとえ、命をかけても)持ちつづける聖徒の忍耐がある」。
(黙示録14章12節)
--パート38に続く
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また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。
しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。
あなたがたは耐え忍ぶことによって、
自分の魂をかち取るであろう。
(ルカ21:17-19)
感謝します
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最近、朝方になると、山鳩の鳴き声で目が覚めます
なんとも優しい響きなので、とても好きです
「一羽の雀さえ、主は守りたもう」の御言葉が
聴こえてくるようでした
今日は、昨日より少しだけ気温が下がるようですが
みなさんの体調も守られますように
お祈りしています
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長女さんが作ってくれました
美味しかったよ
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出逢遅れて咲いてくれた紫陽花 初々しい
ギボウシ
ヤマボウシ ビヨウヤナギ
ロジャー君、完全に寝てる
辿り着いたお顔
眠いのに来てくれたのね~
ありがとう~
また来るね
今日もありがとう~