”(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス2パート23)<どう生きるのか>恐れるな・癒し” | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

(転載)

右差し(ひとしずく・リトリート クラス2 パート22)<どう生きるのか>

からの続きです

 

黙示録シリーズ クラス2 パート23

 

<どう生きるのか>恐れるな

 

今日のクラスのテーマの一つ、

それは私たちがこの人生をどう生きるのかということです。

もう時は短いという認識と共に、私たちがどういう生き方をして行くのか、

時を生かして用いるとはどういうことか、

そして、そういう中でどう他の人たちと関係を持って行くかということです。

第二ペテロ1章19節を読みましょう。

 

 こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。

 あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、

 この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、

 それに目をとめているがよい。

(第二ペテロ1章19節)

 

黙示録はこの世の終末とその後に来る新しい世界についての預言が書かれた

貴重なものですが、敬遠される一つの理由というのが、

患難について書かれているからではないかと思います。

怖いから読みたくない、と。

しかし、私たちがそれに対してどういう見方をするかによって、

これから終わりに向かって行く中での生き方が変わってくるのだと思います。

 

私たちは昆虫や動物とは違います。

ただ、光のほうに行くとか、湿気に群がるとか、怖いもの嫌なものから咄嗟に逃げるとか、

そういう存在ではありません。

もちろん、真にイエス様につながっていないと、

クリスチャンという者もそういう肉的な行動をとってしまうことがあると思いますが、

私たちは目に見えるもの、感じるもの、

また外部からの圧力によって右往左往されるのではなくて、

真理の言葉によって判断し従って行く者でありたいですね。

そして、御霊の導きに従い、主のおきての内を歩いて行きたいと思います

そうであるなら、艱難にあっても圧力の下でも、

肉によって歩む人とは違った行動に導かれるわけです。

そして、神様はそれを助けて下さいます。

 

前にも少し触れましたが、七つの封印の第五番目というのは、

殉教について書かれています。

 

そこには、イエスの証のために首を切られた者たちの霊魂が祭壇の下で叫んでいるとあります。「いつまであなたは、さばくことをなさらず、

 また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」

と。

すると、その人たちに白い衣が与えられて、

「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、

 もうしばらくの間、休んでいるように」と主は言われました。

(黙示録6章9~11節参照

 

これは間違いなく、イエスの証のために殉教する者が多く出る、

つまり激しい迫害が起るということを意味しているのだと思います。

主に従う道は、とても祝福に満ちています。

しかし、苦難も伴うわけです。

イエス様はイエス様に従う者たちが遭うであろう苦難について、いろいろ語られています。

マタイ10章24節から読んでみましょう。

 

 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。

 弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。

 もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、

 その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。

 

 だから彼らを恐れるな。

 おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、

 知られてこないものはない。

 

 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。

 耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。

 

 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。

 むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

 

 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。

 しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

 それだから、恐れることはない。

 

 あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

 だから人の前でわたしを受けいれる者を、

 わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。

 しかし、人の前でわたしを拒む者を、

 わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

 

 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。

 平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。

 

 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、

 嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。

 そして家の者が、その人の敵となるであろう。

  わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。

 わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。

 

 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

 自分の命を得ている者はそれを失い、

 わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

 

 あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

 わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。

 預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、

 義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。

 

 わたしの弟子であるという名のゆえに、

 この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、

 よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。

(マタイ10章24~42節)

 

これが、イエス様に従う弟子が持つであろう、戦い、迫害、試練というものです。

イエス様に近く歩んできた皆さんも、

今までそういう体験をしてきたのではないかと思います。

そして、これからもまた似たようなことやそれ以上のことが起るでしょうし、

試されたりすることでしょう。

それが命をかけてのことなのですが、でもイエス様ははっきり言われています。

 

「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。と。

 

次に黙示録13章7から10節も読みましょう。

 

 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、

 さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、

 その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。

 耳のある者は、聞くがよい。

 とりこになるべき者は、とりこになっていく。

 つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。

 ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。

(黙示録13章7~10節)

 

獣が、「聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、

さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。」

とあります。

これが忍耐と信仰を要する聖徒たち、すなわち私たちクリスチャンの受ける患難です。

そして15節から18節には次のようにあります。

 

 それから、その獣の像に息を吹き込んで、

 その獣の像が物を言うことさえできるようにし、

 また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、

 貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、

 すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、

 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。

  ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。

 その数字とは、人間をさすものである。

 そして、その数字は六百六十六である。

(黙示録13章15~18節)

 

 

この獣の支配は、すべての部族、民族、国語、国民に及ぶとあるので、

私たちももれることなく、この試練に直面するわけです。

でも再度言いますが、

イエス様は何と言われているかというと、

「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」

と言っておられるのです。

 

そして「むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」と。

これは誤解できない非常にクリアなメッセージです。

主にあって死ぬ者は幸いなのです。

 

黙示録14章4節は、14万4千人の人のことについて述べられています。

「彼らは、純潔な者である。

 そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。」

とあります。

私たちはこれを見本として、いつも、この

「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」というを持っているべきですし、

神の恵みによってこれに生きることができると信じています。

 

 

続く(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス2 パート24)<どう生きるのか>心を備える 

 

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夕べ、友人の奥様から電話を頂きました

先月、心臓の具合が悪くなって、友人知人などに

癒しの為の祈りのリクエストを出されていたのですが

病院で検査もした結果、手術が必要かもしれないということでした

 

信仰の深い友人も、妻の命が失われるかもしれないと思うだけで

生きていて欲しいと思う自分の願いが強すぎて、

主の御心を正しく聞くことが出来ないと言うほどでした

(でも後で祈り、主から癒しの約束をもらったそうです)

 

彼女自身も身の回りの事を伝言し、いつどうなっても家族が困ることがないようにと

覚悟を決め、イエス様に祈ったそうです

それから賛美を歌おうと思い、声を出そうとすると声が出なくなったので

「心臓は悪いけど、声は出るはず

 賛美することさえ止めようとしているのはサタンだ!」と確信したので

積極的にサタンを攻撃し、集中して祈り始め、み言葉に浸り、暗記し、

すべての思いわずらいを脇に置いて、主に信頼することに決意したそうです

 

すると「わたしはもうあなたを癒したんだよ」と心に語り掛けてくださる声を聴き

(彼女はこの時、夫でも誰の信仰でもなく、自分自身が信仰の上に立てたそうです)

 

そしてなんと、本当に癒されたのです!

脈も正常に戻り普通に歩くことが出来るようになり、勿論賛美も歌うことが出来ます

病院の先生に説明しても、説明がつかないのですが

とにかく癒やされたので手術の必要も無くなりました

ハレルヤ!イエス様感謝します!

 

死も生も、御手の内に委ねることが出来る時

恐れは消えてなくなりますね

勿論、私たちは弱い人間なので恐れるし、小さな事にもすぐビビるけど

主との交わりの中で、平安が与えられる

そしてイエス様は溢れるほどの恵みを与えたいと思っておられるので

ただ受け取るだけなのですね

 

感謝します!

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(転載おわり)

 

 

 

昨日はかなり暑くなって窓を少し開けて寝ました

寝苦しかったのですが、夜中に光を感じたので目を開けて窓を見ると

隙間から綺麗なお月様が顔を出していました満月

すぅ~っと涼しく感じ、

優しい光にぐっすり眠ることが出来ました

 

 

長男さんから貰ったローストビーフで

長女さんがサンドイッチを作ってくれたよ

オニオンソースと、ハニーマスタードで頂きました

 

夜はローストビーフ丼

贅沢なほどたっぷりで美味しかった~照れ

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昨日は34度まで上がり、最高に暑かったけど、

青空が見たくて日陰を探しながらウォーキング音符

            ねむの木の花もまだ少し咲いてるねガーベラ

 

 

凄く大きなねむの木なので

涼しい木陰を作ってくれます

 

 

これは葉桜の木陰 

    緑の力って大きいねクローバー

暑い日差しをこんなにも涼しくしてくれて守ってくれてる

 

 

 

アガパンサス

     ブルーハーツ*:..。o○☆゚・:,。*o○☆:..。o○☆*ブルーハーツ

 

 

 

サリーちゃんのお友達

サリーちゃんは、優雅に後ろで見つめていましたよ

この子たちは遊んで欲しくて仕方ない様子

元気だね音符

また来るねバイバイ

今日もありがとう~ラブラブ