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来たる艱難期 第3部A パート8
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
d.大背教の預言:
1)第一テモテ4章1節では、使徒パウロは大背教<が起こること>は、
明らかに御霊が教えておられることであると言っています。
つまり、艱難期にキリスト教の信仰を捨てる人々は、
単に中立的な不信仰者になるのではなく、イエス・キリストへの信仰に代わる
敵対的なものとして、悪魔とその反キリストによって提供される新しい悪魔的なシステム
(宗教、政治、社会など)に喜んで積極的に参加するようになるということです。
このシステムは、真の信仰を地上から根絶することを主要な目的の一つとしているので、
このような個人の場合、積極的に「キリストの十字架の敵」となるパターンが
完全に成就することがわかります。(ピリピ3章18節)
しかし、御霊は明らかに告げて言う。
後の時(すなわち、大艱難期)になると、
ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、
信仰から離れ去るであろう。
(第一テモテ4章1節)
2)冒頭で述べたように、パウロは第2テサロニケ2章1-4節で、
大背教を反キリストの出現に並ぶほど重要な出来事としてとらえています。
使徒は、復活がまだ起こっていないことを証明するために、
テサロニケの信徒たちに、復活の前に起こるべき、
間違うことのできない二つの明白な出来事に焦点を合わせています。
反キリストの現れと同時に、大背教が起こるのです。
テサロニケの人々は、自分たちの仲間を見れば、背教には何も大きな離反はなく、
特にかつての仲間の多くがサタンの大義の推進と
教会の排除に完全に忠誠を誓うような事態にはなっていないことは明白でした。
上記の箇所と同様に、
これらの節では、キリストから背を向ける人々と反キリストとその体制の台頭との間に
明確な関係が示されており、堕落した元信者たちが
獣の前進に決定的な役割を果たす可能性が高いのです。
さて兄弟たちよ。
私たちの主イエス・キリストの来臨と、
わたしたちがみもとに集められることとについて、
あなたがたにお願いすることがある。
霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、
主の日はすでにきたと[新しい情報をもって]ふれまわる者があっても、
すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。
まず[大]背教のことが起り、不法の者[反キリスト]、
すなわち、滅びの子(ヨハネ17章12節のユダを参照)が現れるにちがいない。
彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、
自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
(第二テサロニケ2章1-4節)
3)マタイ24章3-13節で、
イエスはこれらの終末論的出来事の時期に関する弟子たちの質問に答えています。
この点で、主の応答は、上記の箇所と同様に、
大背教(および他の出来事)を用いています。
つまり、弟子たちは主がいつ再臨されるのかを知りたがっていたのですが、
イエスは、主が再臨される前に、(大背教を含む)艱難期のすべての「産みの苦しみ」が
先行しなければならないと教えておられるのです。
4節から6節にかけて、イエスは弟子たちに、
御自分の再臨に先立つ期間を通して起こる傾向について話しておられます。
そして、実際、教会時代を通して、イエスのように見せかける欺瞞者が存在し
(第一ヨハネ2章18節参照)、また、終末的な意味を持つほど重大であると思われる
(その時点では)紛争や紛争の脅威が存在し続けました。
この箇所の冒頭にある主のメッセージは三重のもので、
第一に、私たちは偽キリストに惑わされたり、世界の出来事を恐れて
正しいクリスチャンの歩みから外れてしまったりしてはならないと告げています。
第二に、このような欺く者や欺かれる可能性のある状況は、
来たるべき日(すなわち、教会時代全体)の特徴であると言われています。
すなわち、実際の艱難期は、反キリストという特定の偽キリストによって明白に特徴づけられ、その出来事は、主の再臨に先立ち予測される一連の世界紛争によって
明らかに支配されるため、聖句に正しい注意を払う者であれば、
これらのことが何であるかを認識できないことはない、ということです。
というのも、この二つの教会時代的な流れは、
艱難期の間に、それぞれ、強大な反キリストの人物と、
その世界支配の作戦の実行において、その行動と究極的な成就を見出すからです。
主は艱難期の前半を総括され、8節で「産みの苦しみ」の始まり、
すなわち、主の再臨に直接先立つ7年間の前半であると説明されます。
これらの出来事の概要の中で、世界が二つの勢力ブロックに分裂し、
「世界戦争」が起こること(最終的に反キリストが地球の大部分を支配するようになること)は、艱難期前半の紛れもない特徴的な兆候であると説明されています。
(黙示録6章1-17節の七つの封印にある詳しく述べられ指摘されているような)
凶悪化によって引き起こされた人為的な大災害と、
この激化した悪に対する前例のない神の裁き(七つのラッパ: 黙示録8章6節-11章19節)
の両方が、この期間を特徴づけることになります。
大艱難期についてである9節から13節において、
主は、大迫害と大背教の絶頂期を一つの複合現象として描写しています。
(大艱難期が始まるまでに背教者となった)信者は他の信者を裏切り、
その結果、艱難、すなわち、投獄、処刑、イエス・キリストに従うすべての真の信者に対する
全世界的な反感を含むあらゆる迫害が起こります。(9節)
この激しい迫害によって、さらに多くの人々が 「離反」し、さらに裏切りが繰り返され、
新しい背教者たちによるかつての兄弟たちへの敵意が高まります。(10節)
このような圧力と迫害がますます強まる環境の中で、
サタンは、まだキリストに忠実な人々に向けられた欺瞞的な攻撃を開始します。(11節)
(23-24節では、サタンに力を与えられた「しるし」の助けを借りて、
キリストはすでに再臨されたと偽って宣べ伝える
偽預言者の新たな群れとして説明されています)。
これらの恐ろしい出来事が重なって、
ついに、ここまで耐え忍んできた人々の愛さえも冷えてしまい、(12節)
(後述の「大背教の原因」を参照)、救われるのは、
主が再臨される最後のラッパまで耐え忍ぶ人々だけです。(13節)
このように、背教は、艱難時代の後半に大迫害によってもたらされる圧力の下で
頂点に達します。
しかし、反キリストの台頭と同じように、
大背教は艱難期が始まった瞬間から始まり、大きくなっていきます。
(3)またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、
「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。
あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。
(4)そこでイエスは答えて言われた、
「人に惑わされないように気をつけなさい。
(5)多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、
多くの人を惑わすであろう。
(6)また、[実際の]戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。
注意していなさい、(そのようなことに)あわててはいけない。
それ[そのような事柄]は起らねばならないが、まだ[艱難期の]終りではない。
(7)[その終わりの前には]民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
またあちこちに、ききんが起り、(すなわち、人為的災害)
また地震があるであろう。(すなわち、神の裁き)
(8)しかし、すべてこれらは[まだ]産みの苦しみの初めである。(すなわち、艱難期の前半期)(9)そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。
またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
(10)そのとき、多くの人がつまずき(すなわち、背教し)、
また互に裏切り、憎み合うであろう。
(11)また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
(12)また[その時]不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
(13)しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
(マタイ24章3-13節)
--パート9に続く
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黙示録は難しくて分からない・・・と言う方は
マタイ24章のイエス様が弟子たちに話しておられる箇所を読まれると
なるほど・・・と、思うかもしれません
2千年前のイエス様がお話されたことが
今の時代に起ころうとしていることがよく分かりますね
救いがありますように
お祈りしています
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白い花は暑い日でも涼やか
緑の木陰も爽やかな風を運んでくれます
オルレア
タンポポの種も、そろそろ飛んでいくのね
お、シロちゃん
何を見てるの~ 涼やかなまなざし
今日もありがとう~