(ひとしずく・⑦II.艱難期の始まり 第3部A)‐背教のプロセス‐ | sarah‐mercy

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 来たる艱難期 第3部A パート7

 

艱難期の始まり  (ヨハネの黙示録8章1節11章14節

                    

                       ロバート・D・ルギンビル博士著より

 

c.背教のプロセス:

 上記の議論から、背教の本質的な仕組みは十分に明らかですが、

人がどのようにイエス・キリストへの信仰を失うのかをここで明確にすることが重要です

神から離れ、御子という存在から離れることは、

一般に他人から見てすぐにわかることではなく、むしろ、信者が次第に良心をくじき、

罪に身を任せるようになる過程で、最終的には一方では神と悔い改め、

他方では罪と咎めの間で最後の選択を迫られること多いのです。

なぜなら、ある時点で十分に長く、十分に故意に間違った道を歩み続けると、

最終的に、また必然的に、良心が完全に崩壊し信仰の「難破」につながるからです。 

 

 わたしの子テモテよ。

 以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。

 あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、

 りっぱに戦いぬきなさい。第一テモテ1章5-6節参照)

  ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。(第一テモテ1章18-19節) 

 

この聖句が教えるように、御霊の良心との対話を無視し続けることで、

信仰を損なわずに済むことはできません。

第一テモテ4章1-2節テトス1章15節;エペソ4章30節

 第一テサロニケ5章19節;ヘブル10章29節を参照)

神と神の御心に反対し続けながら、自分の信仰を害さないでいるということは不可能です。

(第一ペテロ2章11節)

 

そして、神様にとって不愉快なことを選び続けるなら、

神様の顔を見るのがますます億劫になることでしょう。

ヨハネ3章20節エペソ5章11-14節

神を無視し、神の意志を拒否する道は、必然的に良心を傷つけ、萎縮させ、

鈍感にさせるので、(悔い改めがない場合)最終的に信仰を抹殺することにつながります。

そして、信仰者が完全に信じることをやめたとき、

その人はもはや信仰者ではなくなります。マタイ24章10-13節

 

聖書に記述されているこのプロセスは「心が頑なになること」です。

つまり信者の場合、自分の良心、神の御心、

そして真の忠実な弟子としてイエス・キリストに従うという決意に対する

感覚と感受性が徐々に失われていくのです。(これらはすべて同じものです)[1] 

 

 兄弟たちよ。気をつけなさい。

 あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心(すなわち、信仰の欠如)をいだいて、

 生ける神から離れ去る(すなわち、背教)者があるかも知れない。 

 あなたがたの中に罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、

 「きょう」といううちに(すなわち、まだこの世にいるうちに)

 日々、互に励まし合いなさい。

  もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、

 わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

  それについて、こう言われている、 

 

 「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時(メリバ)のように、

 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。  

 

 すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのか。

 モーセに率いられて、エジプトから出て行ったすべての人々ではなかったか。

 また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。

 罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。 

 また、神が、[かつて約束された]わたしの安息[の地]に、はいらせることはしない、

 と誓われたのは、だれに向かってであったか。

 不従順な者に向かってではなかったか。

 こうして、彼らが[安息の地に]はいることのできなかったのは、

 不信仰(=信仰の喪失)のゆえであることがわかる。

                         (ヘブル3章12-19節) 

 

この聖句は、背教の過程に関するまさに入門書です。

ここでは、「不信仰の邪悪な(すなわち、頑なになった)心」を持つことは、

背教に入ることと本質的に同義であることがわかります。

(これまで見てきたように、語源的には「神から離れること」

この二つの現象は密接に関連しており、どちらも同じ原因、

すなわち、本人の誤った選択から生じています。

 

上記の出エジプトの世代の場合のように、私たちが心を頑なにするのは

自分の意志によるものであり、神に背を向けるのも自分の意志によるものだからです。

 

神に向かうこと、神に従うこと、正しい道を進むこと、

これらはすべて、私たちを主に近づける、善良で適切な決断です。

神に背を向けること、自分の欲望に従うこと、正しい道から離れること、

これらはすべて、私たちを主から遠ざける誤った危険な決断です。

 

この地上における私たちの本質的な目的は、

神の御子、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストというお方を通して

神に従うか、神に背くかを選択することであると以前述べました[2]

 

弟子とは、イエス・キリストを信じる者であり、

イエス・キリストを喜ばせるために生きる忠実な従者であることであり、

それは日々、自分の十字架を担うことです。

(そして、毎日が新しいチャレンジとなります:ルカ9章23節: マタイ6章34節;

 エペソ5章16節;コロサイ4章5節も参照)

イエスは私たちに、イエスに従うことを決意する前に、

弟子としての「代価を数えなさい」と言われました。ルカ14章26-34節

 

イエス・キリストにある真の弟子としての生活は、

間違いなく犠牲を伴わないものではありません。

そして、主に従い始めて後で背を向けるよりは、

そのような道に踏み出さなかった方がましなのです。第二ペテロ2章20-22節

 

上で引用した箇所からも明らかなように、

イエスが私たちにさせようとされることに対して私たちの心を無感覚にさせるのは、

「罪の惑わし」なのです。 

 

これは、すべての背教者が明白であからさまな罪のパターン

(例えば、法外な性行為や犯罪行為)に従事しているという意味ではありません。

罪にはいろいろな形がありますが、著者の観察によれば、

背教者と関連することの多い罪の種類は、嫉妬ねたみ恨み怒りなどの心の罪が多く、

(前節で引用した種まきのたとえの箇所でイエスが語っているように:

マタイ13章20-21節;マルコ4章16-17節ルカ8章13節)、

人が個人的な苦難や災難を神のせいにするときに心を支配しがちな態度です。

 

しかし、信者が心から忠誠を誓う罪がどのようなものであれ、

(後で悔い改めて告白する一時的な失敗とは違います)

神に背き、神の不興を買うものを選ぶというこの持続的で決定的なパターンこそが、

心を頑なにし、良心を麻痺させ、私たちを神から遠ざけ、

ついには信仰を死に追いやるのです。

私達はキリストと罪とに同時に仕えることはできないからです。 

 

 あなたがたは知らないのか。

 あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、

  あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、

 (信仰の)死に至る罪の僕ともなり、

 あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

                     (ローマ6章16節) (ヨハネ8章31-38節を参照) 

 

私たちは皆、罪を犯しますが、

列王記上8章46節;詩篇130篇3-4節;箴言20章9節伝道の書7章20節;ローマ3章23節

継続した主との信仰関係において、罪を告白するなら、赦しが約束されています。

第一ヨハネ1章9節;詩篇32篇; 51篇参照)

使徒ヨハネは私たちに罪の赦しについて慰めを与えるだけでなく、

その最初の手紙の中で、私たちは皆罪人であり、

罪を犯すたびに告白する必要があることをはっきりと語っています。

第一ヨハネ1章5-10節

しかし、ヨハネは「あなたがたが罪を犯さないようにするため」第一ヨハネ2章1節

と言い、さらに手紙の中で、信者は罪を犯すことができないとさえ思われる人であると

述べています。

第一ヨハネ3章6節,3章9-10節5章18節を参照のこと)

 

これは矛盾ではありません。

むしろ、クリスチャンの生き方がイエス・キリストに従順に従うものであり、

(そうしている場合、罪を犯すことは稀です)深刻な、そして永遠の結果なしに、

すべてのことにおいて自分の道を選ぶことができる生き方ではないことを確認するものです。

私たちは自分の過ちを認めなければなりません。

また、たとえ赦されても、

罪は当然な、神よりの結果をもたらすことを理解しなければなりません。

例えば、私たちの罪深い行動が誰かを傷つけ、その人との関係を損ね、

同時に主からの懲らしめを受けるかもしれません。ヘブル12章4-13節

 

しかし、真のクリスチャンにとって罪とは、

イエス・キリストに仕える巡礼の旅から外れることです。

悔い改めと告白を通して、私たちはそのまっすぐで狭い道に戻り、

そうすることによって、私たちが本当にイエス・キリストへの信仰に献身していること、

そして私たちの過ちは、今抱いている新しい目的ではなく、

本当の目的からの一瞬の離脱に過ぎないことを、

自分自身と私たちを観察するすべての人、天使と人間に明らかにします。[3] 

 

しかしその「一時の離脱」が頑なに異なる方向へと進み続けているなら、

良心を傷つけ神に対して心を頑なにしてしまいかねないので、

信仰も危うくなってしまうのです。 

 

 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

 欲がはらんでつまり、人がそれに屈すれば)罪を生み、

 罪が熟して(すなわち、その人が罪の生活に屈服するなら)

 (すなわち、信仰の死)を生み出す。

                    (ヤコブ1章14-15節) 

 

 もしだれかが死に至ることのない罪を犯している

 (つまり、完全に背を向けるのではなく、道から外れている)

 兄弟を見たら、神に[兄弟のために赦しを]願い求めなさい。

 そうすれば神は、死に至ることのない罪を犯している人々には、

 いのちを賜わるであろう[すなわち、赦しと救出がもたらされる]

 死に至る罪がある。

 これについては、願い求めよ、とは言わない。

 不義はすべて、罪である。

 しかし、死に至ることのない罪もある。

(つまり、一時的に道から逸れても、告白と悔い改めによって死に至ることがないもの)

                             (第一ヨハネ5章16-17節) 

 

 

 また、ある者たち(すなわち、出エジプト世代)がしたように、

 わたしたちは主を試みてはならない。

 主を試みた者は、へびに殺された。

 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。

 つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。

  これらの事が彼らに起ったのは、(同じような背教に陥ることがないように)

 他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終り

 (すなわち、艱難期の入り口)に臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。

  だから、立っていると思う者は、(信仰から離れて:ローマ11章22節

 倒れないように気をつけるがよい。

                  (第一コリント10章9-12節) 

 

背教を避ける最良の方法、本当に唯一の確実な方法は、

永遠の命への唯一の道である私たちの主イエス・キリストに忠実に従いながら、

シオンへの道を前進する仕事に身を捧げることです。ヨハネ14章6節) 

 

 


[1] 『ペテロの手紙』シリーズ#21、#26、#27、

 および「出エジプト記14章:パロの心を頑なにする」を参照。 

[2] 『悪魔の反乱』第3部「人間の目的、創造、堕落」、第1節「人間の目的」参照。 

[3] 「来たる艱難期」 パート2A:「七つの教会」のエペソとペルガモについて参照。 

 

--パート8に続く 下差し

 

 

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何か、不都合なことや試練がやってくると

誰かのせいにしたり、・・・終いには神様のせいにすることもあるけど

そうではないようですね

心が頑なにならないように

お祈りしますお願い

 

 

 イエスは彼に言われた、

「わたしは道であり、真理であり、命である。

だれでもわたしによらないでは、

父のみもとに行くことはできない。

(ヨハネ14:6)

 

感謝します

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      シラー

 

 

 

                       ブルーデージー

      

 

 

 

                       バーベナ

 

 

 

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         ハッ ハートブルーハートのお花だブルーハーツ 

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      ロジャー君、今日は完全にお昼寝タイムぐぅぐぅ

      素敵な夢を見てねブルー音符

      また来るね~バイバイ

      

       今日もありがとう~ラブラブ