(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス3 パート47)<リトリートの最後に>聞くだけの者とならず | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

からの続きです

 

黙示録シリーズ・クラス3 パート47

 

(5月1日 午前のクラス)

 

<リトリートの最後に> 聞くだけの者とならず

 

最後に結びとしてのメッセージを分け合いたいと思います。

私たちがこの時代、イエス様が帰って来られるまでの時代を

どう生きるべきかを示すために、

神は黙示録や聖書の全てを通して、私たちに真理を明かして下さっています。

それは私たちがただ聞くだけの者とならないで、

御言葉を行う者になるためのものですよね。

 

もし、聞くだけの者になるなら、

それはもう一つ知識が増し加わったというだけのことになってしまいます。

そうであるなら、神の意図の的を外しています。

聖書が与えられているのは、私たちが御言葉を果たすためです。

そして、それは主に忠実であるというだけでなく、

この後にやって来る至福千年という新しい時代の備えのためでもあると思います。

ルカの22章24節から37節までを読んみます。

 

 それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、

 争論が彼らの間に、起った。

 そこでイエスが言われた、

 

「異邦の王たちはその民の上に君臨し、

 また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。

 しかし、あなたがたは、そうであってはならない。

 

  かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、

 指導する人は仕える者のようになるべきである。

 食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。

 食卓につく人の方ではないか。

 

 しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。

 あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、

 わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。

 

 それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、

 わたしもそれをあなたがたにゆだね、

  わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、

 また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。

                          (ルカ22章24~30節)

 

そして、次は黙示録20章4節を読みます。

 

 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。

 そして、彼らにさばきの権が与えられていた。

 また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、

 また、獣をもその像をも拝まず、

 その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。

 彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。

                            (黙示録20章4節)

 

 

 ですから、イエス様の十二人の弟子、

また悔い改めたユダヤ人だけが至福千年を治めるのではなく、

イエス様と共に苦難を耐え忍ぶなら、私たちもイエス様と共に治めるということです。

 

イエス様がこの地上に来られた時、あざけられ、鞭打たれ、

十字架の死に至るまで命を惜しまず魂を注ぎ出して下さいました。

 

私たちもイエス様と共に苦しみに遭う、

それはイエス様が体験されたことと形は違うかもしれませんが、

たとえば卑しめられたり、誰にも顧みられなかったり、誤解されたり、

中傷されたり、迫害されたり、村八分にされたり、

それが主のためであるなら、主に従っているがゆえにそうされるのであれば、

クリスチャンとして喜ばしいことなのです。

 

どこまでそうするのか?

死に至るまでです。

 

私たちは黙示録を通して、これから起ることのパノラマを見せて頂きました。

この先、どんなことが待ち構えているのかを教えられ、

そのような時代をどう生きるべきなのか、神の御心真理を提供されました。

その祝福に与った今、ただ聞くだけの者にならない、

聞いて行う者になって行きたいと心から思いますよね。

マタイ25章を読みます。

 

 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、

 花婿を迎えに出て行くのに似ている。

 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。

 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。

 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、

 入れものの中に油を用意していた。

 

 花婿の来るのがおくれたので、

 彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。

 

 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』

 と呼ぶ声がした。

 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。

 

 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、

 『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。

 わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。

 

  すると、思慮深い女たちは答えて言った、

 『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。

 店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。

 

 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。

 そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、

 そして戸がしめられた。

 

 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、

 『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。

 

 しかし彼は答えて、

 『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。

 

 だから、目をさましていなさい。

 その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

                           (マタイ25章1~13節)

 

 

 皆さんに郵便で、花婿を迎える場面の乙女の絵を送りました。

(※画像は載せられませんが)

乙女はランプと油を湛えたつぼを手にしていました。

これは神様から見た、神を信じる者の霊的な理想の姿なのだと思います。

 

しかし、霊的に神様がそのように見て下さっている時の私たちというのは、

逆に、傷つき、迫害され、投獄され、

ボロボロになっている状態なのかもしれません。

霊的な美しさは、現実的な姿とは異なります。

 

大事なことは、主が私たちの霊的な姿をどう見ておられるか、ということですよね。

それは、私たちが主のために喜んで、衣が破れ、血が流され、

全身傷だらけになってもなお死に至るまで忠実であること、

それが主が望まれる賢い乙女の姿だと思います。

ダニエル書11章には次のようにあります。

 

 民のうちの賢い人々は、多くの人を悟りに至らせます。

 それでも、彼らはしばらくの間、やいばにかかり、

 火に焼かれ、捕われ、かすめられなどして倒れます。

                         (ダニエル11章33節)

 

 また賢い者のうちのある者は、終りの時まで、自分を練り、清め、

 白くするために倒れるでしょう。

                (ダニエル11章35節)

 

 

酷い試練に遭って敗北のように見えても、

神の目から見たらそれは全く逆だということです。

では、最後にこの聖句を読んで終わりにしたいと思います。

 

 愛する者たちよ。

  あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、

 何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、

 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。

 それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。

 

 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。

 その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。

 

 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、

 あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。

 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。

 かえって、この名によって神をあがめなさい。

 

 さばきが神の家から始められる時がきた。

 それが、わたしたちからまず始められるとしたら、

 神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、

 不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。

 

 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、

 そして、真実であられる創造者に、

  自分のたましいをゆだねるがよい。

                 (第一ペテロ4章12~19節)

 

 

今、本当に競争の最後のほうになってきていると思います。

私たちを惑わすもの、気を逸らすものが多くなって来ている中で、

一意専心ということが必要になっていると思います。

何ものも恐れない、惑わされない、誘惑に打ち勝つ、

主に目を留めて競争を走り抜く。

まさにそれに集中する時だと思います。

 

主が共にいて下さるものの、それは決して平坦で安楽な道ではありません。

私たちは覚悟を決めて突き進んで行く必要があると思います。

 

 -以上 2022年 リトリート クラス終わり

 

 

初めから読まれたい方はこちらから下差し

(ひとしずく・リトリート2022年 黙示録シリーズ・キーノート 前半)

 

黙示録シリーズ・パート①から読まれたい方はこちらから下差し

(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス1 パート1)十人のおとめ 

 

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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

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5月から、この黙示録シリーズを紹介させていただきましたが

パート47の最終回を迎えました

読んで頂けた皆さんにも、恵みとなることをお祈りします

 

聖書の真理の御言葉を深く学ぶ機会として、私自身大きな恵みの学びとなりました

翻訳して下さった友人、そして校正を助けて下さった友人に

改めて感謝したいと思います

これを何度も読み返して、これからの備えの為に、ランプと油を用意した乙女のように

最後まで忠実でいられるように祈ります

 

時に、真理の言葉というのは、誰でも喜ぶことはないようです

イエス様が来られた時代もそうでした

 

私達を救うために来られ、悔い改める事と、愛することと赦しについて、

また、癒しを与え、魂の救いと天国について教えて下さったのに

人々はイエス様をあざけり、鞭打たれ、唾を吐きつけ、罵り、罪人と呼びました

それでも、十字架の死に至るまで命を惜しまず魂を注ぎ出して下さったのは

神の愛ですね

 

愛するゆえに真実を伝えることで、私も誤解されたり、傷ついたりすることもあるけど

これからは時が短くなっているので、覚悟を決めて進むしかありません

主が共にいてくださるから!

 

だから、目をさましていなさい。

 その日その時が、

あなたがたにはわからないからである。

(マタイ25章13節)

 

 

感謝します

 

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                             (2017年夏 故郷の夕日)

 

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