(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス1 パート1)十人のおとめ | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

右差し(ひとしずく・リトリート2022年 黙示録シリーズ・キーノート 後半)からの続き

 

黙示録シリーズ・クラス1 パート1

 

(4月29日 午前中のクラス)

 

 まず最初に、ここに来てから何度も浮かんでくる聖句があるので、

その節を分け合いたいと思います。

 

 もしあなたが、徒歩の人と競争して疲れるなら、

 どうして騎馬の人と競うことができようか。

 もし安全な地で、あなたが倒れるなら、

 ヨルダンの密林では、どうするつもりか。

                   (エレミヤ12章5節)

 

 

今私たちは、イエス様が言われた終わりの時の兆しを

少し垣間見させて頂いている時だと思います。

ある国、あるいは人の中には、もう自分たちは

患難の中にあると思える状態かもしれません。

でも来たるべき患難に比べたら、今の患難は比べものにならないと思います。

 

患難についての聖書の言葉が与えられているということは、

私たちは恐れるのではなくて、良き霊的な備えができるように

主がそうして下さっているのです。

 

聖書には、「主の日」というのがあります。

これは人類の支配が終わって神の支配が始まる時です。

終結の時であると同時に神の支配が始まる転換点です。

ですから、その際には未だかつてなかったような患難があり、

主が帰って来られて新しい至福千年王国を確立して下さるということも、

主の日に含まれています。

 

私たちがそれをどう見るかは、とても重要なことです。

出産にたとえるなら、苦しみだけにフォーカスすると、不安がつのり

恐怖でしかなくなりますが、新しい命が生まれるという、

すっかり苦しみを忘れるような喜びに向かっていることにフォーカスしているなら、

希望と力が与えられます。

イエス様が帰って来られることと、イエス様が築き上げて下さる至福千年において、

イエス様が王として支配して下さり、また私たちもイエス様と共に治めるチャンスが

与えられていること、そこに目を留めていると喜ばしい日が近づいているんだ、

と期待に胸を躍らせて主の日に臨むことができるのだと思います。

 

主の日は、何千年にも亘って積み上げられてきた人間の歴史が終結するということ、

そして清算の時でもあります。

裁かれるべき者は裁かれる、神を信じる者にとっても、神を信じない者にとっても、

これは非常に大きい時、節目なのです。

 

主の日は、天地創造で言えば、六日目から七日目に移り変わる時にも

たとえられるかと思います。

神は六日間で天地創造をされて七日目に休まれました。

七日目はその前の六日間の動きとは、全く違うわけです。

それにこの人間の歴史を当てはめて見るなら、

六千年もの人間の価値感による基盤でやってきた世界(罪人が造り上げてきた世界)

が変えられて、神に主権が戻されることになります。

そうなると、人間にとって、特にこの世界を支配して自分たちの思惑通りに

物事を計画して推し進めようとしている者にとって、

その時期は混乱と焦りと恐怖の時になり得ます。

それはサタンにとっても同じです。

主が帰って来られる日は、王の帰還とも言われますが、その帰還を喜ばない者もあるわけです。

 

それはこの世の君やこの世の君に従う者たちなどですが、

それを阻止しようと、反乱も起ってくるわけです。

そして、彼らは、イエス様がやって来られた時、

『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。

そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と言って、

神のひとり子であるイエスを殺してしまいました(マルコの福音書12章7節参照)。

 

今も主の再臨を喜ばない者達の思惑、策略がありますが、彼らは神ではないのです。

反乱したからと言ってそれがまかり通るわけではありません。

神の御計画通りに物事は進んで行きます。

 

至福千年という新しい時代、新しい世界へ移る際の転換期は、

何千年もの人間の歴史に比べたら、非常に短い一点にしか過ぎません。

しかしそれを拡大してみると、そこに七年間の患難期があり、

その内の後半三年半というかつてなく、また今後もないような大患難があり、

主の再臨があるわけです。そしてこれだけ大きな変化があるとすれば、

それに伴う色々な大きな出来事もあり、清算もあるわけです。

至福千年は、この世界、今私たちがいるこの土地の上に立てられ、繰り広げられて行くので、

その前に、この世の君が作り上げたもので主の御心に沿わないものは取り除かれて行きます。

それは私たちにとっても容易なことではないと思います。

 

特に私たちが、この世にあまりにも寄りかかっているなら、

この世が過ぎ去って行く時、その寄りかかっていた杖が外され倒れてしまいます。

本当はそういうものに寄りかからないように、というのが聖書の教えです。

 

 兄弟たちよ。

 わたしの言うことを聞いてほしい。

 時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、

  泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、

 買う者は持たないもののように、 世と交渉のある者は、

 それに深入りしないようにすべきである。

 なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。

                       (コリント人への手紙第一 7章29-31節)

 

 

ただ、主に依存することです。

「ただ主だけです」と私たちはよく言いますが、本当にそうなのです。

パウロは

「生きているのは、もはや、わたしではない。

キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2章20節)

と言いました。

イエス・キリストのものでないものはすべて過ぎ去ります。

 

「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」

                               (マタイ24章35節)

 

「世と世の欲とは過ぎ去る。

 しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」

                        (第一ヨハネ2章17節)

 

ということです。

私たちはこの人生を生きるにあたってどんな生き方をしているのでしょうか。

主でないものにそんなにも大きな関心事を持って生きているのか。

あるいは、世のものに執着を持たず、ただ主の御心だけを思って生きているのか。

主が今来なさいと言われたなら、今行っていいんですか?

喜んで主のもとに行けるよう、心が備えられている状態でいられたなら、と思います。

 

それが、十人のおとめのたとえとして主が語られたメッセージ(マタイ25章1~12節参照)

だと思います。

この十人のおとめの内の五人が油をたたえていたというのは、

常に主が帰って来られることを意識した信仰だと思います。

そして油を切らしてしまっていた五人のおとめというのは、

主が帰って来ることは知っていても、いつまで経っても帰ってこないじゃないか、

まだ当分先のことだろうと、油断や妥協をして、主の戒めを忘れて、

自分勝手に、せっかく救われ、あがなわれたのに肉の思いで、

この世の人と同じ思いで生きていることだと思います。

 

名目上だけのクリスチャンなので、事が迫ってきた時、

あーどうしよう、どうしうよう、どうしたらいいですかーっ

慌てふためいてしまうのです。

大切なのは神さまに対する信仰だけです。

私たちは神さまの御心を思わないで、ただ自分の意思にしたがって、

良いと思うこと、善行であれ、この世で認められているどんなことをしていたとしても、

それは神さまには通用しないのです。

ただ私たちは、神の御心を求め、神の召しに生きる、その信仰に立つしかないと思います。

 

今、簡単にイントロのような話をしていますが、

黙示録は、どんな状況にあっても私たちがそのような信仰に生きることができるように、

また賢い五人のおとめのように、主の再臨に備えて、

絶えず油をたたえていられるようにと、

神が私たちへの愛ゆえに、備えさせるために、与えて下さったものであると思います。

 

続く右差し(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス1 パート2) 

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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

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朝、目が覚めるとき、”あぁ、今日も同じ朝がみんなに与えられているだなぁ~”

と思います

勿論、世界中のどこかでは、この朝を迎えらない人もたくさんいるでしょう

だけど、『主の日』は、みんな迎えることになるんだなぁ・・・・・と、思うのです

そう思うと、やはり祈らずにはいられなくなりますね

 

さて、キーノートの前半・後半の続きからで

いよいよ黙示録のクラスに入ります

興味のある方は、是非続けてお読みくださいね

10人のおとめの内の、5人のおとめが油を備えて待っていたように

この備えの時を用いて生かすことが出来ますように

 

お祈りしています

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(2019年5月ももちゃん)

ふわふわ~くもり

 

今日もありがとう~ラブラブ