(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス3 パート46)<リトリートの最後に> | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

からの続きです

 

黙示録シリーズ・クラス3 パート46

 

(5月1日 午前のクラス)

 

<リトリートの最後に>

 

 今回、複数の人から、”こういうことを知っていますか?”

といろんな情報を教えて頂きました。

いろんなことが起っているので、私たちはそういった情報にも

アンテナを立てていなければならない、この世に生きている限り、

それは必要なことですよね。

世で起っていることにあまりにも無頓着でいると、

「えーそれってそういうことだったの。もし、わかっていたならそうできたのに。」

ということもあると思います。

ですからそうならないように、互いに役立つこと、

益になるということを教え合うことは素晴らしいと思います。

 

ただ、その点で、少し気をつけなければならないこともあるなーと思います。

これは自分自身についても言える戒めなのですが、

そういう情報を調べ始めると、ほかにも様々なことが出て来て、

調べているうちにのめり込んでしまい、きりがなくなってしまいます。

そして、そういったびっくりするようなことは、今は終わりの時でもあるので、

これからも次から次へと頻繁に起ってくると思います。

 

世の終わりの預言に「不法がはびこる」とあるので、

そういうことに気をつけなければならないし、

そして「惑わされないように気をつけなさい」ということで、

私たちは正しい情報と間違った情報を識別していかなくてはいけないと思います。

ですから、全くそういう情報に対して無頓着でいると

騙され良からぬ方向へ導かれてしまいますし、

かといってそういうことだけに時間を取られていると

御言葉や祈りの時間の妨げにもなってしまうので、

バランスに注意しなければならないと思います。

 

エズラ記やネヘミヤ記にはバビロン捕囚から帰還したイスラエルの民が、

エルサレム修復工事を手がける話が記されていますね。

それを妨害しようとする敵もいたので、イスラエルの民は、

半数が工事につき、半数が盾、弓、よろいをもって武装しました。

また荷を負い運ぶ者は片手で工事をなし、片手に武器をとり、

築き建てる者も、おのおのその腰につるぎを帯びて、修復工事を進めたのです。

                       (ネヘミヤ4章16~18節参照)

エルサレム再建を進めながら、それを妨害する異邦人と戦ったり、

その攻撃に備えていなければならなかったわけです。

どちらか片方だけに集中するわけには行かなかったからです。

今の私たちも同じだと思います。

 

ですから私たちは、世界で起っていることの情報を得ながらも、

御言葉に清められ養われつつ、神の御国のために自分の使命を果たすことに、

バランスをもって行く必要があるのだと思います。

 

今回のリトリートでは、もうすでにいろいろな情報を知っている人も多いので、

あえて聖書以外の情報は分け合わないことにしました。

それで十分満たされると思ったからです。

 

命を与えるのは神の御言葉です。

いくら良い貴重な情報でも、それを掘り下げることによって

命が与えられるものではありません。

あくまでも命を与えるのは神の御言葉です。

 

魂の命がひからびて、死に耐えようとしているのに、

霊的なことをなおざりにしていては、役立つ情報も意味がないですね。

でも、私たちが命にあふれていて、主の祝福のうちにあると、

ちょうど主のタイミングで役立つ情報も与えられると思います。

それを兄弟姉妹が愛のうちに提供してくれると思うのです。

その時に、感謝し、識別力を働かせて吟味して

それを役立てていくということが必要だと思います。

 

今回、御言葉を学びに皆さんがリトリートに集まって下さったので、

御言葉だけに集中できるように、

またその御言葉のうちに深く入って、清められ、

喜びや宝を見出すことを分け合いたいと思い、

このようなクラスを用意させて頂きました。

ここで得たものを、それぞれの場所に帰られたあとにも

継続して行って頂けたらと思います。

 

それこそが、これから訪れる患難の中で、

神の保護に与る唯一の方法だと思いますので、

私たちはそれを意識して優先していけたら良いと思います。

世の中が分断され、こういう集まりが規制されつつある時期にあるので、

まだ自由に集まることのできる今のうちに、

このことをぜひとも分け合いたかったのです。

 

しかしやはり、この世界に生きている限り、

公に出されない隠された必要な情報も知る必要はあります。

それ抜きには聖書の終わりの時に関する預言なども

正しく理解することはできないと思います。

そして、愛があるなら、そのような情報は他の人に伝えるべきだと思っています。

 

ですから、そのような情報は御言葉と分けて、

「ひとつぶ」という情報誌で分け合っています。

そういうのは見たくない、というなら無理に見なくても良いと思いますが、

邪悪な陰謀というものがあることを知るなら、

なぜ神が、それらの者を裁かなくてはならないのか、

なぜ七つのラッパや七つの鉢の災いなどを神が起されるのか、

ということが良く理解できることと思います。

 

そして、患難期を通過する時、神様は正しい裁きを成されておられるのだ、

報復するのは神なんだ、ということを実感できると思うのです。

イエス様は、

「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」

                       (マタイ10章16節)

 

と言われましたが、

サタンが理想とする世界実現のための策略の罠にかからないためにも、

真実の特に隠された情報を知るということも大切なことだと思います。

 

再度言いますが、御言葉とのバランスをもって、

ということに注意してそれらの情報を役立てて行けたらと思います。


続く下差し

 

 

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最近、朝顔の棚や向日葵畑をあまり見かけないなぁ‥‥と思いながら

いつものウォーキングコースを変えて、一昨年入院した病院の裏を歩いてみた

夕暮れ時の街並みは仕事帰りの車のライトも美しく見える

 

病院の窓から灯るカーテン越しの明かりも、並んだ提灯のように美しい

誰かカーテンを開けて外を眺めている人がいたら、手を振ってみようと思ったけど

誰もいなかった

入院する前は、その建物が病院だという事すら知らなくて歩いていたのに・・・

 

ヒグラシが涼しげに鳴いていた

まだ暑さが残っているのかアブラゼミも一緒に鳴いている

ねぐらに帰るカラスも鳴いている

 

どんどん歩いていると、向日葵畑が見えた

みんな同じ方向を見上げて咲いている

カラカラの乾いた土から、思い切り太い一本の茎に沢山の花をつけて

すっくと立っている

 

「来年はこの向日葵を庭に植えようね」

と長女さんが言った

「うん、風が強くても倒れそうもないね」と答えた

 

帰り道は空に広がる稲光

家に着いたら雨が降り出した

良かった、今日も守られた

 

今日も恵みの一日を

 

感謝します

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今日もありがとう~ラブラブ