(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス3 パート45)<至福千年と新天新地(天国)について> | sarah‐mercy

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(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス3 パート44)<至福千年について>イザヤ33章 

からの続きです

 

黙示録シリーズ・クラス3 パート45

 

(5月1日 午前のクラス)

 

<至福千年について>

 

 次はイザヤ14章1節を読みましょう。

 

 主はヤコブをあわれみ、イスラエルを再び選んで、これをおのれの地に置かれる。

 異邦人はこれに加わって、ヤコブの家に結びつらなり、・・・(イザヤ14章1節)

 

 

 ユダヤ人がシオン(エルサレム)に帰り、自分たちの土地で安住できる時代、

 それが至福千年です。そして、異邦人も彼らに結びつらなる、とあります。

 ユダヤ人は自分たちが刺し貫いたイエスがメシアだと知り、悔いくずおれました。

 主は彼らに祈りと恵みの霊を注いだので、

 彼らの霊も心も変わり新たにされたのです。

 そして主は、彼らの選民としての特権を回復されます。

 主は彼らと、とこしえの契約を結んでいるので、その約束を守られるわけです。

 何で彼らなの?

 それはわかりませんが、創造主であられる神がなさることです。

 しかし、私たち異邦人も恵みに与っているのです。

 

「キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、

 キリストと共同の相続人なのである。」(ローマ8章17節)

とある通りです。

主と共に苦しむなら主と共に治めるのです。

ですから私たちは決して二流階級などではなく、

主と共に、そしておそらくユダヤ人の指導者たちと共に治める立場になるチャンスを

提供されているのです。

 次はゼカリヤの2章11節を読みます。

 

 その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。

 わたしはあなたの中に住む。

             (ゼカリヤ2章11節)

 

今は多くの人々が、真の神への信仰から離れ、神ならぬものを神としている状態ですが、

その時には、誰が本当の神であり、王であられるのか、

ということに気づくことになります。

次はゼカリヤの8章20節から23節を読みましょう。

 

 万軍の主は、こう仰せられる、もろもろの民および多くの町の住民、

 すなわち、一つの町の住民は、他の町の人々のところに行き、

 『われわれは、ただちに行って、主の恵みを請い、万軍の主に呼び求めよう』

  と言うと、

 『わたしも行こう』と言う。

 多くの民および強い国民はエルサレムに来て、万軍の主を求め、主の恵みを請う。

 万軍の主は、こう仰せられる、

 その日には、もろもろの国ことばの民の中から十人の者が、

 ひとりのユダヤ人の衣のすそをつかまえて、

 『あなたがたと一緒に行こう。

  神があなたがたと共にいますことを聞いたから』と言う」。

                           (ゼカリヤ8章20~23節)

 

ユダヤ人は今まで虐殺されたり、国から国を追われ、国なき民でしたが、

主はそれを回復して下さるのですね。

黙示録2章9節

「ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たち」

というのが書かれていますが、

そういう偽のユダヤ人ではなく、

真に神を信じる民、神に選ばれた民として、

人々に知られ、信頼されるようになるということですね。

最後に有名な至福千年の預言を読みたいと思います。

 

 おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、
 子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、
 雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、

 ししは牛のようにわらを食い、

 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、

 そこなうことなく、やぶることがない。
 水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。

                              (イザヤ11章6~9節)

 

これは今、この世に存在する呪いが(一部ですが)、取り除かれた素晴らしい世界です。

今のような弱肉強食の世界ではなくなるということです。

元々神は、創世記に記されているように、

獣や鳥など、命あるものには食物として、青草を与えられたのです。

 

「また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、

 すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。

                             (創世記1章30節)

 

 

ですから、至福千年は、私たち人間にとっても素晴らしいのですが、

その他の生き物や植物にとっても、外敵もないので生きやすく、

成長しやすく、心地よい、素晴らしい世界となるのです。

それは神が初めに創られた、本来あるべき姿になるということです。

 

 このように旧約聖書にはほかにもたくさんの至福千年についての預言がありますが、

今回はこれで終わりにしたいと思います。

 

<新天新地(天国)について>

 

この至福千年のあとには、新天新地というさらに素晴らしい世界がやってきます。

それは全ての呪いが取り除かれた完璧で美しく、

平和と愛で満ちた幸せな世界です。

黙示録の最後、21章22章に、その天国について書かれています。

 

 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。

 先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。

 また、聖なる都、新しいエルサレムが、

 夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、

 神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 

 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、

 「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、

 人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。

 もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。

 先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

                     (黙示録21章1~4節)

 

 

 その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。 

 それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、

 それらの門には、十二の御使がおり、

 イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。

 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。

 また都の城壁には十二の土台があり、

 それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。 

 

 わたしに語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、

 金の測りざおを持っていた。

 都は方形であって、その長さと幅とは同じである。

 彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった。

 長さと幅と高さとは、いずれも同じである。

 また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。

 これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである。

 

 城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。

 都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。

 第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、

 第四は緑玉、第五は縞めのう、第六は赤めのう、

 第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、

 第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

 十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、

 都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。

  わたしは、この都の中には聖所を見なかった。

 全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。

 

 都は、日や月がそれを照す必要がない。

 神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。

 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。

 都の門は、終日、閉ざされることはない。

 そこには夜がないからである。

 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。

 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、

 その中に決してはいれない。

 はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

                             (黙示録21章11~27節)

 

 

 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。

 この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。

 川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、

 その木の葉は諸国民をいやす。

 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。

 神と小羊との御座は都の中にあり、

 その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。

 彼らの額には、御名がしるされている。

 夜は、もはやない。

 あかりも太陽の光も、いらない。

 主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

                             (黙示録22章1~5節)

 

 

ここを読んでわかることは、至福千年にあって、新天新地にないものは、

海、太陽、月、夜、聖所です。

そして、死、悲しみ、叫びも、痛みもありません。

のろわるべきものは、もはや何ひとつないという世界が新天新地なのです。

 

また、至福千年になくて、新天新地にあるものは、

いのちの川やいのちの木、

その他にも数知れない素晴らしいものがたくさんあると思います。

これが神を信じ、神に従う者たちに、

神が用意されている想像を絶する世界、天国なのです。

素晴らしいですね。

 

 今、すでに暗く困難な時代にさしかかって来ています。

しかし、これからどんなことが起ることになるのか、

神はそれを教えて下さっていますし、何よりもその先に用意されている

これらの素晴らしい世界が明かされているので、

それは患難期を希望を持って通過する力になると思います。

そのために神は、これらのことを教えて下さっているのです。

 

 続く下差し

 

 

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昨日、ももちゃんが最後にお世話になった四軒のご近所さんにお礼の挨拶に伺いました

ももちゃんの事がなければ、話すことはなかった初めてのお宅です

ももちゃんが私の猫であると教えて下さったおばあちゃんの家には

17歳になる老犬がいて、自分のことのように悲しんで下さいました

チュールとダンボールを用意して下さった方は、

2年前にこちらに引っ越してきて、3匹の野良猫を保護していると話して下さいました

その方↑の猫じゃないか?と教えて下さったお宅には

やはり老犬がいて、奥様の実家の親子の猫の思い出を話して下さったり

「ももちゃんは幸せだったと思いますよ」と慰めの言葉を・・

最後に、

直接、私の家にまで来て下さった方のお宅には、小学3年生と3歳の女の子がいて

ももちゃんの事をママと話しているのを聞きながら

「ももちゃんにどこで会えるの?」と聞いてきました

ママがどうやって説明したらよいかと😰していると、

「ももちゃんに会って、好きなおやつを食べさせてあげたいの」

ママは、「お墓がどこにあるかと思って聞いているのかしら?。。」と再び😰

その子は時々、ももちゃんを見かけていたそうです

 

なので、私が

「ももちゃんの事、今まで可愛がってくれてありがとうねハート

ももちゃんは天国にいるんだよ、虹ハートキラキラ

もう直接会うことは出来なくなっちゃったけど

ママとお散歩している時とか、空を見上げてみて?

ももちゃんに似た雲を見つけたら ”ももちゃーん” って呼んでみてね

何も食べなくても、今はお腹も空かないから大丈夫なの

ももちゃんは○○ちゃんに声をかけてもらえるだけで、すっごく嬉しいと思うし、

○○ちゃんといつも一緒だよ、ちゃんと聞いてるよ」

と、声をかけてあげると

「わかった!わたしそうする!」とニコニコ、

3歳の妹もおむつパンツ姿で嬉しそうに跳ねて、ママは、泣き出してしまいました

みんな優しい人たちでありがたかったです

感謝ですね

 

 

黙示録21章22章には天国の事が記されています

今は天国ってなんだか雲の上のもや~とした世界だと想像しているのですが

ここでは、具体的に描かれていますね

しかも、どこか分からない霊界ではなく

はっきりとした世界です

それはもう少し先のお話になりますが、そのことを覚えていて欲しいと

お祈りします

 

 

 また、聖なる都、新しいエルサレムが、

 夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、

 神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

(黙示録21:2)

 

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o 

 

今日もありがとう~ラブラブ