メンタルサポート総合学園(クマの手カフェ) カウンセラー養成プロコース 在校生の心の気づき・成長ブログ! -3ページ目

メンタルサポート総合学園(クマの手カフェ) カウンセラー養成プロコース 在校生の心の気づき・成長ブログ!

クマの手カフェを運営する北浜「メンタルサポート総合学園」プロコースの生徒や卒業生(クマの手カフェスタッフ)の気づきや成長。

メンタリストやカウンセラーとして必要なことを学び、お店での体験などリアルな在校生や卒業生・スタッフの目線で綴っていきます。

 

 

第15期受講生です。

 

前回、「自分のマインド(本音)と向き合ってそれを出すことを取り組み中です。」

と、さらりと書きましたが、

それがいかに今の自分にとって、

抵抗があって難しいのかを思い知らされているところです。

 

 

■マインドの話

 

「言葉にマインドが感じられない」

「優等生すぎる」

「綺麗にラッピングしてまとめすぎている」

 

授業中に何度も投げかけられています。

 

 

様々な場面でフィードバックを求められるのですが、もともと内観を言語化するのが苦手な上に、

自分ではマインドを伝えているつもりが、どうやら私は感じたことを素直に伝えることができていないようなのです。

 

自覚がないから始末が悪い

考えれば考えるほど余計わからない

 

なんで、できないの?

カウンセラーになるならそこは必須よね?

 

もはや致命的では?

 

長年の習慣の賜物で自責についてはいともたやすくできてしまう私。

 

まずい、こんなことしてる場合じゃないのに、先へ進まないといけないのに!

 

と、緊張状態なのでコルチゾールなんかも分泌されまくって、

不安と焦りで視野をさらに狭くして、

頭を抱え込んでしまっている状態です。

 

そう、まだ深い気づきを得ていない私です。

気づきそうで気づけない。

 

何度も「はっ」とする瞬間があるのですが、

つかもうとするとさらさらと消えてしまうような。

 

ガチガチに何重構造にもセキュリティ強化されていて、

マインドまでたどり着けない。

 

何からこんなに自分を守ろうとしているんでしょうね。

 

そこに、向き合って、内観していくこと

「新しいわたしになる」ためには必須なようです。

 

少しだけ俯瞰して自分を見ることができるようになったもう一人の私がささやきます。

 

「これ、いつものパターンじゃない?」

 

ああ、また思考優位になって

 

「ちゃんとしないといけない」

「まわりに迷惑かけないようなんとかするべき」

フレームが発動して、余裕をなくしていました。

 

そこじゃなかった、自分が何を感じているのかに向き合わないと。

 

 

■すべての情動に価値がある

 

今までの取り組みの中で、

感情に蓋をしていた(らしい)ことに気づき、

自分の中の情動を観察することを日々の課題としています。

 

「怒り」は私の中ではネガティブ感情と位置づけられており、

まるでなかったことのように封印されていました。

 

ですが、いざ観察してみると、

毎日様々なことに怒っていたことに気づき、びっくり。

 

しかも激しい系かも。

「私、怒りません」と涼しい顔していたようですが、きっと、実際には非言語領域で漏れ出ていたことでしょう。恥ずかしいです。

内観の感度をあげて自分のマインドの言語化ができてこそ、他者のマインドの非言語領域を言葉にできるのですものね。

情動の観察は習慣にしたいと思っています。

 

 

 

そうそう、情動といえば、

5回目講座では情動があふれて、爆泣きして、涙と鼻水にまみれ、

お化粧も取れて、授業も中断して、

ティッシュケース一箱使い切るという体験をしました。

 

そのことはいつか書きます笑。

 

ここでは、先生も先輩も仲間たちも、どんな情動も受け入れて、しかも喜んでくれた・・・。

愛を感じた出来事でした。

 

このブログには自分の学びや成長を書きたいのに、いつもジタバタしていてごめんなさい。

 

では、次回に続きます。

 

 

人は誰にも記憶があります。

 

そして良い記憶だけの人も悪い記憶だけの人もいません。

皆 いろいろな記憶を持っていますよね。

 

良い記憶にまつわる思い出を想い返した時には 

誰しもが幸福な気持ちになり 

心にふわりと温かなものを感じたり 

優しい手を感じたりします。

 

けれど悪い記憶 

つらい過去を想いだすときには 

目を覆われるような暗さや 

耳を塞ぎたくなるような嗚咽を感じるかもしれません。

 

自分が経験した様々なことを 

その時感じた感情のままに記憶の中に刻んでいるからです。

 

良い記憶 

プラスの感情で刻まれているものは良いのですが、

問題なのは悪い記憶 

つらい悲しい感情で刻まれてしまったマイナスのものですね。

 

じゃあそんなもの無かったことにして(=否定)、

自分の心に鍵をかけて出てこない(=抑圧)ようにすれば問題は解決でしょうか?

 

いいえ 

 

心の中に封印された感情は 

知らず知らずにうちにその人を蝕んでいきます

 

例えばある女性の学生時代のいじめ体験 ― 

 

ごく些細な感情の行き違いから突然始まった無視や陰口、

このいじめに対し 

あまりのショックから彼女は何の行動も起こすことができず 

その仕打ちに耐えじっと我慢した、

そして彼女の心の中に残ったのは

私が悪かったから友達は私を罰したのだ」

という思い込みでした。

 

それから何十年もの間 

彼女は誰かとちょっとした諍いがある度に常に自分が悪いと思い自分を罰し続けました。

 

彼女とのカウンセリングの中で、

では「あなたの現在の友人が誰かに同じように無視されたとき 

あなたはその人がすべて悪いと思いますか」

と問うことにより 

 

自分を一旦離れて別のところから客観視できるようになり長年の囚われから解放されたのです。

 

また 

この体験によってあなたが得たものは何だったのでしょう

 

という問いにも

「いじめられている人のつらさ悲しさ絶望感がわかるようになり、

同じ経験をした人の気持ちに寄り添いたい

と答えられたのです。

 

 

起きたことは変えられません、

でもその意味付けを変えることはできます

 

いじめられたことは 

今まで彼女を傷つけ悲しませるだけの記憶、

心の奥にしまわれ続けていた忌まわしい過去、

そして現在も自分の行動を制限し心を弱らせるものから、

 

他人を思いやる性格や 

自らを律することのできる人格を形成した

一つの経験であったと捉えなおすことができるようになりました。

 

つらい記憶に蓋をするのではなく目に前に広げて客観視し 

自分にとって有益なものに書き換えて 

生き辛さから解放されましょう。 

 

自分を価値ある存在と認識しなおし 

前向きな人生を手に入れる方法があることを知ってください。 

 

 

 

 

 

ナラティブ・セラピーとは、

 

人生を肯定的に生きていくために、

その人の持つ人生脚本ともいうべき物語(ストーリー)を適切なものに書き換える心理セラピーです。

ナラティブ・セラピーでは、

人はそれぞれ自分自身の物語を持っていて、

それに基づいて生き方や対人関係を構築していると考えます。 

 

ですから、その物語を書き換えれば、

これまでと違った人生を生きていくことが可能というわけです。

例えば、それまでの経験から「自分は失敗者だ」という物語を持っている人は、

きっと何をやるにも消極的で望むような成果を上げることが難しいでしょう。

 

こうした物語を持っている人は、最後のところでの踏ん張りも効かないものです。

しかし、その物語が「自分は何があっても諦めない人間だ」というものに

書き換わったらどうなるでしょう? 

 

きっと、積極的な行動が目立つようになり、

いずれ何かしらのことを成し遂げるでしょう。

いずれにしても、

自分の持つネガティブな物語をポジティブなものに書き換えることができれば、

それは人生の様々な領域において肯定的に作用し、

それまでより前向きに生きられるようになるはずです。

 

<外在化技法>

ナラティヴセラピーにおける代表的な技法の1つに

「外在化技法」というものがあります。

通常、私たちは身の回りで起きた何かしらの問題を自分の一部として取り込み

「ダメな自分の失敗物語」というものを構築してしまいがちです。


例えば、

「試験に落ちた」→「それは私がバカだから」→「私はバカな人間なので、

勉強はもちろん頭を使う仕事もできないに違いない」

といった具合です。

その問題は、

その人の根本的な人間性や持って生まれた能力の欠陥からくると考えてしまうのです。

「問題=ダメな自分」というのは、

その問題を自分自身に内在化してしまっている状態だと言えます。

この内在化した問題を本人と切り離すのが外在化技法です。

ナラティブ・セラピーには「問題が問題である。人は問題ではない」

という考え方があります。

 

それを元に、「問題点=自分」という構図から、

「問題点」と「自分」を切り離します。

例えば先ほどの例だと、

「試験に落ちたのは、単に私の努力不足だ」などという物語に書き換えます。 

こうすることで、その問題の原因はその人の資質などではなく、

単なる努力不足という認識に変わります。

 

そしてそれによって、

自分次第でその問題は解決可能だという考え方に変化するというわけです。

問題は「私」でなく「努力不足」なわけですから。 

そうなれば、きっと前向きな行動も起こしやすくなるでしょう。

 

ナラティブ・セラピーとは、

その人が持つネガティブな物語を発見して、

それが本当かどうか考えていき、

より適切で効果的な物語を持ってもらうアプローチです。


それにより、新たな信念や考え方が形成され、

望ましい行動につながっていくという狙いがあります。

コーチングにおいてもこのようなアプローチはよく使われます。

その人の持つ物語が書き変わるということは大きな変化に繋がるからです。

普段のコミュニケーションの中でも、

「この人はどんな物語を持っているんだろう?」

と考えてみると、

その人の行動の背景が理解できるようになって役に立つことがあります。

 

 

人の行動の背景には、何かしらの物語があるということを覚えておきましょう。

 

 




 

 

 

さて、新しい私に出会うべくプロコースへと進んだ私を待っていたのは、

授業中に幾度となく投げかけられる、

 

自分の心=マインドの話をして下さい」

「その時、あなたはどう感じましたか」

という問い掛けの数々でした。

 

これは、否応なしに自身の心と向き合うことを求められます。

人生の中で、また、普段の生活の中で自身のマインドを他人に話す機会はどれ程あるのでしょうか。

 

人にもよるかとは思いますが、そう多くはないと思います。

私は、本音(=マインド)を他人に伝えることに無意識の恐怖を抱え、それを避けて生きてきていました。

その為に、本音を建て前の中に隠したり、他人に変に思われない内容に変換、話をすり替えて

(=主旨をずらして)伝える事を無意識に覚えてしまっていた人でした。

 

しかも困ったことに、そのことに全く気づいておらず、自身はちゃんと本音を話している気でいたのです。

本音に触れるのを予感すると、それ以上を追求するのを拒否したいが為に、

 

“なんかよく分からんけど”

 

という枕言葉をほぼ毎回使い、主旨をずらしている自分がいた事に気付かされた時はハッ!としました。

 

この枕言葉(=キーワード)に気づき、その言葉を使いたくなったら、

それを使わずに自身の感情(=マインド)言語化することを心がけ、

自分の本音により深く気づき、向き合うことが出来るようになりました。

 

キーワードはその人によって異なりますが、

それが分かる事をきっかけにその人のマインドが

ツルツルと引き出されていく事を身をもって体感しました。

キーワードには浅い気づきをもたらすものと、
深い気づきをもたらすものとあるかとは思いますが、
その人が何度も繰り返しよく使う言葉や、
マインドがやけにこもっていると感じる
言葉(=非言語領域のノンバーバルで感じる)などが

あるかと思います。

自身のマインドと深く向き合うということは、
自身の中に埋まった感情、感覚、印象、フレーム、エピソードなど
様々な無意識を意識の上に持ってくることです。

私の場合は、無意識下のマイナスの感情やトラウマ
マイナスのアンカー
が多く埋まっていて、

必然的にそれと向き合うことになり、

情動が動きまくりで、授業の度に大号泣を幾度となく繰り返しました。

 

その度にひどく疲れるのですが、

話す程に心の傷が癒えていくように感じられる不思議な安心感があり、

徐々に涙も減って行きました。

 

心の成長を見守り、支持してくれる仲間と先生がいるというのはとても心強いことだなぁと感じています。

次回、まだまだ自分探しはつづきます。


読んで下さる皆様に、

 

意義のあるメンタルの気づきが訪れますことを願いつつ~。

 


 

 

プロコース15期受講中のHSです。

 

2021年になりましたね。昨年はアドラー心理学2級講座を受講したことをきっかけに、私を取り巻く停滞していた環境が、リスタートを切った、そんな変化のあった年でした。

 

今回は昨年プロコースに通い始めてからの、私の変化に目を向けてみようと思います。

 

■情動の観察/フレーム外し

 

私が感情に蓋をしてしまうルーツは、幼少期の環境によるものが大きいのです。

 

いま、それにも向き合っているところなのですが、

私の「認知のフレーム」には数々のトラウマやマイナスのアンカーがあり、

自分を守るために感情を麻痺させて、

本当の自分のマインドがわからなくなっている状態だということに気付かされました。

 

その事実は私を混乱させ、

受け入れ難く辛いことでもありましたが、

同時に今までの生きづらさが腑に落ちた瞬間でもあったのです。

 

まずは自分の情動を内観し言語化することから始め

(また、この「言語化」が私は苦手で、今も悩まされているのです・・・)、

自身のフレームに気づき

自分を守るために身につけた「~すべき」というそのフレームを外すために、

それをコツコツと繰り返してきました。

 

 

私の具体的な一例をあげると

 

・ルールは守らねばならない/きちんとした人でいたい

 

・人を不快にさせてはいけない/優しくいい人でありたい

 

・嘘をついてはいけない 

 

 

情動観察と同時に、課された宿題は、

 

「ルールを破ってみる」

 

「嫌がられる人をやってみる」

 

「ふてぶてしいと思われることをやってみる」・・・

 

私はどうやら心のホメオタシス(恒常性、今のライフスタイルや環境をなるべく維持しようとすること)が

かなり強いらしく、その宿題は常に抵抗を伴うのですが、

しぶしぶ(笑)無理矢理実践していたところ、

最近ふと以下のような変化があることに気が付きました。

 

以前よりも細かい他人の行動にイライラしなくなった自分がいて、

「あの人はあの人だから、まあいっか」と流している。

 

不快な出来事があったときに

「こんなことで怒るなんて大人げない」

とただちに抑え込んでいた怒りの情動を、

「ああ、私怒ってるかも」と気が付いて、

 

どうする?

流す?

そのまま怒っとく?

どっちにする?

 

俯瞰できる余裕が生まれている。

 

ごく当たり前にできている人にとっては、

些細なことなのでしょうが、

他人軸でいつも人に振り回されて、

我慢してきた私にとっては、

小さいながらも大きな変化なのでした。

 

何も気づきを得られず、

成長できていないかもしれない、

と周りと比較して焦っていたけれど、

 

小さくとも成長し、

少し楽になっていることもあったんだ。

 

「できていない」

というネガティブには敏感に反応してしまう習慣があるけれど、

 

「できたこと」

というポジティブにも意識を向けないといけませんね。

 

これもリフレーミングなのですね。

 

他者からの期待、

自分の思い込み、

仮面をつけていた「偽りの自分」から離れ、

 

その時々の自分の気持ちに従いながら、

人生というプロセスを生きるようになっていくこと

「自分らしい生き方」だと

ロジャースが言っています。

 

スロースターターの私ですが、

あきらめず講座6回目に臨もうと思っています。

 

2021年も、お付き合いください。

 

 

 

ジェノグラム(家系図)」は、マレー・ボーエンの家族システム論(1978)
から派生しました。

 

ジェノグラムは、システマティックで、シンプルに
家族の全体像を整理・マニュアル化することのできる、
誰にでも使いやすい家族療法の大変有益なツールです。

 

ジェノグラムは、<3世代以上>の家族メンバーと、
そこでの人間関係を書いた「家系図」を指します。


「家系図」には、<家族関係>あるいは・および、
<世代 間関係>が「図」で描かれたものを言います。

近代的家族は、夫婦と子どもとからなる<核>家族ですが、
<核>家族ではなく、
「3世代以上」の<拡大>家族メンバーを対象としたところに、
その特徴があります。

 

それは、3世代以上にわたる家族の「骨格・構造(論理)」を明らかにします。
が、同時に、そこから家族関係における「血肉(情緒)」も見え、
感じられてきます。

 

「図」で具体的に示されてるので、目で見て理解しやすく、
ボーエン派家族療法の臨床実践家だけでなく、
誰にでもわかりやすく、使いやすいという利点があります。

ジェノグラムは、家族療法の<入口>として、入りやすいツールです。

 

「ジェノグラム」の理解、分析、読みを広めたのはマレー・ボーエンですが、
その活用には、以下のような具体的利点があります。

 

ジェノグラムは、『見立て』のための最良のツール(の1つ)です。

「見立て」の仕方がわからなかったり、
「見立て」で困っている対人援助職の人に 、お勧めです。

 

家族の『歴史』の中で、家族の問題、悩み、症状が、
どのように出来上がってきたのか、見ることができます。

それは、問題、悩み、症状の「世代間伝承・連鎖」の理解を可能にする
<直接因果論>的見方によるものです。

まるで、仏教の「因果応報」を見るような気にさせられます。

 

<直接>因果論とは異なる『循環的』因果論的にも、
家族の病理や課題を理解するツールとなります。

「循環的因果論」は、家族療法にオリジナルな見方で、
大変有益です。

 

ジェノグラムを用いて、その見方を繰り返しトレーニングします。

 

家族の中で、歴代繰り返される・循環する『パターン』

 

たとえば、(血の繋がっていない)養子に入った子どもや大人が、
その家族に代々続く病気を患う、といったことが
たくさん報告されています。

 

それは、遺伝ではなく、
(代々続く)家族の「環境」や「見えない力動」が
影響したと考えられます。

 

家族力~家族の癒し力、ク リエイティビティ、協力・共同・協働力、
再生力、関係・つながり力、コミュニケーション力、潜在可能性を
見出しやすくなります。

 

 

ロールプレイングなどでトレーニングを重ねると、
「ジェノグラム」が、家族と、家族の個々人、家族の問題、悩み、症状、
またその癒しや解決可能性について、
『自ずと話し始める』ということが起きます。

 

それには、セラピストは、「ジェノグラム」に目を向けるだけでなく、
それを真ん中に置いて、
多くの家族メンバーとたゆまぬ・地道なコミュニケーションを
繰り返し行うようにします。

 

「ジェノグラム」を見て、名人占い師をまねて、
即、「あーなるほど、わかった」、ということを しないようにします。

 

ソクラテスやニコラス・クザーヌスやビオンのように、『わからない」を、大切にし、

家族メンバーと、そして「ジェノグラム」と、コミュニケーションを重ね、
ジェノグラムを通じた理解を共有します。

 

 

それが、「ジェノグラム」と取り組む基本姿勢となります。

 

 

 

 

前回は非言語 = ノンバーバルメッセージと VAK(=五感)についてお話しました。

 

さてその2回目

 

あなたは思い出をどんな形で覚えていますか?

 

幼い頃 

お母さんと手をつないで出かけ 

一緒に食べたオムライスの匂いとお母さんの笑顔。

 

友達と喧嘩して 

一人で帰る道のいつもと違う空気 

車の音。

 

お父さんの荒々しい怒鳴り声 

頭をたたかれた痛みと 

カーっと煮えたぎる様な胸の思い 

悔しさ 

悲しみ 

頬を伝う涙。

 

全ての思い出はVAKとセットになって 心に刻まれています。

 

 

人は今まで経験してきた出来事 

それによって生まれた思い、

考えを日々アップデートしながら生きています。

 

その中で 

ある出来事がいつまでも自分の心から離れていかない 

強烈な記憶となって刻まれると 

それは時としてトラウマと呼ばれるものになります。

 

昨今 

巷ではトラウマという言葉がよく使われますがトラウマとはいったいなんなのでしょうか?

 

≪psychological trauma=心的外傷  外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。≫(Wikipediaより)とあります。

 

このトラウマは 

自身の性格形成において強い影響力を持ちます。

 

人とうまくコミュニケーションが取れなかったり 

常に否定的な考えをしてしまったり 

些細なことにも危険を感じて必要以上に回避してしまったりもします。

 

では同じ出来事が起こった時 

人は皆同じようにとらえ記憶するのでしょうか。

 

私達は生まれてから今日までの様々な経験・体験を 

五感を通して記憶し 

自分だけの唯一の価値観・世界観を作っていきます。

 

だから 

あなたが感じている世界と私が感じている世界 

世の中の一人一人が感じている世界は 

全く違うものなのです。

 

あなたが思っている世界は世界そのものではなく 

あなただけが感じている世界 

すなわちあなたの解釈したことだけの世界です。

 

その感じ方が自分の心の世界を暗くし自分を苦しめているのならば 

その感じ方を変えることで 

あなたの人生を充実したものに変えることができるということなのです。

 

その変化の過程にVAKを使えば 

過去のネガティブな体験の捉え方を 

より効果的に転換させることが可能になります。

 

 

実際的な方法を次の回にお伝えします。

カウンセラーとして「心」を正しく観るために ポジション・俯瞰する・・

 

 

フレームの次に浮かび上がってきたことそれはポジションです。 

 

第1(自分)・第2(相手)・第3(第三者)の視点に立って 物事を見るということです。

 

普段人は自分の視点で見、考えています これが第1。 

誰かの話を聞き深く共感することで相手の立場に立ち 第2の視点が生まれます。 

そして第3ポジションとは 自分でも相手でもない客観的な視点を持つということですね。 

(その上に第4(高次=メタ)ポジションというものもあり これは第三者をも俯瞰した より立体的な視点を意味しますが わかりにくいので今日は触れません)

 

第1ポジションは自分自身なので問題はありません。相手の立場になり相手の心をあたかも自分のことのように感じる(ロジャーズの共感的理解にもありました)。 これが第2ポジションを作っていくわけですが フレームを外すことを意識しだしたことで 元々人の話を聞くことが大好きな私は すんなりと第2ポジションの視点を持つことができました。

 

カウンセリングを行う上で第3ポジションはとても重要な視点です。 

カウンセリング教室によっては ロジャーズの傾聴と共感ができていればOKというところもあるようですが 

当学園ではそれは全くお話にならないことです。 

 

クライエントの話を傾聴し共感することで クライエントのカタルシスは得られ 話したことによるすっきり感は有るでしょう。

けれどもっと心の奥深くにしまい込まれたマインドにたどり着くことは 容易ではありません。

 

なぜこの人は この話ばかりを繰り返しするのだろう? 

なぜこんなにも怒りがわき、なぜこれほど悲しみに涙しているのだろう?

話を聞いて寄り添うだけでは クライエントが本当に解消したい悩みを見つけることはできないのです。

 

なぜなら クライエントから感じた不一致を第3ポジションで見つけ その違いを目の前に提示し クライエント自らがその不一致を認識して始めて 本当の意味のカウンセリングが行われるからです。

 

話は戻り さあ私の第3ポジション視点です。これがなかなか!

 

頭ではわかっている、原理も理解できる、なのにできない。

 

私が私に問いたい 

 

なぜ?

 

どうして? 

 

同級生達のカウンセリングを隣で見ていると 

 

それはまさに私は第3者なので「こんな質問をすればいいかな」

「クライエント役はこう思っていそうだな」とか 

 

いろいろ浮かんでくるのですが 自分がカウンセラー役になったら全くと言っていいほど 

第3ポジションでの視点が吹っ飛んでしまいます。 

 

いっきに何が何だか頭は大混乱、動悸も激しくなるばかり。

 

 

ああ~どうしたらいいんだい? 

 

私のもやもやは一向に解消されず

 

 

次回に突入です。

 

はじめまして。

新年、あけましておめでとうございます。

私は現在プロフェッショナル講座の第15期生です。

 

簡単に自己紹介を。中学生の一人娘の母、地方自治体で 就労支援員として相談業務に携わっています。毎日の入 浴タイムが癒しの時間。好きなものは、斉藤和義とBTS(娘の影響)、お一人様カフェ、本、花や観葉植物、 猫、韓国ドラマ。苦手なのは、雷とホラー。

 

 

■こころの学び

 

こころについて興味を持たれる方は、人間そのものに関 心を持っている方なんだろうなと思います。

かく言う私 もそうで、人間同士の繋がりや絆に心動かされ、愛情が 欲しくて、また与えたくて、けれど、なぜかうまくいか ない。

傷つきたくないから鎧で武装を重ね、なんとな く、表面上はそつなくこなしてやってきた。 

 

それでも、生きづらくて、それはまだまだ頑張りが足り ないから!

もっと頑張らなきゃ!

違う自分にならない と!

 

とまるでスパルタ教官みたいにピシピシ鞭打って生 きてきたように思います。

 

 

現在講座は3回目が終わったところ。 

毎回、濃密な授業です。

すごーく、しんどい時もありま す。

でも、少しずつ自分自身にも変化がみられることを 実感しています。

先生から奇想天外な宿題が出されるの で、悶絶しながらチャレンジしています(笑)

 

たとえば、私にはビリーフ(思い込みや正しいと信じて いる考え方のこと)があって、

それが自分をきつく締め 付けていても、

チェンジさせることは今までの自分を丸 ごと否定するようで(だってそれも自分だもんね)、

無 意識の抵抗があったようなのですが、

 

今は以下の様に感 じ取れるようになりました。

 

「今の自分は、その時そうするしかなくて頑張って きた自分の積み重ねだもんね。 

違う何者かになることはできないし、必要もないよ ね。 

でも、握りしめているその方法だけではなく、違う 選択肢をもてるようになればいいね。

それって、ぎ ゅうって固く握りしめてきたから、ゆるめないとい けないけど、方法がわからないんだよね。

 じゃあ、一人で頑張らないで、先生に教えてもらい ながら、仲間に見守られながら、

 トライ&エラーしながら、成長できたらいいよ ね!」

 

 

といった風に。

 

そして、その過程は、悪くないなあと思 うのです。

 

 共に学ぶ仲間の変化を目の当たりにすることも、喜びの ひとつです。

 

 

 

■Life goes on  それでも人生は続く

 

生きている限り、人生は続きます。そうならば、今、で きることを、これからは自分のためにしていきたいなと 思うのです。

 

こころの学びは、人生そのもの。

 

だから、年齢は関係ないし、早すぎることも遅すぎるこ ともない。

 

自己理解を深めることによって、

認知のフレ ームを変えて、

世界が広がり、

ああ、いろんなことがあ ったけれど、

それも今の私になくてはならなかったこと なんだね、

 

生きていてよかったなあって思えれば嬉し い。

 

そのために、しっかりと学んで、カウンセラーとして心 に寄り添い、メンタルのプロフェッショナルを目指しま す。

 

リアルタイムな受講生として、

これからも自分の気付き や、

感じたことなど発信したいなと思っています。

 

 

お付 き合いいただければ嬉しいです^_^

 

 

教育者としてのメンタリスト・心理カウンセラーの役割①

 

~子ども・保護者の心に寄り添う~

 

私は教育の現場に立ち20年になります。

この20年間の中で教育はICTにかわり、人が教える時代はなくなる時代になってきました。

 

それに加え、特別支援教育の名前が独り歩きしだし、子供の本質を見ようとせず、言葉で踊らされている気がします。

そして、コロナ禍でますますICT授業が求められ、人と人が触れ合う機会が奪われ・・・心さえも奪っていく現代社会。

 

子どもの声は切実で、心の叫びを日常、非言語として表しています。

それを私達大人、教師が見落としていないだろうか?

心に寄り添って話を聞いているだろうか?

と・・・

 

人は笑っているから楽しいとは限らない。

涙を流しているから悲しいとは限らない。

相手のことをよく見る。

他人が見落としているところもしっかり見て話を聴く・・

 

今、教育者たちに求められているのではないだろうか?

なぜなら、人の心は人でしか動かせない。

どれだけ、こちらが扉をこじ開けようとしても、心に寄り添い、心を通わせないと開いてはくれないからだ。

 

これが現実。

 

コロナ禍で教育界は大きく変わり、今まで以上に忙しく慌ただしい。

子どもの声を聴いていても聞き逃すことが多い。

いや、聞いているフリをしているだけだ。

どんなに忙しくても、子どものこころの声に傾けられる教師いたい。

そんな大人・教師が周りにいれば、心は軽くなるに違いない。

 

そう願い、このメンタル学園に入園した。

 

1年後念願の資格取得。

私は教育カウンセラーとしての活動の一歩を踏み出したばかりである。

 

このブログを通し、学園での学び・気づき・自分の変化を綴っていこうと思います。

 

 

 

次回は、

 

教育者としてのメンタリスト・心理カウンセラーの役割②

 

・第1ポジション(自分=カウンセラー) 

・第2ポジション(相手=クライエント) 

・第3ポジション(第三者=客観的視点)

 

です。よろしければお付き合いくださいね!