第15期受講生です。
前回、「自分のマインド(本音)と向き合ってそれを出すことを取り組み中です。」
と、さらりと書きましたが、
それがいかに今の自分にとって、
抵抗があって難しいのかを思い知らされているところです。
■マインドの話
「言葉にマインドが感じられない」
「優等生すぎる」
「綺麗にラッピングしてまとめすぎている」
授業中に何度も投げかけられています。
様々な場面でフィードバックを求められるのですが、もともと内観を言語化するのが苦手な上に、
自分ではマインドを伝えているつもりが、どうやら私は感じたことを素直に伝えることができていないようなのです。
自覚がないから始末が悪い。
考えれば考えるほど余計わからない。
なんで、できないの?
カウンセラーになるならそこは必須よね?
もはや致命的では?
長年の習慣の賜物で自責についてはいともたやすくできてしまう私。
まずい、こんなことしてる場合じゃないのに、先へ進まないといけないのに!
と、緊張状態なのでコルチゾールなんかも分泌されまくって、
不安と焦りで視野をさらに狭くして、
頭を抱え込んでしまっている状態です。
そう、まだ深い気づきを得ていない私です。
気づきそうで気づけない。
何度も「はっ」とする瞬間があるのですが、
つかもうとするとさらさらと消えてしまうような。
ガチガチに何重構造にもセキュリティ強化されていて、
マインドまでたどり着けない。
何からこんなに自分を守ろうとしているんでしょうね。
そこに、向き合って、内観していくことが
「新しいわたしになる」ためには必須なようです。
少しだけ俯瞰して自分を見ることができるようになったもう一人の私がささやきます。
「これ、いつものパターンじゃない?」
ああ、また思考優位になって
「ちゃんとしないといけない」
「まわりに迷惑かけないようなんとかするべき」
のフレームが発動して、余裕をなくしていました。
そこじゃなかった、自分が何を感じているのかに向き合わないと。
■すべての情動に価値がある
今までの取り組みの中で、
感情に蓋をしていた(らしい)ことに気づき、
自分の中の情動を観察することを日々の課題としています。
「怒り」は私の中ではネガティブ感情と位置づけられており、
まるでなかったことのように封印されていました。
ですが、いざ観察してみると、
毎日様々なことに怒っていたことに気づき、びっくり。
しかも激しい系かも。
「私、怒りません」と涼しい顔していたようですが、きっと、実際には非言語領域で漏れ出ていたことでしょう。恥ずかしいです。
内観の感度をあげて自分のマインドの言語化ができてこそ、他者のマインドの非言語領域を言葉にできるのですものね。
情動の観察は習慣にしたいと思っています。
そうそう、情動といえば、
5回目講座では情動があふれて、爆泣きして、涙と鼻水にまみれ、
お化粧も取れて、授業も中断して、
ティッシュケース一箱使い切るという体験をしました。
そのことはいつか書きます笑。
ここでは、先生も先輩も仲間たちも、どんな情動も受け入れて、しかも喜んでくれた・・・。
愛を感じた出来事でした。
このブログには自分の学びや成長を書きたいのに、いつもジタバタしていてごめんなさい。
では、次回に続きます。










